今回のレシピは、豚のカリカリ揚げ 茄子ねぎだれです。ワインスクエアのラインナップには珍しく和食のニュアンスのあるレシピです。和食は2013年に「和食:日本人の伝統的な食文化」としてユネスコ無形文化遺産に登録されました。農林水産省のHPを見ると、和食の説明として、「南北に長く、四季が明確な日本には多様で豊かな自然があり、そこで生まれた食文化もまた、これに寄り添うように育まれてきた。このような、『自然を尊ぶ』という日本人の気質に基づいた『食』が和食である」としています。そして「食」に関する「習わし」を、「日本人の伝統的な食文化」と解説しています。また、和食の特徴として、4つの特徴を挙げています。
(1) 多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重
(2) 健康的な食生活を支える栄養バランス
(3) 自然の美しさや季節の移ろいの表現
(4) 正月などの年中行事との密接な関わり
なるほどなるほどですね。
和食は、幕末に日本に入ってきた「洋食」の対義語として生まれた言葉だと思います。広い意味の和食には、懐石料理などの格式高い日本料理だけではなく、肉じゃがや里芋と烏賊の煮物などのお惣菜や、お好み焼きやたこ焼きといったB級グルメも含まれると思います。また、焼き餃子やラーメンなど、原点は異国にある料理でも日本で独自の進化を遂げた物は和食のグループに入れて良いと思いますし、オムライスやスパゲッティナポリタンなど「洋食屋さん」で提供されているものの中にも既に和食グループに属していると思っている料理もあります。また、インド人留学生にカレーライスを食べさせた時に「これは美味しいです!何という和食ですか?」と訊ねられた事すらあります。広い意味の和食には、日本に由来した物だけではなく、日本で進化を遂げ、日常作り食べている料理が属しているのだと思います。
日本の国土が出来て、どこからか人間が移り住んできたのですが、考古学的に、日本列島で人類が暮らしていた痕跡として考えられている一番古いものは、種子島の横峯遺跡の約3万年以上前、本州では岩手県の花泉遺跡で、約2万年前というのが最も古いのではないか?と言われています。その頃は旧石器時代と呼ばれ、主にドングリや栃の実などを晒して食べ、貝などを採集し猪や鹿などを狩猟していました。縄文時代は1万6000年前から約3000年前で、旧石器時代との大きな違いは、弓矢を使うようになった事です。弓矢を使う事で格段に狩猟の戦果が上がるようになりました。また、粘土を捏ねて整形し焼いて土器を作りました。土器を使う事によってドングリや雑穀を加熱して吸収し易く出来るようになりました。今から3000年前から始まる弥生時代には農耕が始まります。弥生人は縄文人に、大陸からの渡来集団が混血して出来たと言われています。安定的に収穫する事が出来る農業を行う事で食生活は豊かになりました。米、麦、アワ、ヒエ、小豆などを育て、より洗練され、丈夫になった弥生土器で水と一緒に煮て食べていたと推測されています。鳥取県の青谷上寺地遺跡からは木製のスプーンが数多く出土しています。西日本では米から酒も造られるようになったようです。
弥生時代の次は古墳時代です。古墳時代に日本に住んでいたのは、従来は弥生人の子孫だと思われていました。しかし、古墳人には、縄文人や弥生人には無い東アジア系の遺伝子が多く含まれることが、昨年発表された金沢大学の研究で判っています。古墳時代になると竈をつくる事で火力が強まり、甑で米を蒸して食べるようになりました。実際に再現実験をした方に聞きましたが、土器で煮た穀類には土器の匂いが付き、食べ辛いそうですが、甑で蒸したおこわは格段に美味しいそうです。また醤(ひしお)とよばれる発酵食品は、日本に伝わった時期は弥生時代でしたが、発展して一般的に食べられるようになったのは古墳時代だと言われています。
飛鳥時代になると乳が摂取されるようになりました。奈良県の郷土料理である飛鳥鍋も牛乳ベースです。上級の貴族は、豊かな食生活をしていたようです。鯛や鮑、鮎などの魚料理や蘇と呼ばれる煮詰めて作ったチーズなどの食事をとっており、成人病にもなっていたそうです。仏教の伝来により675年、天武天皇が最初の食肉禁止令を発布したのは飛鳥時代の事でしたが、肉は食べ続けられていました。
奈良時代になると、海から遠い奈良の地でも、上級の貴族は鮑、海老、海胆などの豪華な水産物を食べていました。また仏教が普及した事により、肉はあまり食べなくなってきました。調味料の酢・末醤(味噌)なども上流階級では使われるようになりました。
