About The MACALLAN
歴史

The MACALLAN

ザ・マッカランが歩んできた、長い道程は味わい豊かなストーリーに満ちています。
深く赤みがかった琥珀色のグラスを傾けながら、さあ、悠久の歴史へ思いを馳せてみてください。

頑固なこだわりは、
約190年前から

すぐれたウイスキーづくりの地として名高いスペイサイド地方に所在する、ザ・マッカラン蒸溜所。ここは、1824年にハイランドで2番目に「蒸溜ライセンス」を取得し、合法的に蒸溜が行える政府登録蒸溜所として発足した、名門の中の名門です。蒸溜所の歴史はさらに古く、この周辺がまだマッカラン教区といわれていた18世紀初めには、すでにその名が知られていました。そして、クレイゲラヒーの浅瀬を渡って都会に牛を売りに行く牧童たちによって、マッカラン農場の<いのちの水>は徐々に広められ、評判となっていったのです。

紆余曲折を乗り越えた
リーダーシップ

1914年、第一次世界大戦の勃発以来、企業は武力と製造能力の結集を強いられました。こうした時代にザ・マッカランの指揮をとり、苦難を乗り越えたのが、当時ケンプ・トラストのマネジングパートナー兼管財人を務めていたアレクサンダー・ハービンソン博士でした。ケンプ・トラストは、マッカランの所有者だったロデリック・ケンプの死後、将来も変わらず一家のリーダーシップと精神をマッカランに注ぎ続けるために設立された組織。今もザ・マッカランがそのブランド価値を維持できるのは、ケンプの類まれなリーダーシップと精神を受け継いでいるからです。

妥協を許さない
ザ・マッカランの精神

激動の世界情勢のなか、ケンプ・トラストは蒸溜所経営やウイスキー製造にいたるまで、品質の低下につながるいかなる妥協も受け入れませんでした。ハービンソン博士は、倉庫の樽の状態を毎週チェックし、厳しい基準が満たされているかを常に検証していました。原材料の調達にも厳しく、低品質の大麦を納入した業者には、きっぱりとした物言いで返金を要求したといいます。戦争を理由にウイスキーの品質を落とすことは決してできなかったのです。

戦時下でも操業しつづける執念

戦時中は多くの社員が入隊したため、人員にも事欠くことになりました。生産量は30%減少し、ザ・マッカランを提供できないときは、別の製品をすすめることもありました。それでも一時的に操業を停止したり、製品の品質を落としたりすることはせず、これまでと変わらないウイスキーづくりを目指したのです。こうした頑ななスタンスも、今日のマッカランが比類なきブランドとして存在しつづける理由の一つです。

窮地にこそ力を発揮する
不屈の精神

1939年、第二次世界大戦の宣戦布告とともに、ウイスキーを取り巻く状況は悪化していきます。政府はウイスキーの生産と販売を規制しはじめました。その原因となったのが、アルコールの蒸溜のための大麦在庫が国民への食糧供給へ回されたことです。事実、1940年から1944年の終わり頃まで、ウイスキーの蒸溜は法的に禁止されていました。配給制度によって穀物の価格がつり上がり、高価な原材料を仕入れざるを得なくなりました。それでも評価されはじめていた基準に見合う高いクオリティを維持しながら業界での生き残りを模索していきました。

原料の高騰、
税の引き上げにも怯まず

新たな生産に対する制限と前回の戦争による影響で、熟成ウイスキーの在庫が不足して業界はふたたび苦境に陥りました。そうした状況でも、ザ・マッカランの長期的な安定供給を重視し、熟成在庫を極端に減らしてしまったり、熟成度の低い蒸溜酒を使ってウイスキーの品質を落としたりはしませんでした。さらに原材料の高騰や販売税の引き上げで、手持ちの在庫を売りに出すなど目先の利益を優先する業者も多くありましたが、ザ・マッカランはその圧力に屈することもなかったのです。

ウイスキーの品質を
守り抜くプライド

数々の困難に直面することも多く、外部からの大きな圧力があったにもかかわらず、ケンプ・トラストはザ・マッカランのウイスキーの品質を守りつづけました。成熟した在庫をすぐに売りに出すより、貴重な在庫を守り抜くべきという洞察を持ちつづけたのです。こうして経営がつらい時期にも外部からの投資に頼らず、ウイスキーの蒸溜をファミリー・ビジネスとして維持することに成功しました。

マッカランの心の故郷に
思いを馳せて

スコットランドのスペイサイド地方にあるマッカランエステートには、イースターエルキーハウスという唯一無二のシンボルがあります。当時の面影を今に残すその邸宅は、ザ・マッカランが後世へと引き継いでいく責任を負う価値のあるもの。エントランスに「1700年まで遡る」と刻まれたこの建築物は、この地で名を馳せる名士ジョン・グラント大佐によって風光明媚なスペイ川上流の丘陵地帯に建てられました。

この象徴なくして
ザ・マッカランの今はない

イースターエルキーハウスに価値があるのは、その建物自体にスペイサイドの土地にまつわる記憶が残されているからです。1960年代にマッカラン家がこの邸宅を購入した当時、そこは蒸溜所として使うことのできない建物であり、状態が悪すぎたために取り壊しが検討されました。それにもかかわらず、多額の投資を払って維持された経緯からも象徴的建物としての重要性がわかります。ザ・マッカランの代名詞として親しまれてきたイースターエルキーハウスは、現在もザ・マッカランのブランドを形づくる象徴として、蒸溜所で働く人々の心の支えとなり、さらなる発展を促す原動力となっています。

Inside The Macallan素材と製法