2010年10月18日
#208 日和佐 篤 『悔しかった思いを胸に』
◆筋力が上がりました
—— 出身はどこですか?
兵庫県神戸市です。法政大学入学で上京してきました。それまではずっと神戸にいました。
—— 新人の中で公式戦出場第1号で、第2節の試合(リコー戦)に出てみてどうでしたか?
負けていたので、テンポを上げようということだけを考えていました。出場して最初のプレーでミスしてしまったんですけど、そのあとは「取り返したろ」という気持ちでやりました。緊張することはなかったですね。
—— もともと緊張はしないんですか?
緊張はしないですね。ミスしたら取り返そうという感じです。
—— ではあまり調子には乗らないんですね?
たぶんそうだと思います(笑)。
—— 出来はどうでしたか?
たまたま結果が付いてきただけで、ミスもありましたし、いま思えば70点くらいですね。
—— 大学でも社会人のチームと試合をやる機会はあったかと思いますが、実際に公式戦を戦ってみてどうでしたか?
練習試合とかと変わらず、いつもの感じで出来たと思います。
—— サンゴリアスに入ってきた時は、学生と社会人のギャップは感じましたか?
ブレイクダウンと練習に対する意識がぜんぜん違いましたね。ブレイクダウンの圧力というか、大学の時は当たってもぜんぜん大丈夫だったんですけど、社会人では受けちゃってやられてましたね。
—— もう慣れましたか?
ある程度は慣れましたね。学生の時はあまりウエイトをやってこなかったんですけど、いまウエイトを頑張って筋力もある程度ついてきたので、踏ん張れるようになりました。
—— ではウエイトをやればやるほど筋力がついていく感じですか?
だいぶ筋力が上がりましたね。スピードに関してはあまり自信がないんですけど。
—— もう1つの練習の意識とは、例えばどういうところですか?
ミス出来ない雰囲気がありますね。大学の練習の時はミスしても、ヘラヘラしている時もあったんですけど、そういう雰囲気はないですね。あとみんなONとOFFの切り替えが上手ですね。
—— すぐその雰囲気には入り込めましたか?
最初は戸惑いましたけど、すぐ慣れましたね。
—— それは高校、大学に入った時も同じような感覚でしたか?
高校、大学の時でもすぐ慣れましたね。一段階ずつ上がっていく感じです。
◆取りあえず喋れ
—— リコー戦後の記者会見でエディーさん(ジョーンズ/GM兼ヘッドコーチ)が「日和佐は日本のジョージ・グレーガンになる男だ」と言っていましたが、それに対してどう思いますか?
素直に嬉しかったですし、期待されている以上はやらなきゃいけないと思っています。
—— それは常日頃からエディーさんに言われているんですか?
言われてはいないですが、ジョージ(グレーガン)、キヨさん(田中澄憲)、耕太郎さん(田原)の良いところを盗んでいけと言われています。
—— 盗めていますか?
見ているんですけど、レベルが高くてなかなか難しいですね。あとは直接聞いたりもしています。
—— どんな感じで教えてくれるんですか?
「もうちょっとフォワードを使ってみたらどうだ?」とか、大学の時は自分の力で何とかなっていたんですけど、いまは自分の力では何とかならない状況もあるので、「取りあえず喋れ、ずっと喋れ」と言われますね。みんな「喋れ、コミュニケーションが大事だ」って教えてくれます。
—— 学生の時よりも喋るようになりましたか?
喋るようにはなりましたけど、まだ黙ってプレーしちゃう時があるので、まだまだですね。
—— 試合中にいちばんコミュニケーションを取る人は誰ですか?
スタンドオフとNo.8、あとロックですね。セットプレーが大事だと思っているので、コミュニケーションは密に取るようにしています。
—— いま自分のいちばん得意なプレーは何ですか?
球さばきです。ラックから出るボールをより速くさばくことですね。
—— コツはあるんですか?
コツはビビらないことです。ちょっと遅れるとテンポが遅れるので、ボールが見えたらすぐ取りに行って出すようにしています。
◆パスするようになって、さらに楽しく
—— スクラムハーフになったのはいつからですか?
高校1年からです。それまではスタンドオフをやっていたんですけど、背が大きくなくて通用しないと思ったので、ハーフをやりました。
—— ラグビーはいつからやっているんですか?
幼稚園からです。
—— ではそこから振り返りましょうか?ラグビーを始めたきっかけは?
父親が高校時代の体育の授業でラグビーをして、面白かったらしく、僕が4、5歳の時に地元のスクールに入れてもらいました。
—— 他に兄弟はいますか?
お兄ちゃんがいます。お兄ちゃんもラグビーをやっていたんですけ、もう止めています。たぶん始めたのは一緒の時期だったと思います。
—— やってみてどうでした?
物心がついた時にはボールを触っていたので、始めた時の記憶はないんですが、いままで続けてこられたということは、めちゃくちゃ楽しかったんですね。
—— 足は速かったですか?
そこそこです(笑)。
—— 小学校に入っても同じスクールでラグビーを続けたんですか?
中学まで同じスクールでした。
—— 小学校の時に楽しかった思い出はありますか?
