SPIRITS of SUNGOLIATH

スピリッツオブサンゴリアス

ロングインタビュー

2011年4月27日

#240 辻本 雄起 『変わらなきゃいけない』

◆気がついたらラグビーをやっていた

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—— 大地震の時はどこにいましたか?

大阪で会社の研修中でした。大阪でも揺れている時間が長くて、東北地方では震度7という情報も入って来て、びっくりしました。その時はしばらくニュースを見ることが出来なかったので、どんな状況かとても心配していました。夜、テレビで見て、本当に衝撃的でした。

—— 阪神・淡路大震災も経験されてますか?

はい、ですのであの時を思い出しました。当時は神戸の実家にいて、まだ朝早かったので寝ている時で、びっくりしました。家は一部損壊していて、傾いたりしていました。

阪神・淡路大震災もその後、余震が続いて、不安な日々を過ごしたことを忘れません。今回の地震も余震がまだ続いているので、とくに東北の皆さんはとても不安だと思います。近所の人や地域の人とお互いに助け合って、1人ではない、という気持ちで居てほしいと思います。

自分として今回なにが出来るという訳ではないですが、節電したり、あるいはボランティアなどで何かお役に立つことがあれば、積極的にやっていきたいと思っています。

—— さて、出身地は神戸と言うことですが、いつまで居たんですか?

兵庫県神戸市に、高校までいました。大学に入ってから、滋賀県で1人暮らしをしました。

—— ラグビーを始めたのは何歳ですか?

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5歳です。ラグビースクールに入ってラグビーを始めました。

—— きっかけは?

父親がずっとラグビーをしていて、僕は3人兄弟で兄と姉がいるんですけど、兄がラグビースクールに通っていて、そこで父がコーチをしていたんです。それで気がついたらラグビーをやっていたという感じですね。もう覚えていないんですけど、当時は僕が「やりたい」と言ってラグビースクールに入ったみたいなんです。母親以外はラグビーをやったことがあるんです。

—— お父さんはどこでラグビーをやったんですか?

一応、神戸製鋼でラグビーをやっていました。

—— ではお父さんはサントリーと対戦をした経験があるんですか?

いや、かなり前のことで、神戸製鋼の7連覇(1988年~1995年)が始まる前に辞めているので、サントリーとはやっていないと思います。林敏之さんと一緒にやっていたらしいです。

—— お父さんのポジションは?

ロックでした。身長が180cmで、昔だと大きい方だったんですけど、いまのロックの選手と比べるとそんなには大きくないですよね。

—— お兄さんはいまもラグビーを続けているんですか?

ずっとラグビーを続けていて、いまも大阪府警でラグビーをしています。

—— お兄さんのポジションは?

いろいろやっていて、最初はロックとか3列目(フランカー、No.8)をやっていたんですけど、社会人になってウイングをやったりしていたらしいです。僕と一緒でデカくなりにくいというか、細身なんですよ。いろいろポジションをやって、いまは3列目に戻ったみたいです。

—— お父さんやお兄さんが辻本選手のプレーを見て、何か言ってくれることはあるんですか?

大学くらいからは言ってこなくなりましたけど、昔はありましたね。そこまでガツガツは言われなかったですけど、小学、中学の時は言ってきていました。けど兄貴とは、あまりラグビーの話をした記憶はないですね。

◆仲間がどんどん増えて面白い

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—— ラグビーを面白いと自覚したのはいつ頃ですか?

小さい時は日和佐と同じ兵庫県ラグビースクールでプレーしていました。そのラグビースクールには幼稚園からラグビーをやっていたグループと、小学校からラグビーを始めたグループがいて、僕と日和佐は幼稚園から始めたグループなんですね。そのラグビースクールでいまだに繋がりがある5人がいるんですけど、そのうちの3人が幼稚園からで、残りの2人が小学校から始めた人たちです。高校で進路がバラバラになっちゃったんですけど、日和佐とはまた一緒にラグビーをしているんですよ。凄いですよね。他の3人は大学まではラグビーをやっていたんですけど、そこでラグビーをやめたみたいです。

それでコーチに素晴らしい方が多くて、小学校の県大会で結構いいところまで進んで、準優勝とか3位とかになっていたんです。だから優勝を目指して仲間と一緒に頑張っていて、その時にラグビーが面白いと感じました。キツイと思うこともありましたけど、仲間がどんどん増えていって、面白いと感じるようになりました。

—— 日和佐選手は昔から変わらないですか?

日和佐の「スピリッツ・オブ・サンゴリアス」でもありましたけど、1人でラグビーをやっていて、恩師に怒られたってあったじゃないですか(vol.208)。本当にそんな感じでしたけど、プレーは上手かったですね。小学校の時は、結構独走していたってイメージがあります。

—— ラグビースクールに通っている時から、このままラグビーを続けようと思ったんですか?

