SPIRITS of SUNGOLIATH

スピリッツオブサンゴリアス

ロングインタビュー

2006年6月23日

#24 佐々木 隆道 『トライよりも相手を一発で仰向けに倒したときが嬉しい』- 2

◆早稲田には入りたくなかった

—— 大学で早稲田を選んだのは?

早稲田には入りたくなかったんです。ほんとは同志社に入りたかった。清宮さんに誘われて早稲田に入りましたが、それまでの早稲田のイメージは練習はしんどいわ、みんないい家で違う世界、早稲田は外から見るもので、僕なんかが入るところじゃないと思っていました。当時の啓光学園の高校生は、ちょっと遊びたい願望を持っていて、今から考えればはき違えていたけども、面白くて自由なものにすごく憧れていたんです。

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でも入るときは行く気満々になっていて、実際に入ってみて早稲田に来て良かったと思ったし、清宮さんに誘ってもらわなかったらどうなってたか...ほんとに個人的に成長したし、他の大学で得られないものが、あの大学にはあると思いました。伝統からくる人を思う気持ち、仲間に対する気持ち、日本でいちばん注目されていることへの責任がありました。そして清宮さんは人々に感動を与えるということを掲げているんですが、4年間それを目の当たりにしてきました。

僕が1年生のときに、山下大悟というカリスマ的な人間に会って、早稲田を知ったんですが、最初、理解できなかったんです。なんで先輩たちは泣いてんだ?理解できないって思っていました。でも自分が4年生になると泣いている(笑)。自分が試合に出ないのに、仲間の姿を見て涙が出てくる、みんなのいろんな思いがすごくわかって、ぜんぶの気持ちが向いているところが同じでした。みんなの気持ちが「荒ぶる」だったし「トップリーグに勝つ」という目標が一緒でした。みんなの思いも4年間かけてわかりました。理解するのにも時間がかかるんです。赤黒ジャージに対するこだわりも、最初は「あれ、着れちゃった、やったー」って感じでしたから。

◆ラグビーはすべて普段の生活とつながっている

—— ラグビーを始めたのはいつからですか?

中1のとき始めましたが、中学でやめると思っていました、しんどすぎて。もっと普通に遊びたいと思っていて、それが大阪の中高生の普通の流れだったんです。中学では大阪代表に運良く選ばれましたが、そこで出会った啓光学園の中学生のレベルが普通と違っていてすごかったんです。そのとき、こいつらと一緒にやりたいと思いました。啓光のみんなは人間的にもすごくいいやつばかりで、高校に入ってからの毎日が楽しかった。結果を残す学校だけあって、しんどさもありましたが、すごく楽しかったんです。それまで気合いでラグビーをやってましたが、ここで理論的なラグビーを学びました。ラグビーは奥が深いなぁと思いました。

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高校ではナンバーエイトとロックをやっていたんですが、ひとつひとつのディフェンスの動きに対して、すべて意味があってそこにいるし、ここであえて次に防御にまわるのは、こういう意図があってまわっているんだとか、とても入っていきやすい指導 だったんです。意味もなく走るのではなく、すべてに意味がある。そういう点で、段階的にいい巡り合わせだったと思うんです。中学では気合いが入って、高校では理論 的に教えてもらって、人間性の大事さも学びました。

—— 監督は何という方ですか?

記虎先生(記虎敏和/現・龍谷大学ラグビー部監督)です。僕の恩師ですが、その先生が言ったのが「人間的にラグビーはすべて普段の生活とつながっている。当たり前のことを当たり前にできる人間になりなさい。それがぜんぶラグビーにつながる」ということなんです。これは実際に体感することが2回ありました。試合前に地元の友達と遊びに行ったらプレーがよくなかったし、怪我するし、あげくの果てはメンバーから落ちたんです。自分への甘さが試合中の責任感のなさに繋がって、軽い責任のないパスを出すし、タックルもそうだし、そういうときに真面目にやっていないと、ふとしたときに出るんだなぁと思ったんです。

周りから見たら大したことないんですが、僕の中ではそれが大きくなっちゃっていて、自己満足かもしれませんが、そういうところ、それをベースにラグビーがあるから、真面目にやれると思っています。ラグビーがなくなったら真面目である必要もなくなるし、そうするとまた違ってるところに移っていくんでしょうけども。

◆お姉ちゃん子で弱い子だった

—— 子供の頃はどんな子供でしたか?見るからにガキ大将だと思うんですが

そうではなかったんです。昔、幼稚園の頃はイジメられっ子でした。幼稚園に行くのが嫌でしょうがなかったんです。それであるとき、親にイジメっ子の家に連れて行かれて、遊んでこい、って言うんです。相手の子も、遊んであげて、っていわれて、それからガキ大将たちと仲良くなって、自然とガキ大将になって行くんです(笑)。

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姉と弟がいて、僕はお姉ちゃん子で弱い子供だった。いつも姉と一緒にいました。6歳違いなのが、お姉ちゃん子になってしまう理由でしょうね。お姉ちゃん離れしたのは、幼稚園で友達ができてからですから。

—— じゃあもう小学校ではブイブイいわせてた?

小学校ではブイブイいわせてました(笑)。幼稚園の年中のときに株が上昇し始めて、この頃は上向きっぱなしでした。小学校では野球をやっていましたが、そんなに上手くなかったんです。練習がなくて試合がぶっつけ本番の野球で、当然負けます。ピッチャーとショートとサードをやっていました。花形ポジションですね(笑)。でもぜんぜん打てなかった。

◆初めてラグビーをやった後にスカッとした

—— 野球を続ける気はなかったんですか

坊主頭になりたくなかったんです。坊主が嫌で中学では野球部に入らなかったんです。それで最初みんなについてバスケ部に入って、でもやってみたらつまらなかった。僕には合わなかったんですね。何だこれ?って思って、途中でサッカー部にまたみんなと入って、ここでもあまり上手くないから面白くなくて、練習に行かなくなりました。

それからラグビー部の友達に誘われてラグビーをやってみました。夏過ぎぐらいに初めてラグビーをやってみて、面白いなと思っちゃったんです。やった後にスカッとした。みんなラグビーを始めたばかりだから、ヨーイドンのスタートでしたし、がんばればトライもできるし、タックル入ったら褒められるし、すごく気持ちが良かったんです。それで、面白いなぁ、と思って、話をしていても友達がすごく楽しくて、いまでも友達でいるやつがいっぱいいるんですが、面白いやつが多くて、どんどんラグビーにのめり込んで行ったんです。

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—— そうやって始めたラグビー、どういうときがいま嬉しいですか?

ディフェンスで相手を一発で仰向けにしたときとか、1人でジャッカル(*寝ているボールキャリアーのボールを立った状態で上から取る)したときですね、1コのトライよりも、そういうプレーの方がいいプレーだと思っています。

—— 最後にもう一度確認、イジメられっ子からガキ大将という経歴、いま見た目は喧嘩っ早そうです

自分にされるとやり返しますが、あまり好きじゃないです。やられたらやり返しますが、僕らの仲間の中では、先に自分から手を出したら負け、なんです。でももし手を出されたら、倍返しですよ(笑)。

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(インタビュー&構成 針谷和昌)

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