今回のレシピは、赤ワインたっぷりのビーフ ストロガノフです。ビーフ ストロガノフとハッシュド ビーフは境界線が微妙な料理です。ハッシュド ビーフのハッシュはフランス語のhacherに由来するようです。hacherは「切る、切り刻む」という意味で、14世紀頃からイギリスの料理本で、何々のハッシュという記述が何度も出てくるそうです。また19世紀のアメリカでは、安いレストランの事をハッシュハウスと呼でいたそうです。さしずめ、細切れ肉のレストランと言った所でしょうかね。ただ、Beef HashやHash Beefという表現はよく登場するのですが、Hashed Beefそのものはあまり登場しません。いろいろ調べてみるとHashedに続くものはBeefではなくpotatoesが圧倒的に多いようです。唯一、1881年にイギリスで出版されたHousehold Cyclopediaには、Hashed Beef, Plainという料理が掲載されていました。Household Cyclopediaはネット上にPDFで全文が公開されており無料で読むことが出来ます。この本のHashed Beef, Plainのレシピは牛肉の薄切りをアンチョビソースと肉汁で煮るもので、現在のドミグラスソース的なハッシュド ビーフとはちょっと違う料理なのです。その後のイギリスの料理本には、Hash Beefは何回か登場しますがHashed Beefの綴りでは出てこないようです。現代のイギリスでHashed Beefはどんな料理として進化し生き残ったのかを知りたくてHashとBeefをキーワードでイギリスのHPを検索すると、ヒットする料理の9割はコーンビーフのハッシュでした。残りの1割のほとんどはローストビーフの余り肉と焼いた時に出た肉汁を簡単に煮た「朝ご飯向きの料理」として紹介されているローストビーフのハッシュでした。まれにhashed beefそのものが出てくると、それは、なんと日本のハッシュド ビーフの箱入りのルーを使った料理でした。現代のイギリスでは日本のハッシュド ビーフに相当するような料理は、生き残っていないのかもしれません。一方ビーフ ストロガノフについては、いろいろと出自が記述されています。最初にストロガノフの名前が冠される料理の記述は、1871年にエレナ・モロホヴェツが書いた「若い主婦への贈り物」で牛肉のストロガノフ風говядины по-строгановски(ガヴャーヂナ ストロガノフ)です。ガヴャーヂナが牛肉で牛肉のストロガノフ風と言った料理です。ストロガノフの名前は、アレクサンドル・グリゴリエヴィッチ・ストロガノフ伯爵(1795-1891)にちなんで名付けられたそうです。サンクトペテルブルクのストロガノフ家は製塩業で莫大な富を築き上げました。いまもサンクトペテルブルクの宮殿広場にはストロガノフ宮殿が聳え建っています。この歴史上最初のレシピでは牛肉は薄切りではなく、サイコロステーキ状の肉を使うと明記してあります。更にサワークリームは、現在の様にルーに混ぜ込むのではなく、仕上げに、ほんの少量乗せていたようです。現代のロシア語では、ビーフ ストロガノフはБефстрогановで、発音はビーフ ストロガノフと聞こえます。この名前を命名したのは、サンクトペテルブルクで働いていたフランス人シェフのシャルルブリエールのようです。1891年にフランスの雑誌L'Art culinaireの料理コンクールにビーフ ストロガノフとして応募したのです。料理の大家であるラルースが編纂したLarousse Gastronomiqueにもビーフ ストロガノフの考案者はシャルルブリエールであると記されているようですが、料理自体は彼の応募の20年前に、既に存在していた事も事実のようです。
ビーフ ストロガノフの定番の付け合わせは、ロシアではカリカリに揚げたフライドポテトです。アメリカでは平打ちで少し捻じれた卵麺の上に掛けるのが定番です。今回、鈴木薫先生が考案してくださったレシピの付け合わせは、粉ふきいもです。
