今回のレシピは、シェパーズパイです。シェパーズパイは、shepherd's pie,と綴ります。英英辞典を調べると cottage pieや hachis Parmentierと同義語と記されています。アッシュ パルマンティエは、いかにもフランス語っぽい綴りですが、書籍での掲載として最初に確認されるのは、マルグリット ニネが著したパリの博覧会という英語の本だそうです。パルマンティエの名前は、日本のサツマイモにおける青木昆陽のような存在であるアントワーヌ・オーギュスタン パルマンティエに因んでいます。パルマンティエは18世紀後半の農学者で、飢饉が繰り返し起こったヨーロッパに、じゃがいもを普及させようと奮闘した方です。青木昆陽も同じ18世紀の中盤から後半に活躍した人ですので、同じような時代に飢えと戦った、国は違いますが、戦友のような方々なのですね。フランス語のHachisは角切りにする、ミンチにするという意味で、アッシュ パルマンティエでミンチ肉とじゃがいもの料理という意味合いです。
3つの名称のうちで、歴史的に一番古いのは、コテージ パイです。cottageをネットで調べると、コテージ、貸別荘、コンドミニアムが真っ先に出てくるのですが、文字通り「小屋」の事です。コテージ パイは田舎の小屋の料理、つまり質素な料理を意味していて、アントワーヌ・オーギュスタン パルマンティエが生まれる以前の、17世紀の料理本から登場します。
shepherdは羊飼いの事で、犬種のシェパードも同じ語源です。シェパーズパイは「羊飼いのパイ」の意味なので、使用する肉は羊限定かと思いきや、イギリスのレシピを見ると羊と牛の登場比率は半々くらいでした。いずれにしても素朴な肉料理で、パイと言う名前が与えられてはいますが、パイ生地を使うのではなく、オーブンで焼いたマッシュポテトをパイ生地に見立ててパイと呼ぶようです。
薫先生のレシピの味付け素材にウスターソース(リーペリンソース)とあります。リーペリンソースはウスターソースの原点とも呼ばれるソースです。ラベルにはリー&ペリンの大きな文字とWorcestershire sauceの文字が書かれている事から判るように、イギリスのウースターシャー カウンティ発祥で、薬剤師のリーさんとペリンさんが開発したソースと言った意味合いです。本格的なイギリス風のシェパーズパイにしたければ、リーペリンソースを使いましょう♪
リーペリンソースの方が、甘さ控えめで酸はバッチリ、そしてちょっぴりスパイシーで、まさにイギリスで食べるシェパーズパイの味わいに近づきます。
マリアージュ実験では、原点であろうと思われる羊肉を使いました。重要な役目であるスパイスにはタイムとシナモンを使いました。
このシェパーズパイに、テイスティングメンバーが選んだイチオシワインはコステルス デル プリオールでした。スペインの最高級ワインの格付けであるD.O.Caに認定されているのは、たった2つの産地しかありません。その一つはリオハで、もうひとつはプリオラートです。コステルス デル プリオールはそのプリオラートのワインなのです。プリオラートはスペイン最高ランクのワインでありながら、つい最近までは「その価値を忘れ去られたエリア」でもあったのです。ヒュー ジョンソンのワールド アトラス オブ ワインの第6版には、プリオラートの紹介の冒頭に「1990年に州政府が刊行したカタルーニャ・ワイン1000年史という大著があるが、この中でプリオラートは言及さえされていない。だが1990年代後半、この小さなワイン産地はスペインで最も有名で最も高価なワインを産出するようになった」と述べています。たった10年足らずで飛躍的な進化を遂げた事になります。そのヒュー ジョンソン自身もワールド アトラス オブ ワインの初版本(1977年発行)に於いては、プリオラートの紹介は、たった一行「プリオラートは強い辛口赤の名前」とだけしか書いていません。みんなが、その存在さえも忘れてしまうような産地だったのですね。フィロキセラがプリオラートを襲う前には5,000ha以上の畑がありましたが、減り続けて1979年時点においては、カリニャンが、たった600ha残っているだけの悲惨な状態でした。ヒュー ジョンソンはプリオラートの大変革に関して、「ひとりの男によって引き起こされた」とワールド アトラス オブ ワインの第6版に記しています。その男の名はルネ バルビエです。彼がこの地の可能性に気が付いたのは、畑が減り続けた1979年の事です。彼は4人の仲間に声を掛け、打ち捨てられるように残っていたカリニャンなどのぶどうをもとに5つのクロス(畑)を売り出して大成功を収めました。
その後、ルネ バルビエはフレシネにボデガを売却しました。今回イチオシのコステルス デル プリオールを醸しているのはモランダワイナリーで、ここもフレシネが経営しています。
プリオラートの畑を特徴づける土壌はリコレリャ(褐色の粘板岩)です。ごつごつした岩の険しい斜面を、テラス状に切り拓き、スレート粘板岩が崩壊して出来た僅かな土壌にぶどうを植えています。このエリアは雨量が300mmから400mmくらいしかなく、極めて乾燥しています。ぶどうは粘板岩の裂け目を通って、下へ下へ伸び、地中深くから僅かな水分を吸い出して生き延びるのです。
ワインメーカーはジュディ ロップです。彼女のお父さんもプリオラートのワイン生産者だったことから、幼い頃からぶどう栽培や醸造に親しんできました。地元のタラゴナ大学でワイン醸造学を学び、他のワイナリーでの研修を経てモランダワイナリーを任されるようになりました。ごつごつした岩の険しい斜面でつくられる、プリオラートならではの特長を生み出すようなぶどうづくりに取り組んでいます。農薬、化学肥料は使わず、環境にやさしく、ぶどうやワインと対話しながら、一歩一歩進んでいるのです。
良く熟れたプラムのような香りや、赤い野ばらを連想させる香りもあります。樽由来のバニラ香やナツメグやシナモンの様なスパイスのニュアンスがあります。口にいれると非常に濃厚な果実味です。心地良い酸味、タンニン分もしっかりと感じられる力強いワインです。
「コステルス デル プリオール」は「プリオラートの段々畑」を意味しています。ラベルはユニークです。プリオラートにある十字架をぶどうの粒で表現し、ラベルに十文字に穴をあけたデザインなのです。
シェパーズパイと合わせると、コステルス デル プリオールの充実した果実味とたっぷりと旨みを持ったパイの味わいが見事に調和します。
「旨いです。濃厚なプリオラートが、羊のミンチの複雑な味わいをしっかりと受け止めていますね」
「シェパーズパイだけ食べると、ちょっとだけリッチなコロッケ的なチープさがあるのですが、コステルス デル プリオールと合わせると、フレンチのメイン料理を食べているかのようなコクの広がりが出ます」
「うん、一瞬、自分が何処に居るのか判らなくなるよね」
「コステルス デル プリオールと合わせるとスパイス感が最前面に出てきますよね?
シナモンやタイムがシェパーズパイ単体で味わうよりも、ずっと強く感じられます」
「ワインには、プラムのコンポートを思わせる香りがあるのですが、パイと合わせると、とろとろに煮詰めたプルーンのニュアンスに変化します」
「リーペリンソースにはタマリンドが大量に使われるそうなので、タマリンドが持っているプルーン的な味わいが、マリアージュで表に出るのかもしれません」
シェパーズパイは素朴な料理ではありますが、重厚なワインの良さを引き出してくれる地力があるご馳走でもあります。皆様も是非、シェパーズパイに挑戦してみてください。そしてコステルス デル プリオールとの素晴らしいマリアージュを体験してみてください。