2016年4月29日(金・祝)~6月12日(日)
※作品保護のため会期中、展示替を行ないます。
※各作品の出品期間は、出品作品リスト(PDF)をご参照ください。
〈六十余州名所図会〉は、広重が晩年に手掛けた揃物で、五畿七道、すなわち五畿内、東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道の68ヶ国の名所を描いています。武蔵の国とは別に江戸の図があり、この69図に目録を加えた全70図で構成されます。板元の越村屋平助(こしむらやへいすけ)、通称越平(こしへい)が、嘉永6年(1853)7月から安政3年(1856)5月にかけて出版し、同年9月に梅素亭玄魚(ばいそていげんぎょ・1817~1880)による目録が作成されました。
題材となる場所が全国各地のため、広重は先行する多くの地誌・絵本類を参考にしています。『都名所図会』『摂津名所図会』『東海道名所図会』『北斎漫画』など、その参照先は多岐に渡りますが、とくに大きな典拠となったのが『山水奇観(さんすいきかん)』です。同書は淵上旭江(ふちがみきょっこう・1753~1816)が23年の歳月をかけて実際に諸国を歩き、風景を写生したものが基になっており、実景に取材した正確な描写が特徴です。広重はこれらの図を換骨奪胎しながら、臨場感溢れる画面に仕上げています。
そして、本シリーズでは彫りと摺りの技術が効果的に駆使されています。たとえば、美しいグラデーションを生み出す「拭きぼかし」は、海面や川面、空の表現に深みを与えています。とくに「拭きぼかし」の一種、「あてなしぼかし」は摺師の腕が問われる技術のひとつで、広重作品のなかでは本シリーズから本格的に使われ始めました。《阿波 鳴門の風波(あわ なるとのふうは)》は本コレクションのなかでもとりわけ重要な1図で、渦潮の流れに沿って藍色のぼかしが施されています。出身地である徳島の図に、原氏が格別な思いを抱いていたことは想像に難くありません。また、藍玉を扱う商家に生まれた原氏が、浮世絵の藍色に対する鋭敏な色彩感覚をもっていたことがうかがえます。
本コレクションの〈六十余州名所図会〉はこれまで展覧会への出品歴が無く、本展が初公開となります。まるで摺りたてのような美しさをご鑑賞ください。
〈名所江戸百景〉は、最晩年の広重が取り組んだ名所絵の集大成であり、江戸市中および郊外の名所を主題としています。板元は魚屋栄吉(さかなやえいきち)、通称魚栄(うおえい)で、安政3年(1856)2月から同5年(1858)11月までの間に「広重」落款の作品118図が刊行されました。初代広重没後の翌6年(1859)4月には二代広重によって《赤坂桐畑雨中夕けい(あかさかきりばたけうちゅうゆうけい)》1図が追加され、この119図と梅素亭玄魚による目録1図を合わせ、計120図で大揃いとされます。《赤坂桐畑雨中夕けい》のほかに、広重の没した安政5年9月以降の改印、すなわち出版許可の検閲印がある3図について、二代広重の代作である可能性が指摘されています。
シリーズの大きな特徴とされるのが、近景をクローズアップし、遠景を小さく描き込む大胆な構図です。年次順に見ていくと、最初は俯瞰図が多く、安政3年7月頃から、この極端な遠近法を利用した作品が増えていきました。また初摺では、布を紙に押し付けて凹凸をこすり出す「布目摺り」や「あてなしぼかし」など、高度な摺りの技術が多用されている点も注目されます。〈名所江戸百景〉は海外にまで影響を与えており、《大はしあたけの夕立》と《亀戸梅屋舗(かめいどうめやしき)》を模写したゴッホの油彩画が残されています。
玄魚の目録では作品を春夏秋冬の四季に分類しており、従来はこの配列に沿って展示・掲載を行なうのが一般的でした。しかし、目録は広重没後の編成であり、描かれた季節と分類がずれている箇所も散見されます。また、玄魚の配列に従うと、改印の年月に一貫性が無くなるため、当初の広重の意図を反映しているかどうかについては疑問視されています。そこで本章では、作品を地域ごとに分け、実際に江戸名所を歩いてめぐっているような配列にいたしました。広重の目を通して大江戸観光を追体験していただければ幸いです。
広重が風景版画のトップに登りつめる前、このジャンルで不動の人気を得ていたのが葛飾北斎でした。〈千絵の海〉は日本各地の水辺の景色を描いた揃物で、漁労と水の造形に焦点が当てられています。大判よりも一回り小さい中判錦絵であり、現存数は多くありませんが、その芸術性が高く評価されています。〈冨嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)〉の成功を受けて、相次いで刊行されたと考えられているシリーズで、題名の〈千絵の海〉は、智慧の深さを海にたとえる「智慧の海」の言葉遊びになっています。《宮戸川長縄(みやとがわながなわ)》《下総登戸(しもうさのぶと)》《総州銚子(そうしゅうちょうし)》《相州浦賀(そうしゅううらが)》《総州利根川(そうしゅうとねがわ)》《絹川はちふせ》《五島鯨突(ごとうくじらつき)》《甲州火振(こうしゅうひぶり)》《蚊針流(かばりながし)》《待チ網(まちあみ)》の計10図が確認されており、《上総浦(かずさうら)》《品川》の校合摺2図、および版下絵が残されています。残存例が少ないこともあり、10図が揃っている所蔵先はほとんどありません。本章では、この貴重な10図を全て展示いたします。
広重は生涯を通じて、多くの名所絵の傑作を生み出しました。〈東海道五拾三次之内(とうかいどうごじゅうさんつぎのうち)〉は30代の広重が筆を執った出世作で、これ以後、風景版画の名手としての地位を確立していくことになります。また、大判三枚続の大パノラマ画面に、雪の木曽路、月の金沢八景、花に見立てた阿波鳴門の渦潮を俯瞰的に描いた《木曽路之山川(きそじのさんせん)》《武陽金沢八勝夜景(ぶようかなざわはっけいやけい)》《阿波鳴門之風景(あわなるとのふうけい)》は、晩年期にふさわしいダイナミックな「雪月花」の連作になっています。そして晩年の広重は、肉筆画の世界でも優れた能力を発揮しました。
さらに本章では、葛飾北斎と歌川国芳の揃物を中心に、選りすぐった名品をご紹介いたします。70代の北斎による代表作〈冨嶽三十六景〉、実在および空想の橋を主題とした〈諸国名橋奇覧(しょこくめいきょうきらん)〉、諸国の名瀑を廻る〈諸国瀧廻り(しょこくたきめぐり)〉、そして広重と同じ年に生まれた国芳による、江戸名所を主題とした〈東都〉〈東都名所〉のシリーズ、《近江の国の勇婦お兼(おうみのくにのゆうふおかね)》など、江戸後期を彩った浮世絵師たちの競演をご覧ください。
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