18世紀になると、スコットランド、アイルランド、ドイツから続々と新天地を目指してやってくるようになる。200年超もの間、アメリカンウイスキー業界を牽引してきた名門ビーム家の祖先が、ドイツからいつ頃アメリカにやってきたかは明確にはわからないが、当初はメリーランドで生活をはじめたらしい。ここでライウイスキーをつくっていたかもしれない。
さてトウモロコシを主原料にしたバーボンウイスキーだが、何故にケンタッキー名産になったのか。これは第3代大統領となるトーマス・ジェファーソンがヴァージニア州知事だった時(1779〜1781年)、アパラチア山脈西に位置するケンタッキー郡に永住して、土着穀物であるトウモロコシを栽培する者には60エーカーの土地を与えるという奨励策を打ち出したのが大きい。当時ケンタッキーは広大なヴァージニアの一部だったのある。
このときにケンタッキーに入植したのが20世紀に名品メーカーズマークを生むサミュエルズ家で、1780年のことだった。そしてビーム家ジェイコブ・ビームは1785年の入植となる。
もうひとつ、アメリカ独立戦争後の混乱を忘れてはいけない。
独立戦争は1775年(〜1783)にはじまった。イギリス対東海岸イギリス13植民地の戦いであったが、独立後初代大統領となるジョージ・ワシントンもイギリスからの移民の子孫であったから、いわば祖国との対決である。新天地、自由の国、そしていまなお移民の国であることを象徴している。
この自由と独立の戦いで最も勇敢に戦ったのがスコッチ・アイリッシュだった。これは北アイルランド出身の移民たちのことである。そしてカトリック系アイルランド人、そしてスコットランド人も、つまりウイスキーの国からの移民たちが独立のために戦ったのである。そしてジャーマン・アメリカンたちも独立のために戦った。
ところが。アメリカ合衆国建国後の1791年、独立戦争の出費を補い、財政安定のために、はじめて酒税が導入される。これに怒ったのがスコッチ・アイリッシュをはじめとした蒸溜を手がけていた移民の“ウイスキー・ボーイ”たちである。彼らは独立戦争に身を捧げただけに激怒した。5,000以上もの蒸溜業者がいたペンシルヴェニアをはじめいたるところで反乱が起き、1794年には暴動が過激化する。これを「ウイスキー戦争」と呼ぶ。
ワシントン大統領の兵によって鎮圧されたのだが、“ウイスキー・ボーイ”たちは続々とアパラチア山脈を西に超え、まだ政府の目が行き届かないケンタッキーへと新天地を求めたのだった。こうしてケンタッキーはウイスキーの里へとなっていった。
「ウイスキー戦争」翌年の1795年、ジェイコブ・ビームは樽詰めバーボン、オールド・ジェイク・ビームを発売し、本格的に蒸溜業を開始している。
(第23回了)