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小学校の時に1回、ラグビーが面白くないと思った時があったんですけど、そういう時でも父はじっと見守っていてくれて、ときどきラグビーを教わることもありました。ただ一緒にプレーしたという記憶はあまりないんですよ。グラウンドでラグビーの話をしたり、ボール遊び程度のことはやっていましたね。

中学の時に兵庫県のラグビースクールの選抜チームがあって、その選抜に選ばれることに憧れていたんです。それで中学1年の時に、選抜のCチームに選ばれて、そこで更に頑張ろうと思いましたね。そして中学2年の時はBチームに上がることが出来て、最終的にはAチームでプレーすることが出来ました。その選抜に選ばれたことで、ラグビーへの取り組み方も変わって、本格的にやろうと思いました。小学6年の時に、なんか面白くないなって思った時もあったんですけど、選抜に行き始めて、頑張ろうって思えるようになりました。

—— 面白くないと思ったのは、何か理由があったんですか?

はっきりと覚えていないんですけど、その時に何かあったんかな...(笑)。たぶん自分自身の問題です。

—— 選抜のAチームには日和佐選手がいたんですか?

日和佐はたしか中学2年の時からAチームで出ていましたね。僕はその時にBチームで、3年の時は一緒にプレーしました。

—— その時点で、仲間でやるラグビーの面白さ以外で、面白さを感じたところはありましたか?

やっぱり選抜でプレーして、自信を持つことも出来ましたし、いろいろな高校からも誘いがきました。頑張れば、そういうチャンスがあるんだと思って、更に上に行きたいという気持ちを持ちましたね。

—— ラグビー自体の面白さはどこにありましたか?

やっぱりビッグゲイン出来たときとか、ターンオーバーが出来たとき、あとはラインアウトが上手くいったときは面白かったですね。そういうのが徐々に出来てきたときは、「自分でも出来るんや」って思って、更に楽しくなっていきました。去年出来なかったプレーが、今年は出来たとか、学年が上がるごとに楽しくなっていきました。

◆神戸製鋼も横で練習

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—— 高校はどこに進んだんですか?

滝川高校です。ただその高校にはラグビー部がなかったんですよ。いろいろな強豪校から誘って頂いて考えたんですけど、家から通うのは遠いところだったりしたんです。滝川第二高校はスポーツ校だったんですけど、滝川高校は中高一貫の進学校でした。家の近くに兄貴も行っていた星陵高校っていう公立高校があって、そこは文武両道で、当時は兵庫県でベスト4に入るくらいの強豪校だったんですよ。兄貴の試合も見に行っていたので、星陵高校に行こうと思っていて、もしそこがダメだったら滝川高校に行こうと思っていたんです。兄貴が高校受験のときも受かるか五分五分で、僕も五分五分で受験したんですけど、兄貴は受かって、僕はダメでした(笑)。それで滝川高校に行ったんです。

けどたまたまシックス(SCIX)ラグビークラブというチームがあって、そこには中学の部、高校の部、一般の部があったんです。僕は中学時代からSCIXラグビークラブと試合をする機会があって、滝川高校に行ったら、SCIXラグビークラブに入ってラグビーをやろうと決めていました。

—— SCIXラグビークラブではどうでしたか?

週2回、神戸製鋼の灘浜グラウンドで練習をしていました。神戸製鋼も横で練習をしていたので、練習や試合を見る機会も多かったですね。

—— 練習日以外の日は何をやっていたんですか?

友達からバスケットに誘われたり、いろいろな部活を見に行ったりしていたんですけど、なんか中途半端で面白そうじゃなかったんですよ。ラグビーをメインでやりたいと考えていて、部活をすることで週2回の練習に行けなくなるのも嫌だったので、親にジムに通わせてもらって体を鍛えていました。そんな本格的に体を作っていたという感じではなかったですけど、ある程度のことはやっておかなきゃと思って、ずっとジムに通っていました。そんなに成果は出ていなかったですけどね(笑)。

—— 当時から真剣にスポーツをやりたいという考えを持っていたんですか?

