YAMAZAKI BRAND STORY vol.2
“日本最古のモルトウイスキー蒸溜所”
世界に冠たる日本のウイスキーの歴史は、ここから始まった。
シングルモルトウイスキー「山崎」のブランドストーリー。
2回目の今回は、「日本最古のモルトウイスキー蒸溜所」について解説します。
いまや世界の5大ウイスキーに名を連ね、
世界的な酒類コンペティションの常連にもなったジャパニーズウイスキー。
その歴史的な第一歩は、1923年に京都南西・山崎の地にて刻まれたのでした。
「日本人の手で、世界に誇る日本のウイスキーをつくりたい」
それは、サントリー創業者・鳥井信治郎の熱き想いから始まりました。
しかし当時、社員はもとより、学者や財界人までもが大反対しました。
スコットランドやアイルランド以外の地で、
本格的なウイスキーづくりは不可能だと考えられていたからです。
そんな周囲の猛反対の声に、信治郎はこう答えました。
「やってみんことにはわかりまへんやろ」
信治郎は日本全国を踏破してウイスキーづくりの理想の地を探し求めました。
そして、良い原酒は良い水が生み、良い熟成は良い自然環境なしにはあり得ないという確信と、
あくまで日本らしいウイスキーをつくるために、日本的な風土の中でつくりたいという信念から、
選んだのが山崎の地だったのです。
1923年、「山崎蒸溜所」ついに着工。
1923年10月、信治郎は日本初となるモルトウイスキー蒸溜所
「山崎蒸溜所」の建設に着手しました。
入り口から山に向かって原料倉庫、発芽室、乾燥塔、糖化・発酵室、蒸溜室の順で並べ、
観音池に面してボイラーと煙突が、ケヤキ大木の南側に原酒貯蔵庫が配置されました。
高さ5.11メートル、重さ約2トンの巨大な蒸溜釜は船で淀川をのぼり、
陸揚げして運び入れたのですが、問題は途中にある東海道線の線路でした。
横切るのにどれほど時間がかかるか分からなかったために、
列車の通らない深夜に慎重に慎重に横断。
ぐらぐら揺れる蒸溜釜に肝を冷やしながら、
辛うじて線路を渡り切ったといいます。
翌1924年 11月11日。ついに蒸溜釜に火が入りました。
「日本のウイスキーをつくる」という信治郎の情熱が実を結んだ瞬間です。
信治郎は、自分を支え続けてくれた母親に蒸溜所を見せたいと、
足の悪い母親を背負って、山崎の駅から蒸溜所までの道のりを歩いたといいます。
後年、「国産ウイスキーを醸造するということは多年の夢であり、
ようやく実現の第一歩を踏み出した山崎工場に、母親を背負ってゆき、
隈なく工場を案内したので、母親も非常に悦んでくれたことは、
終生忘れ得ない感激であった。」(当時の社内報より)と記しています。
次回は、「ウイスキーづくりと水」についてお伝えします。お愉しみに。
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