SUNTORY CHALLENGED SPORTS PROJECT

#25「年齢関係なく限界に挑戦し続ける、ひたむきなカッコよさを追求したい」 パラスノーボード  岡本圭司選手

#25「年齢関係なく限界に挑戦し続ける、ひたむきなカッコよさを追求したい」 パラスノーボード 岡本圭司選手

「サントリ チャレンジドスポ プロジェクト」をげ、多彩なパラスポツとパラアスリ支援ぐ「サントリと、集英社のパラスポ応援メディア「パラスポ+!」。両者がタッグをみ、今最注目すべきパラアスリトやパラスポツにわる仕事情熱的わる人々にフォカスする連載OUR PASSION」。2021年夏によってもたらされたムブメントをやさず、さらに発展させるべく、3のチャレンジに

かつて日本を代表するプロスノーボーダーとして世界と戦った岡本圭司選手が、雪山での不慮の事故によって脊髄損傷の大怪我を負ったのは2015年。「二度と歩けないかもしれない」。一時はそれほどの逆境に立たされながら、過酷なリハビリを経て奇跡的に「パラスノーボーダー」として雪山に返り咲き、みごとパラスノーボード日本代表選手に選出された。そんな「第二のアスリート人生」を謳歌する岡本選手に、初体験した北京の世界的大会で感じたことやこれからのキャリアへの展望などをたっぷりと語っていただいた。

―3月の大きな大会を終えて、多忙な日々が続いているそうですね。

はい。パラスノーボード選手としての活動と並行してSAJ(全日本スキー連盟)でも仕事をしているのですが、みんな大会前や大会期間中は気を使って全然連絡してこなかったのに、帰ってきた途端めちゃくちゃ働かされています(笑)。

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―SAJでは具体的にどういった活動をされているのでしょうか?

競技運営委員として、スノーボードのスロープスタイルと、ビッグエア部門のコースコーディネーターを担当しています。近年、日本のコースは世界のそれと比べてあまりよくないと言われていたので、なんとか世界基準のコースを、僕らが若い選手たちに提供してあげたいという思いでやらせていただいています。

―スロープスタイルとビッグエアは、まさに岡本選手がフリースタイルの競技者として活躍されていた頃にメインフィールドだった競技ですね。

僕らが若い頃というのは、それこそ「エクストレイル・ジャム」とか「トヨタ・ビッグ・エア」といった世界的なライダーも数多く参加する、ハイレベルな大会が国内でもいっぱいあったんですけど、そういった先人たちがやってきてくれたことに対して、今度は僕たちが若い選手たちをサポートすることで返したいという気持ちが強いです。たぶん僕は今の日本でいちばんコースデザインが上手だと思いますので(笑)、質の高い大会をどんどん作っていきたいですね。

―そのようなシーン全体を強化するためのプロジェクトと、パラスノーボード競技者としての活動を掛け持ちするのはかなり大変なのではないでしょうか。

確かに忙しくはありますね。でも周りの仲間やスタッフが、僕がパラアスリートとして競技を続けている意義をすごく理解してくれているので、とてもいいサイクルで仕事をさせてもらえていると思います。また後輩たちに大会運営に積極的に携わってもらったり、他にも、例えば動画を撮影する教育をしてみたり、自分の活動が、プロスノーボーダーのセカンドキャリア的なものを作っていくことにも繋がれば、という思いも強いのでやりがいがありますね。

―ここからは3月に経験された北京での大会についてお聞きしていきます。大会前、岡本選手は北京について、大怪我を克服したからこそ得られた「人生におけるボーナスステージ」とおっしゃっていました。実際にその場に立って、率直にどんな思いでしたか?

緊張することもなく、純粋に楽しめました。ただ、レースそのものは難しかったですね。今大会、スノーボードクロスとバンクドスラロームの両種目ともに、かなりフラットで大きなコース設計だったため、体重が重くてパワーのある選手が軒並みいいタイムが出る形になったんです。だから僕をはじめ、体重が軽くてテクニックを持ち味にしているライダーは全体的にかなり苦しいレース展開になってしまったんですよ。得意なスタートセクションもゆるいコブしかなくて、普段のようにそこで前に出ることができなかったですね。

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―スノーボードクロスで8位、バンクドスラロームは13位(ともに下肢障がいLL2クラス)。岡本選手の中では悔いの残る結果だったということですね。

持っているものはすべて出し切って精一杯やったので、いい経験だったし楽しかったんですけど、自分の中で大切にしていた、テクニカルな部分を発揮できないままレースを終えてしまった感じです。パラスポーツというものがどんどん活性化していく中で、パラスノーボードもここ1年くらいでコースが大きく変わっていく流れだったのですが、そこに向けてのプロセスに足りたいところがあったなぁと。テクニックを重視しすぎたあまり、パワーやウェイト面を軽んじてしまっていましたね。そのあたりをもっと考えて対策を立てていたら、もうちょっと上に行けたかもしれないと考えるとやはり悔いは残りましたね。

―体重差が結果に大きく影響してしまう。その点はスノーボードクロスとバンクドスラローム種目全体にとっても、次に向けての大きな課題になりますよね。

世界選手権のバンクドスラロームで勝ったアメリカの選手が59kgなんですけど、彼も今大会は下位に沈んでしまいましたし、平昌大会のLL1クラスの金メダリストも、体重が軽くて今回は表彰台に乗れませんでした。そのあたりは各国の選手間同士でもこのままではいけないな、というふうに話し合ってまして、次に向けて競技全体がより良い形に向かっていけるように、選手みんなでいろんな意見を出していきたいですね。

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―競技の結果以外の部分で、今回の大会で特別に感じたことはありますか?

