今回のレシピは、タイの蟹オムレツ(カイチヤオ プー)です。言葉としてのオムレツは16世紀中ごろのフランス発祥で、フランス語ではomeletteです。料理としてのオムレツの原点は「古代ペルシャではないか?」とAnderson, Heather Arndtが著書である Breakfast: A Historyに記しています。オムレツは卵を溶いて焼く、シンプルな料理ですから、液体がこぼれずに焼けるフライパンが生まれたら、当然考え付く料理です。フライパンの始まりは、いついつである、と確定してはおりませんが、少なくとも、紀元前5世紀から紀元前4世紀くらいの古代ギリシアの遺跡から銅製のフライパンが出土していますので、相当昔からオムレツは焼かれているはずです。オムレツの語源は諸説ありますが、一番信憑性が高いと考えられているのはラテン語で薄い金属板を表すlaminaが何度も転じてオムレツへと変化していった、と言う説です。さて、現代のオムレツですが、ホテルの朝食で長いコック帽を被った料理人がお客様の注文に応じて手早くオムレツを焼いてくれたりします。料理人のなかにはオムレツ専用のフライパンを手入れし続けている方も多いです。そういった拘りの料理人のフライパンは銅製か油が馴染んだ鉄製が多い気がします。世界のオムレツを見ると、様々な美味しいオムレツが焼かれています。原点のフランスでは全卵を混ぜ合わせて焼くパターンと卵白をメレンゲ状に泡立ててから焼くパターンあります。後者の代表格は、モン サン・ミッシェルのオムレツ ド ラ メールプラール(Omelette de la mere Poulard)で、19世紀のモン サン・ミッシェルのアンヌ・ブーティオー・プーラールによってメニュー開発されたオムレツです。「モン サン・ミッシェルに来てこのオムレツを食べなかった大統領候補は選挙で敗れる」という伝説すらあるそうです。フランス各地で様々なオムレツが焼かれますが、プロヴァンス風オムレツは、卵液に他の具材を混ぜ込むのではなく、焼いた卵液に乗せて焼きます。焼けた卵液の三分の一くらいで折り返して半月状にするのが普通です。乗せる具材はトマトやパプリカなどです。スペインでは、有名なスパニッシュオムレツで具材を卵液に混ぜ合わせて焼きます。具材はタマネギ、ジャガイモ、ベーコン、ホウレンソウなどです。イタリアではフリッタータでしょうかね。イタリア語のフリッタータは大まかに言うと「揚げた」という意味で、キッシュに似た料理です。中国では芙蓉蟹(フーヨーハイ)が代表的です。日本の中華料理店の芙蓉蟹は卵液に蟹や椎茸などの具材を混ぜて焼き、中華餡をかけるのが普通です。今回のタイの蟹オムレツ(カイチヤオ プー)との関連性を感じる料理です。都先生によるとタイオムレツことカイチヤオ自体は、屋台や庶民的な食堂や家のおかずとして、どこにでもあるお惣菜だそうですよ。挽肉や刻んだ野菜が入っているものもあります。ちょっと高級タイレストランでは、蟹入りのメニューがよく見受けられるそうです。具も卵に混ぜてから、多めの油で揚げ焼きのようにするのが特徴です。ナンプラーが入っているので、香ばしい香りが食欲をそそります。タイのカイチヤオ プーが有名になったのは高級レストランではなくローカル食堂がミシュランガイドに連続で掲載されたことで、世界中のグルメから注目されたからです。その庶民的なシーフード食堂の看板メニューが、蟹たっぷりのタイオムレツなのです。タイ国政府観光庁の公式観光サイトにも堂々掲載されている、その店の名はジェイ・ファイで、そのサイトには「2018年から5年連続でミシュラン1つ星を獲得」と書かれています。都先生によると、本当に庶民的な店で、名物おばさんが路上でゴーグルをして蟹オムレツを焼き続けているそうです。インターネット上で顔写真を見つけたので、都先生に「この方ですか?」と尋ねると、「いつもゴーグルをしているので、顔は判らないわ」との事でした。この料理のポイントは蟹のほぐし身をたっぷりと用意する事、味付けはナンプラー、シーズニングソースと、シンプルに仕上げる事です。フライパンで焼かれた蟹オムレツからはナンプラーの焦げた良い香りがしてきます。さて、この蟹オムレツにテイスティングメンバーが選んだイチオシワインはローラン・ペリエ ブリュット ミレジメでした。