今回のレシピはカチャトーラです。カチャトーラ(Cacciatore)をgoogle翻訳で検索すると、サッカー選手と訳されます。Cacciatoreのcacciaは狩猟と言う意味です。サッカー選手はボールを追い求めて走り回るので、狩猟に例えるのでしょうかね。また、ハリーポッターの学校での場面で、魔法使い見習いたちが熱中するクィディッチというゲームにも、役割名としてカチャトーラは出てきます。料理としてのカチャトーラは、サッカー選手やハリーポッターとは関係が無く、「猟師風煮込み」と訳されます。料理の起源を調べると、どこで始まったか、という事には、触れていない本と、カラブリア説とトスカーナ説の3つがあるようです。トスカーナ説の方は、トスカーナ料理の定番だ、とまで言い切っていとました。この原稿を書いている時は丁度、イタリアにいたので、シエナの旧市街のトスカーナ郷土料理店の方に聞いてみた所、「カチャトーラはトスカーナにも存在するけど、全国区だと思う。トスカーナ郷土料理だ、と言う感覚は無いなぁ...」というようなお返事でした。ともあれ、カチャトーラはイタリアのあちらこちらで作られているようです。イタリアのネットを調べると、レシピの素材としては、鶏肉が多く登場し、ウサギ、サラミバージョンが、次いで多くヒットします。猟師さんが、鉄砲で鶏を撃つ事は考えにくいので、オリジナルはウサギか狩猟で獲った猪などで作ったサラミだったのでしょうね。トスカーナのワイナリーを訪問している時にもウサギやイノシシや雉を数多く見かけましたし、迷彩服を着こんだハンターたちにも会いました。イタリアは狩猟の伝統が根強くある国なんだなぁと思いました。猟師風ですから、料理方法そのものはシンプルです。塩こしょうをした肉の両面を焼いて、タマネギ、ピーマン、その他の野菜も数分間炒めて煮込むのですが、煮込み方が地方によって特色があるのです。まず、イタリアの南部と北部で煮込むのに使うワインの色が違います。一般的に南は赤ワイン、北は白ワインと言われています。ローマではカチャトーラにトマトを使わないバージョンが一般的です。さて、このカチャトーラに、テイスティングメンバーが選んだイチオシワインは、今年11月18日に解禁を迎えるジョルジュ デュブッフ ボジョレー ヌーヴォーでした。もちろんマリアージュ実験は通常のボジョレーを使いました。
今から27年前、1996年の2月の寒い朝、未だ提携する前のロマネッシュ・トランのデュブッフ社の本社で初めてジョルジュ デュブッフ氏に会いました。ジョルジュ デュブッフ氏は、その後、来日時の取材のカメラの前で見せる笑顔とは違う、とても厳しい表情で、私達が話すプレゼン資料には目もくれず、じっと、喋るわたくし達の眼の奥を覗き込んでいらっしゃいました。
プレゼンが終ると、ジョルジュ デュブッフ氏は「会社を興してから今日まで、得意先が倒産した事はあっても、自分のほうから取引を止めた事は、唯の一度もない。今回、サントリーに取引先を自分の方から変更するのが、初めての事だ。この事の意味合い、そして重みを良く判って欲しい」とだけ仰いました。
その後、ボジョレーの帝王、ボジョレーの鼻と言われたジョルジュ デュブッフ氏と一緒にテイスティングをしました。プレゼンの緊張感を引きずっていたわたくし達に「駄目駄目!そんなに眉間に皺をよせてテイスティングをしたら...ボジョレーは楽しいお酒なんだよ」と仰いました。
そして、
「赤い果実や花の香りが心地良く
味わいは軽やかでフルーティ。
一口飲むだけで心が躍りだすような...