うん、いろいろとありました。とくに選手村の雰囲気が印象的で。こういう情勢の中なのでやはりウクライナの選手たちには悲壮感が漂っていて、選手みんなが彼らに寄り添うような姿勢でしたし、一方でロシアとベラルーシの選手に対しても、これまで一緒にいろんな大会で戦ってきた仲間たちですから、どうにか出場できないのかという話をみんなでしたり。僕らにとっては、いつものスノーボードライフの延長線上にこの大会もあること、そして同じ障がいを持つ仲間たちで作り上げてきたストーリー、というものをあらためて強く感じましたね。また現地のボランティアの方たちの「自分たち自身が大会を楽しもう」という姿勢にも感動しました。健常もパラも、世界最大のスポーツの祭典というのは何十万人の人たちの支えによって作られているんだなぁと実感しましたね。

―あらためてこの大会に臨むための4年間のプロセスを振り返って、どういう期間だったなと感じますか?

なにしろ初挑戦だったので出てみないと何もわからないという中で、僕の滑るモチベーションのすべてになっていましたね。大会直前に40歳になったんですけれど、世界には僕のような障がいを持つおっさんでも力を発揮できる場所があるんだというところを見せたい、という思いでやってきたので、それをすごくいい形で出せたんじゃないかなって。

―岡本選手にとっては当然の質問かもしれませんが、大怪我、過酷なリハビリ生活を経て、もう一度スノーボードに挑戦して良かったと思いますか?

もちろん思いますね。昔とは違う感覚で競技を楽しめていますから。怪我をして障がいを負う以前は「プロとして勝たなきゃいけない」というプレッシャーの中で日々スノーボードをやっていましたけど、今は目先の勝ち・負けにこだわらず、ただ純粋に、自分が100%納得するかどうかという点だけにフォーカスしながら挑戦することができていますね。それに、今は若い選手たちからもすごく刺激を受けています。2月の健常者の大会で言うと(平野)歩夢のハーフパイプ金メダルや、ビッグエアで(岩渕)麗楽が最後に見せたトリプルコークはすげえカッコいいなと思いましたし、スキージャンプの(髙梨)沙羅ちゃんが、オリンピックでいろいろあった直後にW杯で勝ったことにも感化されましたね。チャレンジに年齢は関係ないというか、若くても歳を重ねていても、限界に挑戦することのひたむきなカッコよさやストーリーをみんなで一緒に作っていけることは本当にすばらしいなって。

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―岡本選手は次のミラノ・コルティナダンペッツォの大会をめざすことを公言されていますが、4年後に向けてはどのような強化プランを考えていますか?

まずは体重を1年に3kgくらいのペースで少しずつ増やしていき、なおかつボードの研究であったり、滑り方もどういうふうにすれば(マヒの残る)右足に体重をもっとしっかり乗せられるかなど、全体的にパワーをもっと増やしていきたいですね。とはいえ、これまで重視してきたテクニカルな部分は損なわずに、出力を上げていきたいという感じですね。

―「スノーボーダー岡本圭司」の新たなストーリーを楽しみにしています。

ここからがパラスノーボードチームの第2章のスタート。みんなでどれだけ限界まで行けるかが楽しみです。日本のパラスノーボードチームを、サッカーやカーリングの日本代表のようにみんなから愛されて応援されるようなチームにしていきたいなと。「パラスノーボードの日本代表、面白いヤツらが頑張っているな」って。また、スノーボードって、例えば負けても「今日は俺の日じゃなかったよ」って素直に勝者を称えられるところが魅力のひとつなんですよ。そういった、選手みんなでセッションしながらストーリーを作り上げていく、スノーボードカルチャーやコミュニティのよさも伝えていきたいですね。

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PROFILE

おかもと けいじ●1982年生まれ、兵庫県出身。高校卒業後にスノーボードを始め、2007年には世界のトップライダーが集う国内屈指のプロ大会「エクストレイル・ジャム」で5位に入賞するなど、日本のスロープスタイル、ビッグエアの第一人者として人気を博す。2015年にスノーボード映像の撮影中の事故で脊髄を損傷して右ひざ下にマヒが残る。過酷なリハビリを経て2018年にパラスノーボード選手として競技生活を再開。スノーボードクロス、バンクドスラロームの2種目で北京冬季パラリンピックに出場。

composition&Text:Kai Tokuhara Photos:Kazuyuki Ogawa,Moto Yoshimura

PASSION FOR CHALLENGE
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