Liqueur & Cocktail

スピリッツ入門 4.テキーラ 歴史と語源

テキーラの歴史

竜舌蘭(マゲイ)の一種、アガベ・アスール・テキラーナ(ブルーアガベ)の茎を原料にするテキーラだが、その誕生説は次のように語られている。
話は18世紀半ば、スペイン統治時代のメキシコは西北の地方のシエラマドレ山脈で起こった山火事に端を発している。ハリスコ州テキーラ村にほど近いアマチタリャの焼け跡には、黒く焦げたマゲイがごろごろと転がっているほどの大惨事となった。ところが、あたり一面、独特の甘い芳香が漂っている。不思議に思った村人がひとつのマゲイの球茎を手で押しつぶすと、チョコレート色の汁がにじみでてくる。汁をなめてみると、とてもおいしい甘味があった。マゲイの球茎が山火事の熱で砂糖を生みだしていたのだった。
これを知ったスペイン人がこの汁を絞り、発酵、蒸溜してみると、素晴らしく格別なスピリッツが誕生した。そして蒸溜所が建てられたテキーラ村がこのスピリッツの本場となっていく。
ただし、竜舌蘭の茎を原料にしたスピリッツはすでに存在していた。"月のピラミッド"で知られる世界遺産に登録されている古代都市テオティワカン。その西暦200年頃に竜舌蘭の一種、アガベ・アトロビレンスの搾り汁を発酵させた醸造酒のプルケ(Pulque)がつくられていたとされる。そして新大陸発見とともに蒸溜技術を持ち込んだスペイン人は、すぐにプルケを蒸溜してメスカル(Mezcal)というスピリッツをつくった。メスカルについての最古の文献は1538年の課税に関する記録だとされている。
よって現在でもアガベからつくられるスピリッツはメスカルと呼ばれ、その中でもテキーラ村を中心とする特定地域で栽培されたアガベ・アスール・テキラーナを原料として、特定地域で蒸溜したものだけをテキーラと特別に呼んでいる。
さてそのテキーラだが、長い間メキシコ国内で愛される地酒の域を脱することはなかった。国境を超えてアメリカに、そしてヨーロッパにテキーラが出荷されたのは1873年になる。それでも広く愛飲されるまでには至らなかった。実際、隣国のアメリカへ正規ルートで輸出されるようになったのは1942年以降のことになる。
注目を浴びるようになったのは1949年、テキーラベースのカクテル"マルガリータ"が全米カクテルコンテストで入選し、まずファッショナブルな舞台に登場した。さらには1957年、ロサンゼルスのミュージシャンだったチャック・リオが作曲したラテン・リズムの「テキーラ」が大ヒットしたことも大きい。
世界中で親しまれるスピリッツとなる最大のきっかけが1968年開催のメキシコ五輪。この大会でメキシコの文化が発信されるとともに、テキーラの輸出量も伸びていく。1972年にはローリング・ストーンズのミック・ジャガーがツアー中のメキシコ公演で、カクテル"テキーラ・サンライズ"の熱烈なファンとなった情報が世界のバーを駆け巡る。翌年にはイーグルスのセカンド・アルバムの中に「テキーラ・サンライズ」という曲が収められ、カクテルやスポーツ、音楽を通じてテキーラ・ファンが拡大していった。
そして、それ以降はウオツカ、ジン、ラムと並び、4大スピリッツとして世界で愛されつづけいる。世界的にみれば地酒ともいえるメキシコというひとつの国のスピリッツが、インターナショナルな酒として愛されるという、極めて稀なケースであり、偉大なスピリッツといえるだろう。

テキーラの語源

テキーラの産地、シエラマドレ山脈の北側に位置する、ハリスコ州はテキーラ村に由来する。
サウザ社の創業者ドン・セノビオ・サウザが、創業した1873年に蒸溜仕立てを早速にボトリングし、テキーラという明記したラベルを貼り、アメリカのニューメキシコ州で開催された種類コンペに出品したことにはじまる。
尚、原産地呼称制成立に貢献したのもサウザ社であった。1974年、当時、世界各地でテキーラの模造品がつくられ、イメージダウンにつながる懸念があった。そこでサウザ社が中心となりメキシコ政府に働きかけたのである。メスカルというナショナルドリンクがあるために規定基準を設けるのに時間がかかった。20年後の1994年、原産地呼称制が成立し、政府機関がテキーラ(テキーラ規制委員会)を管理することとなった。

テキーラ製品情報

4.テキーラ

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