平安時代には、金属製の鍋が出来るようになりました。日本初の漢和辞典である和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)には土篇の「堝」、金篇の「鍋」の両方が記載されています。鍋の登場により水から煮て作るご飯も美味しく炊く事ができるようになりました。柔らかく食べ易かったので蒸して作る強飯(こわい)に対して姫飯(ひめいい)と呼ばれていました。
鎌倉時代になると武士の勢力が強まります。貴族は姫飯が主食になり脚気が流行したそうです。武士の食事は最初の頃は質素だったそうですが、1日に5合もの米を食べていました。武家の食事が豪華になると共に本膳料理として料理流派が沢山出来ました。日本最初の料理書の一つといわれる厨事類記も発行されました。
室町時代になると武士も姫飯が主食になります。室町時代に画期的な出来事は醤油や味噌が、一般にまで広まった事です。これにより味噌汁なども飲まれるようになり、出汁が発達します。和食の根本的な軸の一つとも言える、旨味を主軸にした味付けはここがスタートになります。四条流包丁書が記されたのも室町時代です。
懐石料理の始まりは、戦国時代から安土桃山時代にかけての時期で、茶の湯の世界で来客をもてなすための料理でした。始めた人は茶道の祖である千利休です。千利休は、商人であり茶人で、わび茶の完成者です。和食の基本でもある「一汁三菜」は利休が始めました。その後、懐石料理は茶道とは関係の薄いところで、豪華に独自進化しました。
さて、今日のレシピは豚のカリカリ揚げ 茄子ねぎだれです。豚肉は下味を醤油と生姜のしぼり汁で付けるのですが、この時に白ワインをたっぷり目に入れるのがワインスクエア流のワインに良く合う豚のカリカリ揚げのポイントです。
さて、この豚のカリカリ揚げ 茄子ねぎだれにテイスティングメンバーが選んだイチオシワインは、ヤルンバ ワイ シリーズ ヴィオニエでした。ヤルンバはオーストラリア最古の家族経営ワイナリーのひとつです。5世代170年もの歴史を誇ります。1849年、イギリスの移民サミュエル・スミスが12歳の息子シドニーと共に月明かりの下でぶどうを植え、'ヤルンバ(先住民の言葉で「すべての土地」)'と名付けたのが始まりなんですよ。植えた所は、現在ではオーストラリア最大のワイン産地になった、南オーストラリア州です。現在の当主は創業者から5世代目にあたるロバート・ヒル=スミスです。1970年代には苗木研究所(ナーサリー)を作りました。当時の豪州はヨーロッパからの苗木の輸入に困っていたので、豪州中のぶどう栽培農家が苗木を欲しがりました。1980年代に、当時豪州だけでは無く、原産地であるローヌ北部でも絶滅しかかっていたヴィオニエを植樹しました。また、ヤルンバは南半球で唯一、自社樽工房を所有しているワイナリーとしても有名です。
チーフワインメーカーは、女性でルイーザ・ローズさんです。ルイーザはヤルンバで20年以上ワインづくりに携わりました。ヴィオニエに拘る生産者としても世界的に有名な人です。ルイーザは2014年豪州ワイン研究所の所長に選任されました。2014年8月号のGood Food MagazineではオーストラリアワインメーカーTOP10で1位を獲得した凄腕なのです。
ワイ シリーズは、ヤルンバのYであるとともに、Your Wine (あなただけのワイン)を見つけてほしいというメッセージを込めて名付けられたブランドです。ヴィオニエはフランス・ローヌ地方で古くから栽培されていて、コンドリューなどの銘酒を生み出すぶどう品種です。現在ではアメリカやオーストラリアでも生産されています。しかし、栽培が難しい品種と言われ、日当たりの良い畑でしか完熟しません。しかし、ひとたび完熟したら、華やかで馥郁たる香りで、芳醇なアロマを醸し出します。
ヤルンバ ワイ シリーズ ヴィオニエは白桃やメロンを連想させるジューシーな果実味と、まろやかな酸味、華やかな香りが特長の、豊かなコクを持った辛口白ワインです。
豚のカリカリ揚げ 茄子ねぎだれをヤルンバ ワイ シリーズ ヴィオニエと合わせると、ねぎや大葉の爽やかな香りが心地良く広がります。
「豚のコクをヴィオニエの厚みのある味わいがしっかりと受け止めますね」
「豚のかりかりとした食感と、ヴィオニエの、ちょっと、まったり感のあるテクスチュアとが楽しいコントラストになっています」
「豚肉とヴィオニエは鉄板の相性だと思います。豚肉って本質的に果物タッチの甘い味わいと相性が良いですからね」
「タレのごま油が効いていて美味しいんですよ、そのリッチな風味にヴィオニエが良く合っています」
皆様も是非、豚のカリカリ揚げ 茄子ねぎだれに挑戦してみてください。そしてヤルンバ ワイ シリーズ ヴィオニエとの華やかな相性をお楽しみくださいませ。