そう、
言ってみれば、
命の歓びにも似た、そんなワインを、
私はつくりたい...」
と仰いました。
そこから四半世紀にも渡るジョルジュ デュブッフ氏との親密なお付き合いがはじまりました。
2020年1月の4日、脳出血で逝去されました。
86歳でした。
まさに、巨星墜つ...と言う印象でした。
彼の生涯は、まさにボジョレー ヌーヴォーの発展と共にありました。
19世紀の頃は、ただの村の収穫祭のお祝い酒、と言うのがヌーヴォー=新酒でした
1950年代頃は、瓶に詰めて貰えずに、樽に詰められたままで、リヨンあたりで販売される、未だぶくぶく発酵中のものだったらしいです。
1951年頃からプリムールに関するいろいろな法律が整備され、制定されました。
1960年代に、やっとヌーヴォーも瓶に詰めで販売されるようになりました。
徐々に売り上げは伸び、少しづつ発展はしてきたのですが、デュブッフ氏はボジョレーが更に発展するには、なにか目を引く事は出来ないか?と考えました
1967年 デュブッフ氏は解禁イベントを大々的に行う事を思いつき11月15日を解禁日と定めました。
当時の解禁は、今の様なリードタイムは許されず、午前零時を合図にボジョレー村からトラック発車させるという厳密なものでした。そして、パリまで運び、パリでBeaujolais Nouveau est arrive!!=ボジョレー ヌーヴォー只今到着!!の告知ポスターとともに解禁を祝うという仕掛けです。このプロモーションは大ヒットしました。1970年代には空路の発達により解禁イベントが世界的になりました。ロンドンやニューヨークの街をヌーヴォー馬車で行進したり、当時就航していた超音速旅客機のコンコルドでニューヨークに運んだり、ロンドンではパラシュートで降下したりもしました。その後、解禁はそれぞれの国の通関時間を0時ジャストにする、とルールが変更され、わたくしがワインの仕事を始めた1984年頃には、成田で通関させて、フェラーリで店まで運び深夜パーティーをするようなイベントも行われました。その後、ある年の11月15日が日曜日になる事が判った年に、第3木曜日に解禁日が改められるなど、小さな手直しは行われています。でも、大切な事である、その年の1年間の農作業の苦労を思い出し、無事に収穫を迎えられたことに感謝するイベントである事にはなんら変わりはありません。
今年の出来はどうなんでしょうね。
春、フランス全土を襲った霜害によって、ボジョレー地方も生産量は大幅な減少が予想されています。ボジョレーワイン委員会の予測によると直近5年平均と比較して3割から5割減の見込みですが、量が少ない分、ひとつの房に栄養が集中する事で、質は良さそうです。楽しみでワクワクしますよね。
通常のボジョレーとの相性ですが、カチャトーラの鶏肉の味わいが素直に広がる、とても素敵なマリアージュでした。
「ガメ種の良さが全開ですね」
「フルーティな赤から青系のベリーの香りの印象が強まりますね」
「トマトと鶏の旨みが、複雑に絡まり合っていて、それがボジョレーと出会う事でふわっと香り立ち、立体感がでます」
「セージとローズマリーが香りに複雑性を与えていて、ボジョレーのストレートなフルーツ系の香り立ちに奥行きを与えています」
「ボジョレーにはスパイス系のニュアンスは少ないですからね」
「辛口のワインですが、果実の完熟からくる、甘やかな味わいとチャーミングさが魅力的なマリアージュです」
コロナでいろいろあった2021年、でも、希望の光も見える1年だったのではないでしょうか?皆様も、今年のボジョレー ヌーヴォーをカチャトーラでお祝いしてみてくださいませ。
先日、「ボジョレー ヌーヴォーの初荷が日本に到着!!」というニュースが報道されました。なんと、この初荷を運んでくださったエールフランスの便のキャビンアテンダントとして、コート デュ ローヌの南部のオランジュに住んでいるかえでさんが搭乗されていました。かえでさんは、古くからの友人です。わたくしが、昨年ソムリエ協会の機関誌であるsommelierに土壌の連載をしたローヌ編の2回目のシャトー ヌフ デュ パープの記事を書く時に、かえでさんは愛犬と共にシャトー ヌフ デュ パープエリアを隈なく巡ってくださって、取材情報を知らせてくれた方です。世の中の狭さを感じた事と、はるばる、遠くボジョレーから飛行機で飛んで来たんだなぁ...という実感が強まった出来事でした。