高校もラグビーをやって当然と思っていたのに、高校では出来ないという思いと、さっき言ったラグビースクールの5人のうち僕以外の1人も同じ境遇で、そいつと一緒に星陵高校でラグビーをしようと思っていたら、2人とも受験に失敗したんです。それでそいつと一緒にSCIXラグビークラブに入ってラグビーをやりました。そいつはバスケット部に入ったり、上手くラグビーと両立していたんですけど、僕はバスケットに魅力を感じなかったので、ジムに通ったんです。

—— 週2回の練習はとても大事になりますね

そうですね。だから楽しくラグビーも出来たのかもしれません。高校のラグビー部に入った人には、理不尽なことがあったり、いろいろと辛い思いもしてきたと思うんですよ。けど僕の場合は週2回で、上下関係もなく、ラグビーをする環境が凄く良かったですね。

—— 何人くらいで練習をしていたんですか?

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中学の部と高校の部が一緒に練習をするんですけど、30人くらいでやっていましたね。

—— 隣で神戸製鋼の練習を見ていて、どう感じましたか?

憧れの存在でしたね。ただ神戸製鋼でプレーするという思いよりは、大学でもラグビーを続けようという思いでいました。

—— 小学校の時から、ずっとラグビーを続けようという思いだったんですか?

昔からずっとやるもんだというよりは、その都度その都度で続けたいと思っていましたね。

—— なぜ大学でもやろうと思ったんですか?

週2回の練習で、思い切り出来なかったという思いもありましたし、自分がやってきたことがどれだけ通用するのかという思いもありました。

—— SCIXラグビークラブで大会などの思い出は?

高校生のクラブチームというのがほとんどなくて、花園とかには出られないんですよ。春の県民大会には出られるんですけど、高校総体には出られなくて、春の大会に懸けてやっていました。僕が高校1年の時は、その時に花園に出た関西学院と試合をして、123対0くらいで負けました。その時の記憶はほとんどなくて、フワ~って負けた感じですね。悔しいと思わないくらい、コテンパンにやられましたから。

そして2年の時に、2回戦でまた関西学院と試合をして、17対5くらいで善戦したんです。そこで僕らの代の時はもっといいところまでいくぞという気持ちになったんです。3年の時はくじ運にも恵まれて、いつも練習試合をする高校と当たって、勝てるっていう気持ちで試合に臨んだら、そこで負けて終わってしまいました。その対戦校のキャプテンをやっていたやつが、仲が良かった5人のうちの1人なんです。

◆コミュニケーションを大切に

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—— 大学はどうやって選んだんですか?

その負けたいちばん最後の試合を、たまたま立命館のリクルーターの方が見て下さっていて、誘って頂いたんです。ただすぐには決められなかったですね。当時、立命館もそこそこ強かったんですけど、もっと強い同志社などでやることも考えました。そこで親父から立命館が良いんじゃないかって言ってくれて、行くことを決めました。

—— 立命館に行ってみてどうでしたか?

僕なんかはキツイ思いもせず、大学ラグビーがどんなところで、先輩もいなかったので立命館がどんなところかを知らずに行ったんですけど、こんなこと言ったら怒られるかもしれないですけど、当時は高校ラグビーで燃え尽きたやつが結構いたんですよ。外国人コーチがいたんですけど、チームとしてはバラバラで、大学生活を楽しめればいいという人もいたんです。その時に大学ラグビーってこんな感じなんだって思ったんですけど、そこで僕がフラフラしてしまったら、いままでラグビーを続けてきた意味がないと思ったので、その1年は頑張れたと思います。ある意味新鮮な感覚でラグビーをやっていた記憶がありますね。

—— 学年が上がるにつれてどうだったんですか?

このままのチームじゃダメだってことで、チーム内の改革があって、新しく監督が来たり、勝つためにはどうすればいいかという選手自身の意識も変わっていきました。完璧にチームが変わるまでは時間がかかりましたけど、僕が2年、3年になるにつれて、徐々にいい方向に変わっていきました。1年の時は関西で優勝するって言っても、無理無理という雰囲気だったんですけど、チームが変わってからは関西で優勝するという雰囲気になっていきました。

—— 4年生の時はどうでしたか?

僕がキャプテンをやっていて、チームの雰囲気は良くなったんですけど、なかなか結果がついてこなかったんですよ。雰囲気だけでも勝てないから、もっと厳しくやらなきゃいけないと思って、ずっと4位だったので、まずは去年の成績を超えようっていう思いで厳しくやっていました。けど結果が出ず、5位に終わってしまいました。大学選手権には出られたんですけど、毎年のごとく1回戦で負けてしまいました。

—— やり残した感があるまま大学が終わった感じですか?

あの時にああしておけば良かったという後悔はなかったですね。

—— 辻本選手が持つキャプテン像はどういうものでしたか?

