THE OOLONG-CHA WORLD HISTORY | ウーロン茶の世界史 〜ウーロン茶は紅茶の母である〜

紅茶って、元々はウーロン茶だったということをご存じでしょうか?その壮大なウーロン茶の世界史を、ここでは順番にお話しします。またクイズにお答え頂き全問正解された方には、全問正解認定書が与えられます。ぜひチャレンジしてください。

茶のインドへの伝播

中国のお茶だけでは追いつかない!

19世紀、産業革命によってイギリス経済が発展すると共に、お茶需要は地域的にも階級的にも広がりをみせていました。もはや、中国からの輸入だけではまかなうことができなくなっていたのです。そこでイギリスは、輸入に頼らず、自国の植民地でお茶を栽培することを目論みました。1823年、イギリス政府の密命を帯びたロバート・ブルース海軍少佐は、当時ビルマの支配地であったアッサム地方に入り、そこで自生する茶樹の存在を突き止めたと言われています。

中国以外でお茶を探して

翌年の1824年、ロバート・ブルースの弟であるチャールズ・ブルースは、第1次イギリス・ビルマ戦争勃発のため、砲艦の指導者としてインドのアッサムとビルマの国境に近いサディヤに派遣されてきます。そこでチャールズは、兄から聞かされていた茶樹と種子を、ジュンポー族の首長ビーサ・ガムから受け取るのです。ジュンポー族とは、中国南部雲南省周辺に古くから住むチベット系民族の流れをくむ少数民族です。茶の木は、遠く雲南省からこのサディヤまで、少数民族の移動に伴って運ばれたのかもしれません。

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