人はなぜ、バーに行くのでしょうか。 私たちは、あの扉のむこうに、何を期待しているのでしょうか。 おいしい飲み物や食べ物? 楽しい会話? いや、それだけではない「何か」が、バーという空間の魅力を形づくっている……。バーに足を踏み入れたことのある読者のみなさまなら、このような想像を巡らせたこともあるのではないでしょうか。
バーという「場」に魅せられ、フィールドワークなどを通じてその魅力について研究している京都大学の佐藤那央先生に、バーの持つ「見えない価値」についてお聞きしようと、私たち編集部は京都を訪れました。取材の前夜、佐藤先生のご案内で三軒のバーを訪れ、楽しんだ私たち。さて、翌朝の取材は、どのようなものになったのでしょうか…。
今どきのバーは、多様で楽しい
――昨日はありがとうございました。連れていっていただいた三軒のバー、それぞれまったく雰囲気が違っていて、バーの多様性というか、奥深さを体験できました。
佐藤:それはよかったです。バーと言うと、日本ではいわゆる「オーセンティックバー」と呼ばれるスタイルを想像される方も多いと思うのですが、特に近年、国内でも「ちょっと違った形をつくっていこう」という動きが活発になっていて、それを体験していただきたかったんです。
――一軒目は、インバウンドにも評価の高いホテルのレストランバーでした。開放的な空間に比較的カジュアルな装いのバーテンダーさんがいらっしゃって、ちょっとユニークなオリジナルカクテルも印象的でした。二軒目はクラシックな雰囲気の大箱で、カウンターで会話を楽しむことも、テーブル席でグループでゆっくりと過ごすこともできるお店でした。対照的に、三軒目はいわゆるオーセンティックバーに近いスタイルで、カウンターを挟んでバーテンダーさんとのやりとりを楽しむことができるバーでしたね。
佐藤:そうですね、その場にいらっしゃるバーテンダーさんとのやりとりを含めた雰囲気、そしてカクテル。それぞれのバーの世界観を楽しんでいただけたようで、なによりです。お連れした甲斐がありました。
バーは「あいまいさ」を受け止める
――そこで先生にお聞きしたいんですけど、バーやバーテンダーには多様なスタイルがありますよね。じゃあ、それらに共通する「価値」ってなんでしょうか? つまり、人はバーに、何を求めてやってくるのでしょう? これは私たち『やさしい止まり木』編集部が、このサイトを通じてみなさんと考えていきたいと思っていることでもあるのですが……。
佐藤:うーん、バーの魅力はたくさんありますし、バーに何を求めるかは人それぞれだとは思いますが……。そうですね、たとえばバーがある程度の「あいまいさ」を許容する場だ、というのはあると思います。
――「あいまいさ」ですか?
佐藤:私の研究の一つに、バーテンダ―さんとお客さんの注文のやりとりを詳細に分析したものがあります。やりとりをすべて録画し、後から何を話したか、身ぶりも含めて記述し、注文がどのようになされたかを分析する。たとえば、メニュー表もないバーでカウンターに座った客が、色々悩みながら「なにかフルーツ入ったのとかって、できますか?」と聞く。バーテンダーは「生のフルーツ(ですか?)」とだけ確認したのち、「了解しました」と注文を引き取ってカクテルをつくりはじめる。こんなやりとりが記録されています。これって、一般的なサービスの考え方からすると、ちょっとヘンなやりとりなんです。
――バーではよくあるやりとりのようにも思えますが?
佐藤:そうですね。でも、普通に考えたら「フルーツいろいろありますが、甘いもの、酸っぱいもの、どんなものがお好みですか?」とか「ベースのお酒は何になさいますか?」とか、もっとお客様の要望を確認してもいいはずなんです。
――ほんとだ、確かにそうですね。
佐藤:「(生の)フルーツ」が入ったもの、という注文で「了解しました」って引き取ってしまう。了解なわけないじゃないですか(笑)。この例は少し極端なのですが、バーでは程度の差はあれ、ある種のあいまいさを許容する傾向があります。あいまいさを減らすのではなく、むしろそのまま引き取ってしまう。これはメニュー表があるバーでも同じように起こりうることなのですが、そのこと自体がバーの面白い部分だったりするわけです。
「あいまいさ」は自己表現と相互理解につながる
――「あいまいさ」を楽しむ、ということでしょうか?
佐藤:注文を受けたバーテンダーの側は、少ないヒントの中から自分なりに何か考えるわけです。あいまいな注文に対して自分ならばどういう風に応えるか、それはある意味でバーテンダーとしての「自分」の表現にもなるわけです。実はお客さんの側も同様です。様々な選択肢があり得る場で何をどのように注文するか。スパッとカクテルの名前を言って注文してももちろんいいのですが、いずれにしても実際に提供されたものから何を感じるかまでの一連の体験を通して、自分自身と向き合うことになる。普通はこのようなプロセスが強調されないようにサービスをマニュアル化して、ルーティンにしておく。そうすることで、ある程度誰が(誰に対して)やっても、同じようにサービスを提供できるようにしているわけです。
――サービスを標準化することで、効率化し、品質を安定させるわけですね。
佐藤:はい。実は他者とやりとりをすることになるサービスにおいては、お互いがどのような人であるか、という問題は本来避けては通れないのです。多くの場合、サービスを標準化することでその問題を避けようとするのですが、バーはそれを前提というか、そのまま引き受けているところがあるように思います。
――明確じゃないからこそ、お互いが少しずつ「自分」を表現して、歩み寄る。そんなイメージでしょうか?
