2019/04/16/TUE
『碧Ao』が切り拓く、ウイスキーの新しい世界
自社の世界5大ウイスキー原酒をブレンドした『碧Ao』の開発を指揮したチーフブレンダー、福與伸二。
その熟練の技が生み出した、味わいの秘密に迫る特別インタビューを公開する。
語=
文=阿佐美良一
写真=井手康郎
『碧Ao』そのはじまりと
挑戦の軌跡
2014年、サントリーグループはビーム社と手を組み「ビームサントリー(現サントリーグローバルスピリッツ)」という一大スピリッツメーカーを誕生させた。同時に世界5大ウイスキー産地に自社の蒸溜所を保有。その時からこの新しい挑戦ははじまっていた。世界5大ウイスキーの蒸溜所を擁する唯一のスピリッツメーカーともなれば、誰もが世界5大ウイスキーの原酒を用いたブレンデッドウイスキーという夢を描くだろう。継承と革新を掲げるサントリーのウイスキーづくりの新たな挑戦として世界5大ウイスキーブレンドの実現は必然の流れだったのだ。中味開発をリードした福與の、淡々とした物腰から垣間見えるのは妥協をゆるさないウイスキーへのこだわりだった。「そのアイデア自体は『碧Ao』の製品化が決まる以前に社内の各署から聞こえていました」。そう語る福與も程なくして各国の蒸溜所へ視察に向かったという。その後、『碧Ao』のプロジェクトが発足。チーフブレンダーとして正式にプロジェクトに招聘されたときの感想は意外なものだった。「ともかくやったことがないということ。各国の蒸溜所にどんな原酒があって、それらを掛け合わせたときに、どんな味わいがするのかもわかりませんでした」。話を受けて、一体どうしたものかという戸惑いが隠せなかったと、福與は素直な感想をもらした。
未知へのトライアルに迷い
模索する日々
「実際に話が来たときは、最終的な仕上がりは想像つきませんでした」。そう当時を振り返りながら福與はつづける。「日本のウイスキーであれば、だいたいの役割は熟知しているので、すぐにブレンドをスタートできますが、各国の蒸溜所の原酒はブレンドによる個性がわからないため、どこから手をつけていいか見当がつかなかったんです。また、どのような香味を最終的に立てていくのかも未知数でした」。そこで福與は、手はじめにより多く原酒のサンプルを各国から集めてテイスティング。「野球にたとえるなら、足が速いのか、守備が上手いのか、打つのが得意なのか、それぞれの個性を丹念に確かめる作業を進めていきました」。アプローチの方法としては、まず一つ一つの個性をきちんと掴むこと。そして、ブレンドしたときにどういう振る舞い方をするかを見ていった。こうして基本となる原酒の「味わいの情報」を蓄積し、まったくの手探りで迷いながらの挑戦をつづけたという。
100の試行錯誤を支えた
チームワーク
ウイスキーのブレンド工程は通常チームで行われる。今回も長年ともに仕事をしてきたブレンダーをもう一人招き入れて『碧Ao』のためのチームを編成し、クオリティの高い製品づくりをめざしたという。「チームでディスカッションをしながら研鑽を重ねていくメリットは、それぞれ違う角度から味わいを見ることができる点です。たとえば、私がバーボンの甘さを強めようとブレンドの配合を調整したとします。それをもう一人がテイスティングして甘さと同時にウッディさが強く出過ぎていることに気づく、といったように。互いに指摘しあうことでポイントを見逃すことなく、より立体的に配合を考えることができるのです」。長年積み重ねてきた信頼関係とあうんの呼吸も『碧Ao』の誕生に一役買ったようだ。「通常でも長期間かけて中味開発にあたることはありますが、今回は圧倒的に密度が違いました」。その言葉にはチーフブレンダーとして苦悩してきた福與の実感がたしかに込められていた。その結果、ちょうど100番目のサンプルでブレンドのベースとなるレシピが完成。『碧Ao』のプロジェクトの話を受けてから、およそ1年半の歳月がたっていた。実際、100番目の答えに辿り着くまでの道のりには、いくつもの困難が待ち受けていた。次回、そうした壁を乗り越えて『碧Ao』を仕上げたブレンドの真髄に迫る。どんなストーリーが待っているか、グラスを片手にイメージを膨らませてみてはいかがだろう。
CHIEF BLENDER
1961年愛知県生まれ。名古屋大学農学部農芸化学科卒業。サントリースピリッツ株式会社 ブレンダー室長 チーフブレンダー。84 年サントリー株式会社入社。白州ディスティラリー(現在の白州蒸溜所)、ブレンダー室を経て、96年に渡英。ヘリオットワット大学(エジンバラ)駐在や、モリソンボウモア ディスティラーズ(グラスゴー)への出向勤務の後、02年帰国。03年に主席ブレンダー、09年にチーフブレンダーに就任。山崎の各種限定シリーズをはじめ、数多くのサントリーウイスキーを手掛ける。