クリスマスと言えば鶏のモモですよね♪
子供の頃、といっても昭和30年代の話なのでほとんどの読者の方はぴんと来ないかもしれませんが、お肉はご馳走でした。牛肉はもちろん、ご馳走のチャンピオンでしたが、豚も鶏もご馳走でした。鶏でもモモが、1本まるまる自分のお皿に乗っているなんて2年に1回くらいしか無かったので、かぶり付く瞬間は、わくわく、どきどき、興奮したのを思い出します。
そしてクリスマスといえばスパークリングワインですよね♪♪
スパークリングワインにもいろいろありますが、元祖スパークリングワイン、本家スパークリングワインはシャンパンです♪♪♪
今回のイチオシはローラン・ペリエのラ キュベです。
ローラン・ペリエ社は1812年の創業、今年で創業200周年を迎えた老舗です。
ウジェンヌ ローランさんとその奥さんのマチルド ペリエの苗字をつないでローラン・ペリエなんですよ。現在ではグループトータルの売り上げ本数が900万本、世界第5位(*)の大きな会社です。
この、ローラン・ペリエ社ですが、最初から大きかったわけではありません。ここまで大きく育てたのは、一人の男の努力の賜物でした。その男の名は、ベルナール ドゥ ノナンクール、ローラン・ペリエ社の前会長です。ドゥ ノナンクール氏はレジスタンスの闘士でした。フランスにとっての第二次世界大戦はナチスとの戦いでした。フランスは戦勝国なのですが「1940年6月14日のパリ陥落」でわかるようにドイツからパリにかけてのフランスの都市はドイツ軍に蹂躙されました。若きドゥ ノナンクール氏はレジスタンスの闘士として穴倉に立て籠もって戦いました。シャンパーニュ地方で穴倉とくれば、当然セラーのトンネルですよね。
終戦後、母親の実家のシャンパンメゾンで4年間修行し、1949年に母親から「あなたが、このローラン・ペリエ社を継ぎなさい」といわれました。
引き継いだ当時、ローラン・ペリエ社は年間生産量わずか8万本、シャンパンメゾンのなかの100番目の規模だったそうです。
「お客様に美味しいシャンパンを飲んでもらいたい」「「良いシャンパンつくるにはなによりも良いぶどうを調達しなければならない・・・」その一心で農家を一軒一軒、口説いて回ったそうです。しかし農家も商売です。大手に買ってもらいたいと考えるのは人の常です。なかなかローラン・ペリエにぶどうを売ってくれるところは現れませんでした。
そこでドゥ ノナンクール氏は農家に2つの提案をしました。
一つ目は「良いぶどうは高く買います」当時、シャンパーニュ地方のぶどうの価格は公定価格、今でこそ当たり前ですが特に品質の良いぶどうにはプレミアムをつけて買う、という提案です。
そしてもうひとつは「悪い年のぶどうも買います」でした。ここで皆さんは「あれ?」と思ったのではないでしょうか?
「良いシャンパンを造るには良いぶどう」が信条だったんじゃないの?
そうです、その通りです。
フランスの名醸地としては最北のシャンパーニュ地方は、北に位置するが故にヴィンテージの差が他の生産地よりも大きく出ます。ぶどう農家の悩みは良いヴィンテージぶどうは飛ぶように売れるが、悪いヴィンテージのぶどうを大手メゾンは、どこも買ってくれないことでした。ドゥ ノナンクール氏はその売れない悪いヴィンテージのぶどうを買う提案をしたのです。そしてそのぶどうでシャンパンはつくらず、スティルワインをつくったのです。この地方のスティルワインは、高い値段では売れません。メゾンの経営は苦しかったですが、この二つの提案で農家の信頼を勝ち得たローラン・ペリエは、徐々に良いぶどうを調達することが出来るようになったのです。今もなお、当時からずっとローラン・ペリエに良いぶどうを供給し続けてくれている農家が数多くあるそうです。その他、マセラシオンにこだわったロゼ、ドサージュ(補糖)ゼロのウルトラ ブリュット、マルチヴィンテージのグラン シエクルなどユニークで独自性の高いシャンパンを多数、世に送り出しています。
今回のレシピであるローストチキン オレガノクリームソースはオーブン無しでフライパンだけで作れます。かりっと焼き色がついた鶏モモにとろーり掛かったクリームソース、オレガノの香りが華やかです。ローラン・ペリエと合わせると、ラ キュベのフレッシュでエレガントそしてバランスがよい味わいとクリスプな皮の食感、モモ肉の肉汁の旨みとが絶妙に合っていました。
「軽やかなんだけど味があります」
「余韻が何ともいえませんね」
「無意識にもう一口飲みたくなりますね」
極上の夜にふさわしいマリアージュでした。
(*)出典:インパクトデータバンク 2010エディション より