製品紹介 > ウイスキーとやきものの出会い > 響35年 十三代今右衛門作〈色絵薄墨草花文洋酒瓶〉-4 |
大正15年、十二代今泉今右衛門の長男として佐賀県有田町赤絵町に生まれる。昭和24年、東京美術学校(現・東京芸術大学)工芸科卒業後、家業の伝統技術の継承につとめつつ、日本工芸会所属作家として新時代の色鍋島の創作に挑戦。昭和50年、十三代今右衛門を襲名し、「色鍋島今右衛門技術保存会」をつくる。 |
有田焼は元和二年(1616年)、泉山での陶石発見によって日本最初の磁器産地となった。中国の赤絵技法の導入も早く、色絵付けの先進技術により有田磁器は隆盛を極めていく。佐賀藩主・鍋島侯は、この技法の流出を恐れ、寛文年間(1661〜72年)、赤絵付師十一軒を赤絵町に集め、藩窯による色鍋島の独占的地位を確立。中でも将軍家や諸大名家への注文品や城内用食器の色絵付けは、技術の優れた今右衛門家のみが許されることとした。これらの作品が今日、色絵磁器の最高傑作として知られる「色鍋島」である。
※1「染付吹墨」とは初期伊万里にみられた染付の技法で、呉須(藍色の絵具)を霧吹きして模様を浮かび上がらせたもの。 |
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