39あしたの花インタビュー 假屋崎省吾さん〈中編〉
園芸があったから今がある
―――華道をきっかけに花器、空間、着物と、多方面のデザインにご活躍されている假屋崎さんですが、大学時代に華道を始めてから、どのような経緯で幅広いお仕事をするようになったのでしょうか。
華道に目覚めて、いけばな教室に通うようになった頃、突然父が亡くなってしまったんです。59歳でした。大学を出てからはアパレルに就職したのですが、すぐにこれは自分が求める人生とは違うんじゃないかと思い、3ヶ月できっぱりと退職し、ちょうどお花をいけるのが面白くなっていたので、ファーストフードやスーパーでバイトしながらいけばな教室に通い続けていました。その頃、銀座や神田の画廊を巡るようにもなっていましたね。良いものを観たいという衝動に駆られて、色々なものを観るようになっていきました。
画廊には作家さんがいて、そこでコミュニケーションが生まれます。感想を聞かれ、答えたりするうち、自分でも個展をやってみたいと思うようになったのです。
しかし、銀座や神田の画廊は借賃が高く、それに作品をつくるには材料費も運搬費もかかります。バイト代が時給380円の時代に、40万50万円なんて何十年たっても貯まるわけがありませんよね。そんなある日、母の前でポロッと「個展を開きたい」と口にしたんです。すると次の日、母が「省吾、これを使いなさい」と言って100万ほどの大金を用意してくれたのです。父が亡くなっていたので、母が自身の老後の蓄えとして保険や年金を少しずつ貯めていたお金だったのですが、そんなことよりも息子の夢をと母は思った様です。本当に、小さい頃からどんな時でも応援してくれる人でした。
(プレゼントしたサンパラソルをご自宅のエントランスに飾っていただきました。)
―――すごいお母様ですね。しかし假屋崎さんの仕事を辞める決断も早いですが、お母様の思い立ってからの行動も早いですね。きっと血筋なのですね。
きっとそうだと思います。
母のおかげで28歳の時に個展を実現するわけですが、いけばなで個展というのは、ただお花をいけただけじゃ面白くないと思ったんです。その時は父が亡くなった後だったので、親孝行の意味を込め、父の好きだった「園芸の土」を素材に表現しようと考えました。インスタレーションという現代美術の範疇になるのですが、個展を重ねるうちに、美術評論家の方から「美大も出てないのに現代美術の作家としてちゃんと成り立っている、面白い。」と言う評価をいただけて、〈美術手帖〉や〈アサヒグラフ〉に掲載されるようになったのです。
そのうちに「土の作家」として見てもらえるようになり、企画展のお話を頂くようになりました。その頃は空間の仕事にも面白さを見いだしていたので、ディスプレイや店舗設計もやるようになりました。お花だけじゃなく、ガラスや鉄、廃材を使ったり、建築資材に色を塗ったり、室内だけでなく野外でも行ったりと、幅広い作品をつくるようになっていきました。
こうして作品を世界に発信できるようになると同時に、テレビに着目されるようになったのです。
―――空間のお仕事に興味を持たれたきっかけは何だったのでしょうか。
父は築地の中央区役所の建築課に勤めていました。昔から神社仏閣が大好きで、家族で旅行に行っては色々なところを巡りました。それで私も神社仏閣が大好きになり、建築にも興味を持つようになったのです。父は昔の貴族とか財閥が建てた洋館や和館の平面図や設計図をあちこちで買い集めていて、私はそれを見るのが大好きでした。
それがあって、今「歴史的建築物に挑む」という、古い建物にお花をいけるという個展を全国で展開しています。
それぞれの場所でお花を栽培している農家さんと仲良くさせていただき、そのお花を使って作品をつくったりもしています。お花が売れない時代になってしまったので、自分がいけた花が一人でも多くの方の目に触れて、自分でもいけてみよう、育ててみようという気持ちになってもらえるような、そんなお手伝いをさせていただいてます。この活動は町おこしにもつながるし、経済効果にもつながります。お花の生産者にスポットを当てて、こんなに良いものを作っている方がいるんだよと伝えたいのです。
(インタビューで使わせていただいた假屋崎さんのご自宅の「花サロン」。とっても広いです。)
―――ご自分の作品というだけではなく、生産者さんにも目を向けられているのですね。
着物のデザインもしているのですが、着物はお求めくださる方もお召しくださる方も少なくなっているので大変な状況です。もちろん高級ラインのものも作りますが、手を出しやすいリーズナブルな価格帯も考えて作らせていただいています。
いけばなも着物も、みんな日本の伝統文化。日本には独自の良いものや文化があるのに、それがどんどん失われつつあるわけです。日本の伝統、産業、工芸、そういったものの火を消さないこと。もっと活性化しなくてはいけないと思うのです。それはお花の生産者の方の支援にもつながると思い活動しています。
―――華道から広がったと言うより、ご両親とやってきた園芸やその他様々な体験が、今の活動につながって行ったのですね。
花との生活があったから、そこに小さい頃から園芸があり、それがいけばなにつながり、個展をするようになって、いろいろな方々とのご縁が生まれました。それがディスプレイやインテリア、建築、デザインへと広がり、そしてテレビへとつながって今の私があります。根っこは園芸だったのです。
園芸があったから今があると言う假屋崎さん。花と様々な経験をつなげながら、新しいことにチャレンジされていらっしゃいます。次回〈後編〉では、幼少の頃から花に親しむことの意味について、そしてこれまで園芸やいけばな等をほとんどしたことの無い初心者の方々に向けたアドバイスをいただきます。