杏の花が咲く頃になると、育った家の庭を思い出す。池も石燈篭もなかったが、季節になると杏だ、桜桃だ、梨だ、柿だ、賑やかに一年中果物が実っているような、子供には楽しみな庭ではあった。日本の民家には狭くても必ず庭があると外国の人は感心するらしいが、確かに日本人の心の風景の中に庭は大きな位置を占めているような気がする。昔からお金持ちの家の庭には、大抵錦鯉の泳ぐ大きな池があったものだが、室町時代に白砂で水をイメージしたあの枯山水という新様式が出現するまで日本庭園の多くは池庭で、あれは海を模したものだそうだ。無論そんな贅沢な庭は望まない。グラスに氷、山崎抱えて縁に出る、そんなささやかな空間があれば結構。
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