38あしたの花インタビュー 假屋崎省吾さん〈前編〉
家を買うより花を買う両親
花の魅力・花の可能性・花のちからを、未来に向けてより多くの人々につないでいくために、2019年、サントリー花事業30周年を機にこの「あしたの花にできることプロジェクト」はスタートしました。
であれば、そろそろ花のプロ、花の世界で活躍されている方に、花のちからをどのようにお考えなのかご意見をお聞きしたいということで、記念すべき第一回は、メディアでもご活躍され大人から子供まで「カーリィー」の愛称で親しまれている、華道家の假屋崎省吾さんにご登場頂きます。
〈前編〉〈中編〉〈後編〉の全3回でのお届けです。
―――今、新型コロナウイルスでステイホームの方が多い中、お庭で、ベランダで園芸を楽しむ方が増えているそうです。華道家として有名な假屋崎さんですが、幼少の頃に園芸と出会ったのが花の仕事に就くきっかけだったとか。最初に、今の假屋崎さんにつながるご家族とのエピソードをお聞かせください。
父親は鹿児島県、母親は長野県の出身で、ふたりとも田舎出身で自然に親しんで生活してきた人でした。
戦争、そして復興を経て、両親は、私が生まれるちょっと前に、石神井の都営住宅に抽選で当たって引っ越してきたんです。2軒がつながった棟割長屋というもので、6畳と4畳半とトイレとお台所、お風呂は無いけれど広い敷地がありました。
その広い敷地に両親は植木や球根、宿根草(多年草)など様々な植物を植えていて、一年中何かしらの花が咲いている、そんな家庭でした。
私がまだ幼い頃、誕生祝いにと桜の木を植えてくれたんです。その木が毎年だんだんと大きくなっていくにつれ、自分も園芸を手伝うようになったんです。見様見真似でシャベル片手にジョロ持って、水やりしたり花苗を植えたり。丹精込めて育てる。そして花が咲く。育て甲斐を感じる。そんな喜びを感じるようになったのは両親のおかげです。
小学1年生の時、ちょうど今頃の季節のエピソードなのですが、庭にバラが咲いたんです。育ててきて、やっと咲いた一番花。朝早く自分がそれを見つけて母を呼びました。すると母は母屋からハサミを持ってきて、そのバラを目の前でチョキンと切ってしまったんです。私はビックリして、これから1週間、10日と、家族みんなで楽しめるのになんてことを!と思ったのですが、母はそのバラを新聞紙で巻いて、「これ学校へ持っていきなさい」と言うんです。私は朝一番で学校へ行って、そのバラを担任の先生に渡しました。担任の先生は新聞紙を開けて「あらっ!」と嬉しそうな声を上げ、牛乳瓶に一輪挿しにして教壇に飾ってくれました。
みんな朝早く、男の子も女の子もまだ眠い目をこすりながらボケっとしていた時間。バラが発している香りや色、そのエネルギーを感じると、「わぁきれいだね!」って言う子や、目をぱっちりさせる子、それぞれが反応し始めたんです。
母がバラを持たせたのは、そういう事なんだなとその時気づきました。
家族四人で楽しむのも良いけれど、私の同級生に、花のエネルギーやパワーを感じてもらって、美しいものを愛でる気持ちを芽生えさせてくれたのかなと。
花って、みんなを喜ばせたり、元気にしてくれたり。やっぱりすごいちからがあるなと思うんです。
(こんなご時世なのでマスク着用でのインタビューでしたが、撮影の時だけ外させていただきました。)
―――ご両親とも園芸がお好きだったのですね。
花はもちろん、旅行も大好きで、釣りも好き、そして音楽も好きでしたね。特にクラシックが大好きでLPもたくさんあり、コンサートにもたくさん連れていってもらいました。だから家には預金が1円も無かったんです。全部使い果たしちゃう!
普通の親だったら頭金を貯めてマイホームを買いましょうって思うんでしょうけど、公務員である父は、国民全員が持ち家にならないと自分が家を持つなんて有り得ない、という堅物だったんです。
―――ご両親からの影響は園芸だけでは無いのですね。
私は、小学生の時はバイオリン、中学生ではピアノを習わせてもらいました。そういう応援もしてくれましたね。男の子がこんなことしちゃいけないとか、男の子なんだからこれしなさいとか一切言わずに、それどころか好きなことを応援してくれる、そんな両親でした。
―――園芸、そして音楽と、ご両親から様々な機会を与えられたということですが、華道との出会いはどのような経緯だったのでしょうか。
大学生の時に、たまたまテレビをつけると〈婦人百科〉という番組があって、そこで器に花をいけてお部屋に飾るというのを観たんです。母は、いけばな教室に通って免状を取っていたけれど、家ではほとんどいけていませんでしたし、親戚にもいけばなの関係者なんて一人もいませんでした。なので、たまたまその番組を観て、自分が育てている花を器にいけてお部屋を彩るという発想に感動があったんです。それですぐに教室を探して、大学2年の頃から通うことになったんです。
―――きっかけはテレビなんですか!?
そう、テレビなんです。きっかけって、本当にちょっとしたことなんですよね。そのテレビが無ければいけばなとは繋がりがなくて、今、華道家にはなっていないですね。
(青いカーネーション「ムーンダスト」。假屋崎さんがインタビュー開始前にいけてくださいました。)
ご両親から園芸のきっかけを与えられ、テレビを観たのがきっかけで華道の世界に足を踏み入れた假屋崎さん。
次回〈中編〉では、華道から更に広い分野へと活躍の場を広げることになった経緯をお話いただきます。