バーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえるバーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえる

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オールド・ジェイク・ビーム 文・達磨信

ジェイコブ・ビームがオールド・ジェイク・ビームを世に送りだした頃は、おそらく現在のような長期熟成の概念はなかったであろう。蒸溜後に樽詰めしてすぐに売りに出していたはずだ。それほど蒸溜酒は貴重品であり、黄金の液体であったからだ。12年超もの樽熟成などとても考えられない時代だった。

フレッド・ノーのシグネチャークラフトは200年以上もの時が積み重なり、ウイスキーの歴史とともに洗練に達した作品であるとあらためて実感させられる。

とはいえ、アメリカでのウイスキー樽熟成の歩みについて語れるような文献資料は極めて少ない。20世紀はじめの禁酒法のせいもあり、過去の酒に関する記録というものがかなり廃棄されてしまい、初期の歩みを探るのは困難となってしまっている。そして樽の内面焼き処理がいつ頃からはじまったのかも特定できていない。

蒸溜に関する本が1818年に出版されているらしい。そこには“樽の内側を焦がすのは、樽を消毒するため”と書かれているという。当時はいろんな樽を使ってウイスキーを輸送した。魚を入れていた樽を使うこともあったらしい。消臭のために樽の内側を焼きはじめたという説もある。

現在、アリゲーターといわれるワニの皮を連想させるほどにカリカリになるまで焼くのは、その名残りかもしれない。バニラ様の甘いテイストは消臭作業がもたらした副産物だったといえるかもしれない。いずれにしろ、かなり早い段階で内面焼き(チャー)はおこなわれていたようだ。


さて、1796年にはジェイコブ・ビームと同じジャーマン・アメリカンのベイゼル・ヘイデンが蒸溜業を開始している。3代目となるレイモンド・B・ヘイデンは1882年、祖父への尊敬の念を込めてオールドグランダッドを発売した。

このブランドは現在サントリーグローバルスピリッツ社傘下で生産がつづけられているが、名匠と謳われたビーム家6代目ブッカー・ノーがクラフトバーボンシリーズのひとつとしてベイゼル・ヘイデンという名のライ麦比率の高いバーボンを生みだしてもいる。いま息子のブッカー・ノーがその品質を磨き上げつづけている。

こうしたブランドの歩みをみると、ジャーマン・アメリカンの強い絆がうかがえる。そしてアイルランド系やスコットランド系だけでなく、ドイツ系がアメリカの蒸溜業界に果たしてきた役割の大きさを垣間見ることができるのだ。

21世紀の現在、バーボンウイスキーやライウイスキーに、創業者がジャーマン・アメリカンであるブランドが数多くあることは意外に知られていない。そのなかでもビーム家はアメリカンウイスキーの王家ともいえる家系である。

(第24回了)

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