今回のレシピでは、牛肉は薄切りでは無く、塊を一口大に切って使いました。その肉に塩、こしょう、小麦粉を振って、バターでソテーしてからフォンドヴォーとたっぷりの赤ワインで煮込んでいきます。「サワークリームが入らなかったらビーフ ストロガノフではない!」とお考えの方もいらっしゃるかもしれません。でも1871年の最初のレシピでは、サワークリームは最後に、ほんの少し乗せるだけですし、イギリスの高級レストランではサワークリームを別添えで出す店もあります。どうしてもサワークリームを入れたい方は最後に少量お乗せください。
この赤ワインたっぷりのビーフ ストロガノフにテイスティングメンバーが選んだイチオシワインは、チェザーリ アマローネ デッラ ヴァルポリチェッラ クラッシコでした。チェザーリ社は、ジェラルド・チェザーリによって1936年にヴェネト州に設立されました。その高い品質はすぐに評判になったそうです。ジェラルドの息子であるフランコは輸出に熱心で5大陸すべてに輸出した最初のヴァルポリチェッラの生産者のひとつになったそうです。1970年からアマローネを生産するようになり、2015年にはカヴィロ社の傘下に入りました。マリアージュ実験に使ったのはチェザーリ アマローネ デッラ ヴァルポリチェッラ クラッシコの2016年ヴィンテージでした。ぶどう品種はコルヴィーナが75%、ロンディネッラ20%とモリナーラ5%です。アマローネはヴァルポリチェッラの陰干しワインです。イタリアには陰干ししてつくるワインがいくつもあります。トスカーナでキャンティなどのヴィン サント、ソアーヴェの甘口となるレチョート、ロンバルディアのスフォルツァートとこのアマローネなどです。陰干しの乾燥工程をアパッシメントと呼びます。チェザーリ アマローネ デッラ ヴァルポリチェッラ クラッシコも4ヶ月もの間、乾燥させます。生のぶどうを長く乾燥させる事で糖度を高めていきますので、健全なぶどうを収穫する必要があります。腐敗果が紛れ込むと乾燥庫のぶどうが全滅・・・なんてことも有り得るからです。その為に通常のヴァルポリチェッラ用のぶどうよりも1週間から2週間程度早めに収穫をして、酸が高くて健全性も高いぶどうを準備します。4ヶ月の乾燥工程を経るとぶどうの水分含有量は40%も減り、糖分も酸も、ぐっと濃縮されるのです。アルコール発酵後、20日~30日間の長期マセレーションで香りや味わいを引き出します。アルコール度数は15%と高いのですが、それでもなお酵母が食べきれなかった糖分があります。アマーロ(苦い)というのは、本当に苦いのではなく、苦く感じる位味わいが濃いワインであるという事です。熟成はスロヴェニアンオークの大樽を80%、アリエー産の228㍑の樽を20%使用して、3年間熟成させます。
グラスに注ぐと、様々なベリーを鍋に入れて煮詰めていく時のような凝縮した果実の香りを感じます。ブラックチェリーのニュアンスもあります。クローブやナツメグを連想させるスパイシーさもあります。口に入れると、厚みがあり構造の大きさを感じさせるワインです。
赤ワインたっぷりのビーフ ストロガノフと合わせると、ビーフ ストロガノフの凝縮した旨味がアマローネによって更に強まるのが判ります。
「甘く感じますね」
「ワイン単体でテイスティングすると、そんなに甘さを感じないのですが、テクニカルシートを読むと、このアマローネの2016にはリットルあたり33gの残糖があるのです。これは陰干しにして高まった糖分です。果汁の糖分が高いので、アルコール発酵によって糖がアルコールに変換されても、まだ残るのです」
「その隠し持っていた甘みが、ビーフ ストロガノフの旨味と呼応して、甘く感じさせているんだと思います」
「肉が、薄切りでは無くて厚切りにしてあるので、力のあるアマローネと良く合っています」
「噛むと肉汁が出る位の厚さだからこそ、濃厚な赤ワインが活きるのですね」
「ビーフ ストロガノフのコクが凄くて余韻が長く続きます。アマローネも余韻が長いのでハーモニーが口中に長く漂って、心地良さがずっと続きます」
みなさまも、ビーフ ストロガノフを一度焼肉用の厚さくらいの肉で作ってみませんか?そしてチェザーリ アマローネ デッラ ヴァルポリチェッラ クラッシコとの素晴らしいマリアージュをお楽しみくださいませ。