ローラン・ペリエは世界第4位の規模でありながら家族経営のもと、独創的なラインナップを持つシャンパンメゾンとして有名です。メゾンの始まりは古く1812年に公証人であるアルフォンソ ピエローにより創業されました。その後を継いだ、ウジョーヌ ローランとマチルド ペリエ夫人により 「ローラン・ペリエ社」となりました。でも本当の意味で、ローラン・ペリエが発展するのはランソン家の娘のマリー ルイーズ ドゥ ノナンクールがメゾンを買い取り、1949年に息子のベルナール ドゥ ノナンクールに会社経営を引継いでからです。フランスにとっての1940年代は第二次世界大戦の真っただ中の時期です。ベルナールは若きレジスタンスとして、盟友のシャルル ドゥ ゴール将軍とともにナチス軍を迎え撃つべくシャンパーニュ地方の穴倉などに立て籠もり抵抗を続けました。1945年にナチスは敗北し大戦は終わりを告げました。ベルナールは故郷に戻り、母の実家であるランソン社でシャンパンづくりの勉強をしました。マリー ルイーズ ドゥ ノナンクールから「あなたが、ローラン・ペリエを切り盛りしなさい」と社業を引き継いだのが1949年です。当時の販売本数は約8万本で約100位のメゾンだったそうです。ベルナールは「美味しいシャンパンをお客様に飲んで頂くため」に苦闘を始めました。まずベルナールは「美味しいシャンパンをつくるには良いぶどうが必要だ」と考え、腕利きのぶどう栽培農家のもとに来る日も来る日も通い詰めました。でも農家も商売ですから、安定して買ってもらえる大手メゾンにぶどうを売り、ローラン・ペリエには売ってくれませんでした。
ベルナールは、農家に新しい提案をしました。それは「良いぶどうは高く買います」というものです。資本主義で自由価格の現在では当たり前の事ですが、それまでシャンパーニュ地方では、ぶどうは公定価格で取引されるものだったのです。ソムリエ資格試験などを受験されて勉強をされた方なら、シャンパンの畑のグランクリュが100%クリュ、プルミエクリュが99%から90%クリュを呼ばれる事をご存じだと思います、当時はシャンパーニュ地方の総ての畑が100%から50%までに格付けされていました。ある年の公定価格が1kg100フランと決まると、グランクリュは1kg100フラン、50%クリュの畑のぶどうは1kg50フランと自動的に価格が決まる仕組みだったのです。ベルナールは、農家に「良いぶどうは高く買います」といったのです。少しづつですが、良いぶどうがローラン・ペリエに来るようになってきました。それでも充分ではありませんでした。そこでベルナールは、もうひとつの提案をしました。
それは「天候が優れなくて、不出来なぶどうも買いますよ」というものでした。フランスの銘醸地で最北の地であるシャンパーニュ地方は良年と不昨年の差が激しかったのです。ここで賢明な読者の方々は、「あれ?ベルナールは『美味しいシャンパンを作るには良いぶどうが必要だ』と考えたのですよね?それは矛盾した行為では??」とお考えですよね。ベルナールは大手メゾンが買ってくれない不出来なぶどうも買い上げ、高くは販売できないブージー ルージュなどのコトー シャンプノワーズを作ったのです。こうしてベルナールは農家の信頼を勝ち得て、農家達は競うように良いぶどうをローラン・ペリエに販売するようになったのです。2010年10月にベルナールが亡くなってお葬式が行われたときに、代々ローラン・ペリエにぶどうを納めてきた農家の方々が多数参列されていました。こうして高品質のぶどうを手にしたベルナールは名刺ともいえるメゾンのスタンダードシャンパンの味わい設計に没頭しました。現在ラ キュベと呼ばれているスタンダードシャンパンは、当時はブリュットL・Pと呼ばれていました。ベルナールの味わいのコンセプトは「フレッシュ」である事、「エレガント」である事、そして「バランスのよい」味わいである事が鼎立する事です。高品質のぶどうを手にしても、なかなか3つを併せ持つ味わいが出来上がりませんでした。「エレガント」で「バランスのよい」味わいは瓶内二次発酵が終わった後、長く澱とシャンパンを触れ合わせる事で達成できたのですが、そうすると、どうしてもフレッシュさが失われてしまいました。最後にたどり着いた答えは、最もフレッシュさがでるシャルドネをふんだんに使う事でした。シャンパーニュ地方では、法律で新たに植える事が出来るのはシャルドネとピノ・ノワールとムニエだけです。この3つの品種で最も価格が高いのはシャルドネで、安いのはムニエです。このシャルドネをふんだんに使う事で初めてベルナールが理想とした「フレッシュ」「エレガント」「バランスがよい」シャンパンが出来上がったのです。次にベルナールが取り組んだのがフラッグシップシャンパンづくりでした。来る日も来る日も悩み続けました。毎日のように他社のフラッグシップシャンパンを飲んで考えました。