一体感を大切にしました。僕はオラオラ系でもないし、強力なキャプテンシーがあるわけでもないので、コミュニケーションを大切にしていって、周りをサポートしていければと思ってやっていました。だから自分のプレーや私生活、規律に関しても責任を持って、意識してやっていました。チームとしてはまとまっていたと思いたいですね(笑)。周りから見ていると批判しやすいですけど、自分たちの代になって初めてわかることもいっぱいありましたね。

◆ジョージに教えてもらいました

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—— どうしてサントリーを選んだんですか?

僕が大学3年の時に、長谷川慎さん(元サントリーフォワードコーチ)がフォワードを教えに来て下さったんです。その時に僕が特別に何かをした記憶はないんですが、サントリーの方に「大きくてなかなかいいやつがいる」って言って下さってたみたいで、3年の時の夏合宿の時に、武山さん(哲也/副部長)と坂田さん(正彰/チームディレクター)が見に来て下さったんです。サントリーから声を掛けてもらえるなんて信じられない感じでした。日本のトップのチームから声を掛けて頂けるなんて、めったにないことで、当時は「え!?ホンマかよ」って感じでした(笑)。

—— 実際にサントリーに決めたのはいつですか?

そこから大阪で武山さんと坂田さんと話をして、チームの施設やグラウンド、寮などを見学させてもらって、日本一を目指せる環境で、高校や大学は日本一を目指せる環境ではなかったので、サントリーの様な日本一を目指せる環境でラグビーが出来るなら、自分の可能性に賭けてみたいと思って決めました。

—— サントリーに入って1年経ちましたが、どうですか?

いい時もあれば、どん底を見た時もありましたけど、少しずつでも成長は出来ているんじゃないかって思います。春の時は日本代表の選手がいない中プレーをして、いいプレーの時はちゃんと認めてもらえて嬉しかったし、夏合宿の時もいいプレーが出来て、プレマッチの東芝戦にも出ることが出来たので、このまま出続けることが出来るんじゃないかって思っていたんです。けどそこから段々とパフォーマンスがあまり良くなくなっていきました。

これが原因というはっきりしたものはないんですけど、練習では上手くいっても、それを試合で上手く発揮できなかったり、そういう準備の部分であったり、ルーティーンが確立出来ていなかった部分、メンタルの部分で、自分のパフォーマンスを最大限に発揮できていなかったですね。10月、11月くらいはしんどかったですね。それで1月くらいにジョージ(グレーガン)にルーティーンについて教えてもらいました。

◆ここって時に力を発揮できるようになりたい

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—— 来シーズンへの課題は何ですか?

試合に対する準備をしていなかったわけではないですけど、その準備が上手く出来ていなかったんです。トップの選手はやっぱり確立しているものがあると思うので、そこを上手くやっていきたいですね。練習でいくらパフォーマンスが良くても、試合でそれが出せなければ使ってもらえないと思うので、ここって時にしっかりと力を発揮できるようになりたいですね。そういうところで発揮できなければ、チームからも信頼されないと思いますし、そこは来シーズンの課題ですね。来シーズンも同じことをやっていれば、この先ずっと出られないと思うので、変わらなきゃいけない部分だと思っています。

—— もともと本番に強いとか、そういう感覚はあるんですか?

大学の時とかは、自分の中でコンスタントに力を発揮できるというイメージがなかったかもしれないですね。

—— 体力的な面に関しては、チームの練習にはついていけましたか?

チームの中でも上位の方にいることができたので、運動量に関しては通用したかなって思います。

—— 辻本選手のセールスポイントはどこになりますか?

まだまだフィジカルの部分が課題なので、サポートや走れるところですね。ラインブレイクが起きた時に、いちばんに戻ってくるとか、運動量をもっと活かしたプレーを心掛けてやらなきゃダメだと思いますね。

—— ご家族とは最近ラグビーについて何か話しましたか?

親父とも話しますけど、姉とはメールや電話で話したりします。姉も女子ラグビーで日本代表とかになっていて、貴さん(松平/通訳)とはもともとクラブチームも一緒で、ずっと知っている仲だったので、最初から貴さんのことは知っていたんですよ。姉から聞いたんですけど、やっぱり僕が試合に出ていないので、親父も寂しがっているみたいですね。実家に帰った時は「お前、いつ出んねん」とか言ってきて、もちろん応援はしてくれているんですけど、僕が試合に出たら、もっと感情移入して応援してくれると思うので、早く試合に出なきゃと思っています。

—— ファンにメッセージをお願いします

チームは日本選手権で優勝することが出来て良かったんですけど、個人としては、新人の中で僕だけ試合に出ることが出来ず、悔しい思いをしたので、来シーズンは違った自分をどんどん出せるように頑張りたいと思います。引き続き応援よろしくお願いします。

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(インタビュー&構成:針谷和昌/編集:五十嵐祐太郎)
[写真:長尾亜紀]

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