SUNTORY CHALLENGED SPORTS PROJECT

「 チャレンジド・スポーツ アスリート奨励金」動画企画 -Our Stories- 第二弾 シッティングバレー・波田みか選手に密着。 "シッティングバレー"とともに成長 彼女の姿に迫る。

「 チャレンジド・スポーツ アスリート奨励金」動画企画 -Our Stories- 第二弾 シッティングバレー・波田みか選手に密着。 "シッティングバレー"とともに成長 彼女の姿に迫る。

「サントリー チャレンジド・スポーツ アスリート奨励金」は、地域におけるチャレンジド・スポーツ(パラスポーツ)の普及拡大を目的として、各都道府県、政令指定都市の障がい者スポーツ協会から推薦を受けたチャレンジド・スポーツの未来を担う若手アスリートと各協会・競技団体等に対して給付するものです。

今回は第1,2期に採択された1人、シッティングバレー選手の波田みかさんを取材しました。

母の影響で始めたバレーボールが大好きだった波田みか選手。小学6年生の時に骨肉腫となり、右足に人工関節を入れる手術を行い、一時はスポーツを諦めた彼女が出会ったのが「シッティングバレー」でした。代表として活躍する彼女のこれから目指すところ、シッティングバレーを続ける思いについて聞きました。

動画には収まりきらなかった、波田選手へのインタビューを一部、記事として紹介します。



Q.病気(骨肉腫)が見つかった小学校6年生の時、どのように気持ちを切り替えてシッティングバレーをはじめたのですか?

入院している時は治療のことだけで頭がいっぱいで、今までやっていたバレーボールができなくなることまでは、考えられずにいました。いざ足の手術すると決まった時に、もうバレーができなくなるということを受け止めたと思います。

しかし、父がシッティングバレーの存在を見つけてくれたことですぐに気持ちを切り替えられて、チャレンジしてみたい!という思いで挑みました。



Q.いつから代表として大会に出場していたのですか?

初めて試合に出たのは、2016年3月のリオ大会の最終予選です。この時は中学3年生で、シッティングバレーに取り組んでからまだ2〜3年の頃でした。国際大会に出るのもこの大会が初めてで、とても緊張していましたね。海外の選手の姿を見て、すごく圧倒されたことを覚えています。まだ全然技術も無かったので、いつか私もこのぐらいのレベルになりたいなと感じました。



Q.国際大会への出場を経て、いろいろ目標を見つけて頑張っていた矢先に東京大会の延期が決まってしまったんですね。

もちろんできればプレーしたかったですが、そこは受け入れて、延期によって試合までの時間が長くなったので、その間にもっと上手くなれるなと考え、前向きに捉えていました。



Q.その時期に別の病気(脳腫瘍)になられたと聞いたのですが、どこか異常を感じられていたのですか?

もともと偏頭痛持ちではないのですが、 ある時から週に1・2回頭痛があるなというのを感じてました。それが急に、ある日の朝からずっと泣き叫ぶぐらい痛くなって...。1日中何を食べても飲んでも吐いてしまうような状況になってしまいました。病院に行ったらそのまま入院することになりました。

Q.東京大会に出場できないと分かった時、すぐにボランティアとしてチームに携わることを決めていましたが、実際に活動してみてどうでしたか?

やっぱり現場はすごく大変でした。今まで選手として見れなかった部分をボランティアとして見て、 本当に朝早くから夜遅くまでたくさんの人が動いていらっしゃるんだなというのを感じました。私自身は主に、試合間にボールやベンチの消毒をする作業を担当していました。作業を確実に終わらせて時間通りにゲームを進める必要があったので、結構忙しく歩き回ってました。



Q.ボランティアとして大会を見て、日本チームの試合をどのように感じましたか?

課題がいっぱいあるということを痛感しました。結果的に一勝もできなかったことは、私たち日本チームの今の現実だと思います。やっぱりもっともっと強くならなきゃなというのは外から見てて思いました。



Q.今後の目標を教えてください

今まで強化指定選手の中では1番下っ端だったのですが、最近は新しい選手が入ってきてメンバーもガラッと変わってきました。そこでこれから、今のチームをもっともっと雰囲気の良いチームに持っていきたいなと考えています。

私は若い子たちを育てていく立場にあるので、積極的な発言を率先して行うことで年齢関係なくいろいろ言い合えるチームになれたらいいのかなと思います。

PASSION FOR CHALLENGE
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