リンカーンは、船が注意を払っていれば衝突はまぬがれ、また鉄道の架橋を認めなければ西部の発展はない、と論じて鉄道側を勝訴へと導いている。
当時は船舶側と鉄道側との軋轢が生じていた。船舶輸送関係者にとって鉄道輸送はまさに煙たい存在であった。輸送スピードが違うのである。それでも1トンの荷を1マイル(1.6km)輸送する運賃は船のほうが鉄道よりも半分以下であったために、蒸気船での輸送の需要は高かった。
こうした状況下で1861年、南北戦争がはじまる。この戦いは世界の戦史上初の鉄道輸送が関わったものといえる。“The First Railroad War”とも呼ばれているほどだ。
第16代大統領に就任していたリンカーンは翌年、陸軍省に軍用鉄道の充実と管理運用の合衆国軍用鉄道担当局を設置している。
それ以前に北部と南部の鉄道網の差は歴然としていた。北部は工業が発達しており、南部は農業。南部はプランテーションと積出港を結ぶ交通網さえ整備すれば事足りる環境にあった。また北部ほどに冬の凍結や雪の被害を考慮する必要もなく、鉄道網整備が遅れていたのだった。
戦いの間、同じタイミングで発達した鉄道と電信が軍事行動の重要課題となる。電信はサミュエル・モールスによって1830年代に研究、実用化され、1840年代半ばから鉄道駅を結ぶ電信網が整備されていった。鉄道の破壊工作も電信の活用もインフラの進んだ北軍がはるかに上手だった。
そしてリンカーンは生まれ故郷のケンタッキーを北軍の兵站地とした。ケンタッキーが南部戦線への重要な補給拠点となったのである。鉄道で運ばれる弾薬をはじめとした軍事物資、兵糧のなかにはアパラチア山脈の東、東部で主流だったライウイスキーとともにバーボンウイスキーもあった。ウイスキーが前線の兵士たちの心身を癒した。
バーボンウイスキー躍進のきっかけはケンタッキーのノブクリークの農場で幼少期を過ごしたリンカーンの戦略と鉄道にあったのである。
この6月、アメリカンウイスキーの原点といえるライウイスキーが発売された。その名は「ノブ クリーク ライ」。クラフトバーボン・シリーズの原点回帰の思想が、見事な洗練のライウイスキーを誕生させた。
バーボンの「ノブ クリーク」の力強くリッチな香味特性を踏襲しながらも、クラフトらしいコクに潜むハーブ的なスパイシーな感覚はライ麦特有のものだ。これまで味わってきたライウイスキーの風味を忘れさせてしまうほどの麗しさがある。ケンタッキーのブルーグラスをそよぐ爽やかな風を想起させる。セクシーな味わいでもあり、新たなライウイスキー・ファンが生まれることだろう。
「ノブ クリーク ライ」。リンカーンがもし口にできたとしたら、さすがはケンタッキーのウイスキーづくり、とご満悦だったことだろう。
(第28回了)