僕はボールを持ったら1人で行ったりして、結構1人でプレーしていたんですよ。それで恩師に「1人でラグビーやってんちゃうぞ。お前だけが楽しむんじゃなくて、周りを楽しませるプレーヤーになれ」って言われて、そこからパスをするようになって、さらに楽しくなりましたね。
—— ポジションはどこだったんですか?
スタンドだったんですけど、ボールもらったら、そのまま自分で行っていました(笑)。試合になってなかったですね。
—— パスし始めたのはいつ頃ですか?
小学4、5年生くらいですね。周りを活かせるというのが楽しかったです。
—— 恩師に言われて、プレーを変えてすぐ出来るのは、すごい小学生ですね
最初は戸惑いました。自分で行きたいという気持ちもありましたからね。
◆キヨさんのプレーはずっと見ていた
—— 中学まで同じクラブでやって、高校はラグビーの強い高校を選んだんですか?
ラグビーを本格的にやるつもりで強いとこを選びました。
—— 高校でポジションをスクラムハーフに変えたわけですね?
身長が166cmなので、ハーフだったら生きる道があると思ったので、自分から監督にお願いしてやらせてもらいました。中学2年生の時にスクール選抜でハーフで選んでもらって、その時のスタンドが玲央さん(岸和田)だったんですけど、その時にハーフをやってみて、「ハーフもいいな~」という思いはありました。
—— 高校では1年生からレギュラーだったんですか?
3年生のバイスキャプテンをやっていた人がハーフで、その人がたまたまシーズン中に怪我をしてしまい、そこから僕が試合に出るようになりました。
—— スクラムハーフはどうやって学んだんですか?
もう見よう見まねですね。先輩の人だったり、キヨさんのプレーも見ていました。キヨさんのプレーはずっと見ていました。
—— それは体格的に似ていると思ったからですか?
それもありますけど、プレースタイルが凄いと思ったからですね。
—— 明治大学に行こうとは思わなかったんですか?
明治はフォワードのチームの感じがして行かなかったですね。目標としてキヨさんを見ていました。
—— 一緒のチームにいてどうですか?
いろいろ教えてもらえて、めっちゃ幸せですね。
—— スクラムハーフとしてやっていけると思ったのはいつ頃ですか?
高校2年生の時ですね。フォワードのケツ引っ叩いてもやったろうと思っていました。
—— その自信を持ったきっかけは何ですか?
もしかしたら天狗になっていたかもしれないですが、誰にも負ける気がしなかったですね。試合では良いところも悪いところもあったんですが、通用するという感じでしたね。
—— 高校時代でもっとも印象に残っていることは何ですか?
高校2年生の時に国体に出て、当時は茨城のチーム強かったんですが、その茨城との試合でなぜか2トライもしてしまったんです。試合は同点で抽選で負けてしまったんですが、その頃は茨城が日本のトップで、そのチームと対等に試合が出来たことがいちばん印象に残っていますね。
◆口が達者
—— 挫折知らずという感じですか?
挫折...。ないですね~(笑)。怪我することもなく、順調ですね。
—— キャプテンやバイスキャプテンの経験はありますか?
高校3年の時にキャプテンをやり、大学ではバイスキャプテンをやりました。口が達者なんだと思います。
—— それはご両親の影響ですか?
それはないんですが、思っていることをミーティングでもパッと言えるタイプなんですよ。ハーフには合っているのかもしれないですね。
—— ずっとラグビーをやってきて、いつ頃ラグビーの面白さに気づきましたか?
負けず嫌いで、小学生の時は試合に負ける度に泣いていました。絶対に勝ちたいという思いを表に出せて、それで勝った時は嬉しいですね。体と体がぶつかり合うところにも魅力を感じます。
—— 話を聞いていると、小学生の時以降はあまり泣いていないんじゃないですか?
結構泣きましたね(笑)。本当に負けることが嫌でした。
—— 他のスポーツをやってみようと思ったことはありますか?
小学校の周りの友達が野球をやっていたので、野球もやってみたくなって、1~2週間だけ少年野球に通ったんですけど、「面白くないな~」って思って行かなくなりました(笑)。バット振るのも9人に1回だし、守備していてもボールが飛んでこないし、ピッチャーとキャッチャーしか野球してないやん、という感じでしたね。
—— 子どもの時からよく動きまわっていたんですか? よく動いていました(笑)。それでラグビーをやらせたのかもしれないですね。
◆速くて良い球をバックスに
—— 大学を法政大学に決めた理由は何ですか?
自分のプレースタイルに合っていると思ったことと、あとは監督の勧めもありました。
—— そこに岸和田選手がいることは知っていたんですか?
知っていました。また一緒に出来るのは楽しみでしたね。
—— 学生の時にサントリーに練習にも来ていたんですよね?
来ていましたが、社会人と練習をするのが嫌でしたね(笑)。絶対に負けるじゃないですか。もうそれが嫌だったんです。
—— 大学時代の成績はどうでしたか?
勝ってはいましたが、要所要所で負けてしまっていました。
—— 大学時代に課題などはありましたか?
