WHiSKY on the Web 製品紹介ウイスキーとやきものの出会い > 響35年 十三代今右衛門作〈色絵薄墨草花文洋酒瓶〉-4
ウイスキーとやきものの出会い 響35年 〈色絵薄墨草花文洋酒瓶〉
今右衛門氏と響35年
十三代今泉今右衛門

十三代今泉今右衛門 大正15年、十二代今泉今右衛門の長男として佐賀県有田町赤絵町に生まれる。昭和24年、東京美術学校(現・東京芸術大学)工芸科卒業後、家業の伝統技術の継承につとめつつ、日本工芸会所属作家として新時代の色鍋島の創作に挑戦。昭和50年、十三代今右衛門を襲名し、「色鍋島今右衛門技術保存会」をつくる。
「染付吹墨」※1、「薄墨吹墨」※2技法を開発して色鍋島の新しい表現を確立したとして、平成元年、重要無形文化財「色絵磁器」保持者(いわゆる人間国宝)に認定された。平成8年、財団法人「今右衛門古陶磁美術館」開館。平成13年10月13日、逝去。享年75歳。
氏は、人間を愛し、酒を好み、ウイスキーを酌み交わしつつさまざまな分野の人々と芸術談義を交わすことをこよなく楽しんだ。作品の背景にはこうした「心のふれあいを重視する」人間性豊かな美意識が流れていた。


色鍋島と今右衛門窯

有田焼は元和二年(1616年)、泉山での陶石発見によって日本最初の磁器産地となった。中国の赤絵技法の導入も早く、色絵付けの先進技術により有田磁器は隆盛を極めていく。佐賀藩主・鍋島侯は、この技法の流出を恐れ、寛文年間(1661〜72年)、赤絵付師十一軒を赤絵町に集め、藩窯による色鍋島の独占的地位を確立。中でも将軍家や諸大名家への注文品や城内用食器の色絵付けは、技術の優れた今右衛門家のみが許されることとした。これらの作品が今日、色絵磁器の最高傑作として知られる「色鍋島」である。

※1「染付吹墨」とは初期伊万里にみられた染付の技法で、呉須(藍色の絵具)を霧吹きして模様を浮かび上がらせたもの。
※2「薄墨吹墨」とは十三代が確立した薄墨色(グレー)の絵具を吹き付ける技法。
これにより色鍋島に幽玄の美が加わったとされる。

前のページへ 1.色絵薄墨草花文洋酒瓶 2.響35年の誕生 3.有田焼とサントリー 4.今右衛門氏と響35年
| ウイスキーとやきものの出会い トップ |