今回のレシピは、蛤とセリのリゾットです。ハマグリ(蛤、浜栗)は、マルスダレガイ科に分類される二枚貝で、日本では、古くから親しまれてきた貝です。貝塚から多数出土するのは勿論の事で、平安時代には、もう、貝合わせという遊びにも使われていました。これは、蛤の貝殻を何千個集めても、ピッタリと合わさるのは、元々の貝殻の対しかない事を使った遊びです。それが平安末期には、「貝覆い」という遊びに昇華しました。色の乗りを良くするために蛤の内側に和紙を貼り、そこに源氏物語や平家物語などの絵を、金箔と絵具で極色彩に書きあげます。その美しく描かれた貝殻を、なんと360対作って、やっと貝覆いが1セット出来上がります。それを神経衰弱のように合わせて遊ぶのです。貴族や大名の嫁入り道具として大変重要だったようですが、現代においては遊んでいるのを見ることはほとんどありません。わずかに貝覆いの痕跡が現代の暮らしの中で垣間見られるのは雛人形です。7段飾りくらいの豪勢な雛飾りのお道具に、六角筒の形をした物があれば、それは貝覆いをするための貝を入れる貝桶(かいおけ)です。貝桶が重要視されている事は、お道具の目録のほぼ最上位に書かれている事からも分かります。江戸時代の大名家の婚礼の記録の中に、新婦側から婚家側に貝桶を引き渡す「貝桶渡し」の儀式があります。「貝桶渡し」の儀式は、家老などの重臣中の重臣が担当をする、大名家の婚儀に置いて、重要な儀式であったとの記述が残っています。三重県多気郡明和町斎宮にある、いつきのみや歴史体験館では貝覆いの体験(2021年2月現在は、体験は休止中)が出来ます。
ピッタリと合わさるのは、元々の貝殻の対しかない事を尊び、江戸時代には婚礼の宴に供される様になりました。現代でも雛祭りには、蛤の潮汁が良く供されますよね。ハマグリの学名は、メレトリックス・ルソリア(Meretrix lusoria)です。「Meretrix」は遊女のことで、「lusoria」は、ゲームをしているという意味です。学名を付ける時に用いられたのが、コペンハーゲン動物学博物館の貝覆いだったそうです。日本の事を良く知らない分類学者が、良家の子女の嫁入り道具とは思いつきもせずに、勝手に「芸者ガールのゲーム」と思い込んで命名したようですね。
日本には、ハマグリの仲間は3種類生息しています。ハマグリとチョウセンハマグリとシナハマグリです。私は、今回の取材まで、日本の固有種はハマグリだけだ、と勘違いしていました。と言うのも、チョウセンハマグリは、河岸では「朝鮮蛤」や「地蛤」と言う名で販売されているからです。実は朝鮮蛤は当て字で、本来は汀線蛤が正しい漢字のようです。これは、内湾を好む蛤に対して、外洋、つまり波打ち際を好む汀線蛤と言う意味合いで名付けられたようで、チョウセンハマグリはれっきとした日本の固有種なのです。固有種同士なので、基本的にはハマグリとの交雑は起こりません。一方シナハマグリは危険な外来生物で、既にハマグリとの交雑が始まっており、日本からハマグリが消えてなくなる危機が迫っているのです。
セリ(芹、水芹、芹子)は、セリ科の植物です。日本原産と言われますが、東南アジアにも生えています。皆さんも覚えられた、春の七草の最初に出てくるのがセリですよね。昔は水田の畔道や湿地など、どこにでも生えていた印象があります。「古事記」や「万葉集」にも登場する、古くから日本人に親しまれ続けてきた野菜です。香り豊かで、ちょっと独特のハーブっぽい香りと歯触りに特徴があり、根っ子が特に美味しいです。セリ科にはハーブが沢山属しています。コリアンダー、チャービル、フェンネル、キャラウェイ、クミンも皆、セリ科です。セロリや人参、アシタバなどの野菜もセリ科なんですよ。セリの栽培の歴史は長く、今から400年前の江戸初期の元和年間には、既に栽培の記録が残っています。先日、農水省が主催する、料理人を顕彰する会である料理マスターズのイベントで、宮城県の名取のセリ農家の三浦隆弘さんとお話をする機会に恵まれました。三浦さんの畑は赤貝で有名な名取市の閖上(ゆりあげ)地区から内陸に車で10分程入った下余田(しもようでん)にあります。三浦さんは、そこで有機栽培に拘ったセリを育てています。皆さんはセリ鍋をご存知でしょうか?宮城県の郷土料理(と思われている)で、ここ数年で急速に全国にその名を知られるようになりました。実は、そのセリ鍋なのですが、三浦さんと仙台の割烹「いな穂」の初代親方の稲辺勲さんが共同で開発した、もともとはオリジナル料理なのですよ。出来たのは2004年なので、生まれてからまだ、20年経たない料理なのです。今日はそのセリと蛤で、リゾットを作ります。
この、蛤とセリのリゾットにテイスティングメンバーが選んだイチオシワインはウイリアム フェーブル シャブリでした。シャブリは世界で最も名前の知られた辛口白ワインのひとつです。皆さんもワインを飲み始められた早い段階に、赤ワインのボルドーと、このシャブリの名前を真っ先くらいに覚えられたのではないでしょうか?シャブリはブルゴーニュの最も北に位置する冷涼な産地です。土壌は有名なキンメリジャンで、ジュラ紀後期(約1億8千万年前)に形成されました。この地層には、「エグゾジラ・ヴィルギュラ」と呼ばれる小さな牡蠣の化石を含んだ石灰岩と泥灰質、粘土質の層が交互に折り重なっています。その神に祝福された土地で、シャルドネが育てられシャブリになります。世界的に需要の多い通常のシャブリをつくる生産者の殆どは、収獲を機械で行います。しかしながら、ウイリアム フェーブルでは、自社畑も契約栽培も総ての畑を手収獲で行います。それもぶどう同士が重ならない小さなプラスティック製のトレイを使って収穫します。そうする事でぶどうが潰れて腐敗する事もないのです。また、プレス機も窒素置換で、酸素を遮断できる機械を導入し、繊細なミネラル感が、より一層はっきりと表れる努力をしています。
蛤とセリのリゾットと合わせると、蛤の旨みが、くっきりと出てきました。淡泊ながら、力のある味わいを持った蛤のコクが、シャブリと出会う事で、一層複雑さを増しました。
「貝とシャブリは、鉄板の相性ですね」
「うん、定番中の定番の安心感というか、まさに、これでハマりですねって感じです」
「濃厚なリゾットに、シャブリの酸味が心地良いんですよ」
「蛤を噛むとじわっと広がる旨みとコクに、バターが更に力を与えるのです。樽熟のシャルドネだと、その樽感とバターとが合って美味しいのは美味しいのですが、樽の部分が目立ち過ぎて、肝心の蛤が消えてしまうのです。でも、シャブリだと、蛤にスポットライトが当たるように、蛤がぐっと前面に出てくるんですよ」
「セリの風味も蛤の香りに合っていますね」
皆様も是非、今が旬の蛤とセリのリゾットに挑戦してみてください。そして、ウイリアム フェーブル シャブリとの素晴らしいマリアージュをお楽しみくださいませ。その時、セリの根っ子は捨てずにお召し上がりください。美味しいですよ。