佐藤:そうですね。あいまいさを残すというと何かサービスとしては不完全な印象を受けるかもしれません。でも、そのような余地があるからこそ、バーテンダーさん、お客さんのそれぞれにとってお互いや自分を理解したり表現したりするためのきっかけになっているのだと思います。
「見られる」ことになるバーという空間
佐藤:もうひとつ、これまでの話にも関連しますが、これは私が実際にバーテンダーをしていたときのことですが…。
――え、ちょっと待ってください。バーテンダーを、先生が?
佐藤:はい(笑)。もう何年も前の話ですが、収集したデータを分析するにあたって「もうちょっとちゃんとバーのことを知らなければ」と思い、データを取らせていただいたお店に「お給料なくてもいいので、働かせてください」ってダメもとでお願いしまして。毎日ではないですけど、土日を中心に4年ほど一から色々教えていただきました。お店に出るようになって最初に感じたのが、たった一枚のバーカウンターを挟んでお客さんと向き合うという、なんというか、隠れるところのないむき出し感でした(笑)。
――お客さんから「見られている」、ということですか?
佐藤:そうですね。バーという空間の特性上、そのような感覚は常にあると思います。実際に初めに教わったのも、カウンター内での立ち位置や姿勢でした。これはお客さんにとってもそうですね。自覚的かどうかはともかく、バーテンダーさんや他のお客さんの存在を意識しているところはあると思います。その中でどのように振る舞うか。そんな意味でも自分と向き合い、どのように表現するかが問題にならざるを得ない部分はあるのではないでしょうか。
――バーは、バーテンダーにとっても、お客様にとっても「舞台」というわけですか。
佐藤:そうとも言えるかもしれませんね。その場の空気を感じながら、そこに溶け込みつつ自分と向き合い表現していく面白さや心地よさってあるのではないかと思います。
――単にお金を払って飲み物を飲む、というだけでなく、自分がその場の一員となって、バーという空間を一緒につくりあげていく、そこに価値を感じるんでしょうね。
佐藤:当然ですが、考え尽くされ、洗練された技術で創られるカクテルの素晴らしさもバーの大きな価値だと思います。一方でお話ししてきたようなあいまいさを楽しむ余裕というか、自分がその場に巻き込まれていくちょっとした緊張感のようなものもバーの魅力ではないでしょうか。
世代が移り変わっても、変わらないバーの魅力がある
佐藤:人の自己表現に関する欲望それ自体は時代を超えて普遍的なところがあると思います。冒頭でいろいろなスタイルのバーが登場している、という話をしましたが、これはまさにバーテンダーさんたちが自分達なりに新しい表現の形を真摯に模索していることの表れだと思います。いわゆるオーセンティックと呼ばれるようなバーも、伝統を守りつつ、時代に応じて少しづつ形を変えてきたからこそ「オーセンティック」なのだと思います。それぞれスタイルに違いはありますが、人と人とが向き合って、時間と場所を共有するという基本的な構造自体が同じであれば、今日お話ししたようなバーの価値は時代を超えて魅力的なのかもしれません。
――バーには次の若い世代を取り込むポテンシャルがまだまだある、と?
佐藤:「若い世代」と一括りにはできないと思いますが、確かに日本ではバーはどちらかというと、経験豊富な「おとな」の場所というような言説や認識はありますよね。何となく暗黙のルールが色々あって小難しそうなイメージばかりが先行してしまいがちですが、そのような世界観の中に自分を投じていくこと自体を楽しむ場だと思えば、全然違った付き合い方ができるかもしれません。もちろん世代に関わらず、スタイルに対する個人の好き嫌いはあると思います。繰り返しになりますが、近年バーも多様化が進んでます。そういった意味では、それぞれのバーが持つ世界観の違いも味わいながら、自分に響くバーを見つけることができる時代になってきているのかもしれません。色々言いましたが、あまり深く考え過ぎず色々なバーの扉を開いてみて欲しいですね。
――あいまいな中で、不安ながらも一歩を踏み出し、自分を表現してみる。そういう「挑戦」が、新しい自分を見つけ、表現することにつながる。多様な価値観が共存する現代だからこそ、あいまいさの中で自己を表現し、他者を理解する。バーの持つ普遍的な価値は、世代を超え、多くの人たちにとって魅力的なものだ、ということですね。先生、今日は本当にありがとうございました。次にバーに行った時、今日のお話を思い出しながら、自分もバーでの振る舞いを楽しみたいと思います。
Profile
佐藤 那央(さとう なお)
京都大学経営管理大学院特定講師。
2009年、大学院修了後、化粧品メーカーにて4年間商品開発に従事。2015年、京都大学経営管理大学院修了。2019年、京都大学情報学研究科/京都大学デザイン学大学院連携プログラムにて博士号を取得。北陸先端科学技術大学院大学助教を経て、2021年12月より現職。社会を読み解く糸口を探るため、市場における価値や文化の形成と変遷を追う。大学院在学時より、「バー」を主な対象とし、現場における相互行為の分析や、歴史的資料の読み解きなどを通して、文化としてのバーの価値について考察している。