「何がシャンパンの本質なのだろうか・・・・・」
悩みに悩んだ末の答えはシャンパンそのものにありました
シャンパンは、3つの品種をアッサンブラージュします
白いシャンパンをつくるのにもピノ・ノワールやムニエと言った黒ぶどうも使います
また、いろんなクリュの畑、それこそグランクリュ、プルミエクリュ、一般の畑、北向きの畑、南向きで熟度の高い畑など様々なクリュをアッサンブラージュします。
そしてヴィンテージ・・・・・
先ほども述べましたが、フランスの銘醸地で最北の地であるシャンパーニュ地方は良年と不昨年の差が激しいのです。その不安定さから逃れる為に大手のシャンパンメゾンでは大量のリザーブワインを持ちます。なので、スティルワインでは一般的なヴィンテージ表記を、スタンダードシャンパンでは行わないのです。
ベルナールは膝を打ち「これだ!」と叫びました。
「品質を低位安定させる為ではなく、最高のアッサンブラージュを目指して複数のヴィンテージを配合する。その事で得られる素晴らしいハーモニー・・・・・それこそがシャンパンの本質だ!!」
「サロンもクリュッグも素晴らしいフラッグシップシャンパンだ。でもそれはストラディバリウスの独奏だ。自分が目指すのはオーケストラのシンフォニーだ!」
数年の熟成を経て、ベルナールの試作品の味わいは決まりました。あとは名前です。ベルナールは複数の案を、かつての戦友のシャルル ドゥ ゴール将軍に送り相談しました。将軍はその時には大統領になっていましたが、返事の手紙には「ベルナール君、もちろん偉大なる世紀(グラン シエクル)だよ!」と書いてあったそうです。グラン シエクルは、基本的に3つの優れたヴィンテージが配合されます。その配合される年はミレジムシャンパンを発売した年の原酒なのです。マリアージュ実験で1位に選ばれたローラン・ペリエ ミレジメはシャルドネとピノ・ノワールを50%づつ使用しています。グラスに注ぐときめ細かな泡が、まるで真珠のネックレスの様に立ち上ってきます。色は淡いシャンパンゴールドです。グラスからは熟した柑橘のピールやリンゴのコンポート、黄桃などを連想させる果実の香りと、トースト、カスタードクリームや焼き栗系の香ばしいタッチが広がります。口に運ぶと密度の高い果実感と、引き締まった酸味のバランスが取れた、凝縮感のある味わいです。
タイの蟹オムレツ(カイチヤオ プー)と合わせると蟹の素材の旨味がくっきりと判ります。
「めちゃくちゃ合いますね」
「蟹の味わいの奥行と言うか、立体感が際立ちます」
「卵とナンプラーの焦げた香りと、シャンパンのトースティなタッチが堪りませんよ」
「揚げ焼きするように多めの油を使うことで、外はかりっとして、中はとろとろで、しかも熱々・・・・本当に美味しいです」
「町中華の芙蓉蟹(フーヨーハイ)だと、ローラン・ペリエのミレジメを開ける気にはなりませんが、これくらい本物の蟹が沢山入っていたら、この組み合わせも丁度良いバランス感ですよね」
「本場のタイだと、ワタリガニ系の蟹のほぐし身で身の色は白っぽいです。日本で作るなら豪華に行くなら松葉ガニ、タラバガニを自分でほぐすと色も美しくて最高です。ネットでも冷凍の大きな塊でのほぐし身が販売されています。あと、ちょっと面倒くさいですがオオズワイガニで作っても、とても美味しくできます。オオズワイガニは去年から獲れ続けていて、値段は大変安いです。身は甘みがあってコスパ抜群です。茹でて自分でほぐしてみると1杯で80gくらいのほぐし身がとれました。到来物の高級蟹缶でも当然美味しく出来ると思います。皆様も是非タイの蟹オムレツに挑戦してみてください。そしてローラン・ペリエ ブリュット ミレジメとの素晴らしいマリアージュをお楽しみくださいませ。