サントリー ワイン スクエア

『禅の国から来た物静かな紳士』を偲ぶ

グランミレジムに匹敵する2ヶ月となった5、6月に続き7、8月も好天が続き、巷では2005年に続くグランミレジムを期待する声が日に日に高まってきています。7月のデータは、平年と比べ、気温は+0.7℃、日照時間は+8%、降水量は-15%となり、8月も逆に一雨欲しいぐらいの好天と乾燥が続いています。

こんな8月を迎えているにも関わらず、今日は、悲しい訃報をご報告しなければなりません。私が心から尊敬し、心の師と仰ぐ前任者の鈴田健二氏が8月15日に旅立たれてしまいました。享年65歳というあまりにも急で、あまりにも早い旅立ちでした。日本人の手によるグラン・シャトーの再生という未知の領域を、持ち前の誠実さと努力で達成され、これからその偉業の成果を楽しむ段階を前にしていたのですが・・・残念です。
仏紙で『禅の国から来た物静かな紳士』と紹介されたとおり、自分からアピールする事を善しとしない性格でしたので、今日は鈴田さんの人となりを少しでもご紹介できればと思います。

鈴田さん、初めてお会いしたのは、88年の夏でしたね。私がドイツに派遣していたときに奥様とドイツをご訪問された夏の一日でした。ライン河の畔のレストランで、入社3年目の若造に、紳士的に、しかも愛情を持って接して下さった事、そして静かながら凛としたワイン造りへのフィロソフィーを語られた事が、とても印象的でした。そして、その16年後となる2004年に、思いもよらず鈴田さんの後任として赴任したラグランジュで、鈴田さんは以前と変わることのないワイン造りへのフィロソフィーを、遠慮がちに伝授してくださいましたね。

それは、私なりの表現を使わせて頂けるなら、『慎みを持った偉大なワインの追求』でしょうか。今にも鈴田さんが、いつもの口調で話しかけてきそうな錯覚に囚われます。『椎名さあ、人間はテロワール、つまりその畑の持つポテンシャルを越えたワインを目指しても意味はないんだよ。樹齢やその年の気候とか、自然が与えてくれたものを真摯に、そのままに受け止めればいいんだよ』 一世を風靡した凝縮感の高いガレージワインには、『無理が現れたワインは人工的で、俺には自然な美味しさが感じられないんだよなー』 そして私が、『鈴田さん、鈴田さんがこの20年間にボルドーで実践し築き上げてきたワイン造りのフィロソフィーと偉業は、ぜひ本にして後世に残して頂けませんか?』と申し上げた時も、『椎名さあ、ワインを飲んで判ってくれる人は判ってくれるんだからさあ、俺はそれだけで良いと思うよ。』と、常に一歩引いた慎みを失うことはありませんでしたね。

鈴田さん、貴方は私たちの世代が、もしかして失いつつあるかもしれない日本人の美徳を自ら示し、それをラグランジュのフィロソフィーに見事に具現してくださいました。後任として着任して以来、ボルドーのワイン業界では鈴田さんの人となりに関してポジティヴな意見以外耳にしたことがありません。これが、今日のラグランジュが品質と経営姿勢に関して高い評価と信頼を受けるに至った背景であることは、疑う余地もありません。
『地元に溶け込んだ経営』、と言うは易しですが、その実践には並大抵ではないご苦労があったことと思います。そうした苦労話も、穏やかな笑顔でさり気なく話されていた鈴田さんは、まさに禅僧を連想させるクールな人格者でした。
2005年に帰国された後も、ラグランジュで収穫祭やクリスマス会など社員全員が集う場では、必ず皆から『ムッシュー・鈴田は元気か?』と近況を聞かれていたことが、鈴田さんのラグランジュでの存在感が如何に大きなものであったかを証明しています。その皆に今回の訃報を告げなくてはならなかったことは残念でなりませんが、皆の心にラグランジュ復活の立役者としての鈴田さんの存在は、決して忘れられることなく刻み込まれています。

鈴田さん、ラグランジュは、復活というファーストステージを見事に成し遂げ、創造というセカンドステージに向けた歩みを、メンバー一丸となって進めています。鈴田さんがデュカス前社長と二人三脚で根付かせてくれたフィロソフィーにさらに磨きをかけ、新しいラグランジュの姿を形づくって行くことを誓いますので、どうぞ見守っていてください。
心よりご冥福をお祈りいたします。

7、8月の乾燥した暑さで葉が日焼けした公園のマロニエ。2005、2006年に続く現象。
7、8月の乾燥した暑さで葉が日焼けした公園のマロニエ。2005、2006年に続く現象。
2005年1月の鈴田氏 フェアウエルパーティにて。
2005年1月の鈴田氏 フェアウエルパーティにて。
慎みと優しさ、そして秘めた情熱が表情に表れた紳士でした。
慎みと優しさ、そして秘めた情熱が表情に表れた紳士でした。