物語に満ちた、メーカーズマークの歴史
スコッチ・アイリッシュ系をルーツとするサミュエルズ家。その精神と想いが込められたメーカーズマークの歩みは、紆余曲折と試行錯誤の繰り返しでした。物語に満ちた足跡の一端をここに紹介します。
スコッチ・アイリッシュ系をルーツとするサミュエルズ家。その精神と想いが込められたメーカーズマークの歩みは、紆余曲折と試行錯誤の繰り返しでした。物語に満ちた足跡の一端をここに紹介します。
スコッチ・アイリッシュ系移民の一族のひとり、ロバート・サミュエルズがペンシルベニアよりケンタッキーに移住。農業をしながら自家用ウイスキーづくりをはじめます。
ロバートの孫、3代目テーラー・ウィリアム・サミュエルズが蒸溜所を設立し、本格的なバーボンウイスキー製造を開始。
1920年施行の禁酒法により操業停止。33年に撤廃後、しばらくして5代目テーラー・ウィリアム・サミュエルズ・シニアが昔ながらの製法によるバーボンウイスキー製造を再開しますが、なかなか軌道に乗りませんでした。
それまでの素朴な味わいのバーボンではなく、世界で評価される最高品質のプレミアムバーボンの製造を探求していた6代目ビル・サミュエルズ・シニアがついに動きます。ハッピー・ハローの丘に囲まれた風光明媚なロレットの谷の一帯にあった農園、スターヒルファームを買い取りました。そこには廃屋同然のバークス・スプリングという小さな蒸溜所と良質な水が湧き出る湖がありました。彼はすぐさま蒸溜所の改修をはじめます。
Bill Samuels, Sr.ビル・サミュエルズ・シニア
前年の53年、蒸溜所の改修、設備導入を終え、サミュエルズ家の新たな蒸溜所としてスタートを切ります。「機械まかせにせず、できる限り人の手でつくる」との信念でプレミアムバーボンづくりがはじまりました。翌54年2月に最初のバッチが樽詰めされました。1バッチ (batch/ロットのこと) 、わずか19樽の生産量。
6代目のビルの妻マージー(本名マージョリー)は、マーケティングに長けた才能を活かして、今につづくメーカーズマークの個性をつくり上げることに大きく貢献しました。
Margie Samuelsマージー・サミュエルズ
ケンタッキーで最小規模の蒸溜所から、6回の夏を過ごして熟成したバーボン「メーカーズマーク」がボトルネックに赤い封ろうを纏い世に送り出されました。
Bill Samuels, Jr.ビル・サミュエルズ・ジュニア
1975年、ビル・サミュエルズ・シニアは、ロケット科学者であり弁護士でもある息子、ビル・ジュニアが、十分にメーカーズマークを引き継げるほど学んだことを悟ります。息子へのアドバイスはたった一言、"Don’t screw up the whisky."(ウイスキーを台なしにするな)でした。
メーカーズマーク蒸溜所がアメリカのアルコール飲料関連施設で初の国定歴史建造物に指定されました。
『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙が、メーカーズマークを第一面で特集します。株式非公開企業が取り上げられたことは過去一度もなく、プレミアムバーボン、世界品質のハンドメイド・バーボンとしての名声がより高まることにつながりました。
Rob Samuels.ロブ・サミュエルズ
7代目ビル・ジュニアが引退し、その息子のロブ・サミュエルズが最高執行責任者(C.O.O./8代目)となります。
9歳からロブ・サミュエルズは蒸溜所においてありとあらゆる仕事を経験してきました。今日、メーカーズマークの最高執行責任者となったロブが大事にしていることは一つ。サミュエルズ家のバーボンを求める世界からの需要に対応できるよう蒸溜所を成長させること、そしてもちろん、「ウイスキーを台無しにしない」こと。
2011年、メーカーズマーク社長を36年間務めた後、ビル・サミュエルズ・ジュニアは、日常業務からの引退を発表。名誉会長となり、息子のロブが最高執行責任者として引き継ぐことになりました。