アメリゴではなくアメリカとしたのは、古いプトレマイオスの地図にヨーロッパ、アフリカ、アジアと“a”で終わるラテン語の女性名詞が使われていたためだった。ちなみにラテン語で男性名詞の場合はAmericusとなる。
さて、アメリカは移民の国である。人口比率において、つい最近になってヒスパニック系に逆転されるまで祖先がドイツ系というジャーマン・アメリカンが最大グループだったことはあまり知られていない。
ヨーロッパからの移住者たちが最初に建設した植民地はバージニア州ジェームズタウンで1607年のことだったらしいが、そのときドイツ人も数名入植したといわれている。イギリスから清教徒、ピルグリム・ファーザースがボストン近郊に上陸したのが1623年。遅れること60年、1683年にドイツはクレーフェルトの13家族がフィラデラルフィアに到着する。
それから後、つぎつぎとドイツからの移民がアメリカにやってくるようになる。当初アメリカを我がものにしようとしたオランダやイギリス、フランスなどといった国々とは異なり、小国が入り乱れて群雄割拠だった当時のドイツは政治的に不安定で宗教的弾圧もあり、人々は新天地を求めたのである。植民地を広げようといった国策的なものが生まれようもなかったのだ。それゆえドイツ系の人々は雨水が大地にしみ込むかのように、とても自然なかたちでアメリカの大地に根を張っていくことができたのかもしれない。
だからこそ近年まで最大民族グループであったのだろう。
彼らはアメリカに到着すると、まずビールをつくった。そしていろいろなものを開発したりもたらした。時代は飛ぶが、わかりやすいものを少しだけ挙げてみる。
西部開拓時代に活躍した幌馬車(Planwagen)はドイツ移民の手によるものだ。そのヴァーゲンが英語のワゴンとなった。
幌馬車の幌よりも少ししなやかな布から、金採掘で濡れても破れたりしない作業着が生まれた。ドイツ移民のレヴィ・シュトラウスがLevisの商標でその作業着ジーンズを量産し、いつの間にかアメリカの国民服といえるほどに生活に浸透した。
他にはハインツのトマトケチャップ、ケロッグのコーンフレーク、ハンバーグステーキにハンバーガー、フルンクフルトソーセージはホットドッグとなった。
ここまで歴史のほんの一端を駆け足で述べたが、次回からはアメリカの独立とウイスキー、そして名酒ジムビームを生んだジャーマン・アメリカン、ビーム家の動きを語っていこうと考えている。
アイリッシュでもなく、スコッチでもない。トウモロコシから生まれるバーボンウイスキーは、移民の国アメリカが生んだ独自の酒である。
(第22回了)