球さばきを課題に置いていました。いかに速くさばくか、ということを意識していました。
—— それは球さばきが遅かったからですか?それともそこがポイントだと思ったからですか?
そこが法政の生きる道だと思ったからです。正直、フォワードはあまり強くなくて、バックスにタレントが揃っていたので、いかに速くさばくかが、チームの生きる道だと思いましたね。速くて良い球をバックスに出そうと意識してやっていました。
—— フォワードは別にして、いまのサントリーに近いですね
いまもバックスに速くて良い球を出すことを意識してやっています。
—— 大学時代にいちばん印象に残っていることは何ですか?
玲央さんが4年生の時、関東学院に逆転で勝った試合があるんです。その時はいまと同じように、ほとんどキックを使わずに、ペナルティも全部クイックでやっていました。そしたら、相手が後半ラスト5分くらいで、完全に足が止まって、逆転出来たんですよ。その時は楽しかったですね。
—— 法政大学の練習もたくさん走っていたんです?
チームとしてそんなに体が大きくなかったので、走り勝とうということで練習では走っていました。
◆1回は日本一になりたい
—— いままで優勝の経験はありますか?
ないですね。大学でも優勝できなくて、高校では優勝までほど遠かったんで、1回は日本一になりたいですね。
—— そういう観点も含め、プレーも合っていると思い、サントリーに決めたわけですね?
小さい頃からサントリーの試合を見ていて、サントリーに入れたらいいなという思いがありました。永友さん(洋司/現キヤノンイーグルス・ヘッドコーチ)も見ていましたし、キヨさんも見ていました。
—— 日本代表の経験はありますか?
高校の時に、高校日本代表の候補までは選ばれましたが、そこまででしたね。社会人で日本代表になりたいですね。
—— サントリーに入って、最初の印象的なことは何ですか?
練習中は先輩方が怖いなと思っていたんですけど、グラウンドを離れると優しくて、フランクな感じなんだなと思いました。
—— 日本のトップのチーム、リーグに入って、いまの楽しみは何ですか?
まず日本一になれるチームに入ったことが楽しいですね。憧れていたキヨさんのもとでプレーが出来ることも楽しいです。ジョージも耕太郎さんもいて、日本のトップレベルのチームに入れたことが、いまはいちばん楽しいですね。
※(このことを田中澄憲選手に伝えると)
「嬉しいですね。あいつが高校生の時に府中に試合しに来たんですよ。あいつが高校3年生で僕がサントリーのキャプテンで、日和佐は僕の高校(報徳学園)の後輩で、茨城の茗溪学園が関東遠征に来てて、グラウンドを貸して欲しいということで、府中で試合をしたんです。それを僕は見に来て、高校生の頃から日和佐は上手くて、「これはいい選手になるだろうな」と思って、こういうパス練習しろとかいうことを教えて気がします。それで期待通りの成長をして、サントリーに入ってくれて嬉しいですね。この前も、日和佐がどこかで見たことあるパス練習してるなぁと思って、「この練習誰に教えてもらったの?」と聞いたら、「ここに来た時キヨさんに教えてもらったんじゃないですか」と言われて、その練習をいまだにやってるんですよね。自分も嬉しいし、何で俺はこの練習しなくなったんだろうと思い出して、僕もその練習をまたするようになりました。初心に帰れるきっかけを日和佐がくれました。タイヤの中にボールを置いて、それをラックに見立てて、そこからボールを出して良いパスを出す練習です。」
◆ジャージを着続ける
—— ここまで来たら、幼稚園の時にラグビーやらせて良かったとお父さんから言われないですか?
言われないですね。やめたかったらうあめろと言っていましたし。
—— 応援には来ますか?
学生の時から、試合に出る時は来てくれていました。
—— 今年の目標は?
チームとしては優勝。個人的にはジャージを着続けることです。
—— 順調で悩みなどなさそうですが、悩みはありますか?
ま、特にないですね。能天気なんで(笑)。
—— 性格が能天気ですか?
だと思います。昔から、あまりクヨクヨしてもしょうがないと思っていますね。
—— 中期的な目標は?
来年ワールドカップがあるので、そこに食い込みたいですね。ただ自分のプレーが完成していないので、まだ早いかなと思っていますけど。2011年のワールドカップを視野に入れつつ、その次の2015年を目指したいですね。
—— 自分のここを見てくれという部分はどこですか?
クイックスタートが得意なので、そこの強気なプレーを見てほしいですね。
—— このインタビューを振り返ってみても、全く挫折がないですね
僕、ジャージが着られなかったことがなかったんですよ。春シーズンに怪我をしても、シーズンまでには回復していました。ただいままでやってきた中で、初めてジャージが着られなかったのが開幕戦のトヨタ自動車との試合ですね。
そこがめちゃくちゃ悔しかったんですよ。リザーブでも入りたくて、入る気満々で練習もしていました。それでも入れなくて、ホンマに悔しかったです。その思いを胸に、いまは必死です。
(インタビュー&構成:針谷和昌/編集:五十嵐祐太郎)
[写真:長尾亜紀]