第22回「ジャーマン・アメリカン」からのつづきです。
アメリカ音楽の父、スティーブン・フォスター(1826−1864)。彼が名曲を紡ぎはじめたのは鉄道と電信が発達しはじめた1840年代からである。
1848年には『おおスザンナ』、50年『草競馬』、51年『故郷の人々』(スワニー河)、52年『主人は冷たい土の中に』など後世に残る曲を発表する。
そして20世紀初頭まで一世を風靡したバーボンウイスキー「オールドタブ」をビーム家が生んだ年、1853年に『ケンタッキーの我が家』(My Old Kentucky Home)を発表した。まさにケンタッキーに陽光が燦々と輝きはじめたのである。
連載第3回「ブルーグラス・ステート」でも述べたように、この曲は現在ケンタッキー州の州歌であり、毎年5月開催のケンタッキーダービー開会式で国歌につづいて斉唱されている。
さて、今回はケンタッキーダービーの公式ドリンク「ミントジュレップ」の清々しい風味に浸りながら話をすすめよう。ベースはクラフトバーボンの「ベイカーズ」。カクテルに使用するのは贅沢ではあるが、7年超熟成、107プルーフ(53.5%)の強く深いコクと甘く芳しい口中香が、爽やかなミントのそよ風に撫でられるとアメリカ民謡の古き良き調べのように心地よい。
フォスターが実際に『ケンタッキーの我が家』を創作したのは前年52年のことで、この年に黒人奴隷問題に多大な影響を与えたストウ夫人(ハリエット・エリザベス・ビーチャー・ストウ/1811−1896)の歴史的著作『アンクル・トムの小屋』が出版されており、夫人が描いた物語に刺激を受けて創作したものであるといわれている。
南北戦争前夜であった。奴隷制度に関してさまざまな政治運動が繰り広げられていた。フォスターの作品にはこうした社会的背景が織り込まれているものが多い。国家として、いかにまとまるか、揺れ動くなかでストウ夫人やフォスターが登場した。これはアメリカン・カルチャーの揺籃期でもあったことを物語っている。
そして市場を拡大していくバーボンウイスキーの歩みと同調するかのように、名著や名曲がつぎつぎと誕生していった。多くの作品が、日なたの匂いとも表現できるバーボンの温もりのある素朴な香りと味わいに似ている。
1855年には後のアメリカ文学に大きな影響を与えた詩人、ウォルト・ホイットマン(1819−1892)が自費出版によって『草の葉』(Leaves of Grass)を発表。実はこの連載エッセイのタイトル「アメリカの歌が聴こえる」は、アメリカ最初の民主主義詩人と評されるホイットマンの一篇“アメリカの歌声が聞こえる”(I Hear America Singing)に影響を受けたものだ。