粘菌との出会いが切り開く、
表現の地平
私のアーティストとしての主な活動は「粘菌」というアメーバ生物を使ったバイオアートの制作です。粘菌に顔料などの色素を含んだ餌を与えて移動する軌跡を作品にしています。粘菌は日本に存在するものだけでも600種類ほどいて、動きの速さやカビなど他の生物に対する強さ、色の違いなど、それぞれの個性があります。最近見つけた種類は、他の粘菌が避けたり死んでしまう金属性の物質も平気で食べる強さを持っていました。展示作品では、動きの遅い粘菌と早い粘菌を組み合わせることで、作品が時間とともに変化していく仕掛けを作ることもあります。
粘菌との出会いは、大学卒業後に参加した生物学研究室内のバイオアートのプラットフォームでした。そこで見つけた菌の樹状パターンが、すごく美しくて、とても気になって教授に聞いたら粘菌を教えてもらえました。もともと植物の葉脈や木の枝分かれなど、そういう物の形の成り立ちとか構造に興味があったんです。この出会いをきっかけに、私の粘菌を使った創作活動がはじまりました。
粘菌というと"キノコの仲間かな?"と思われることが多いんですけど、進化的にはキノコと人間の方が、キノコと粘菌よりも近い関係なんです。人間とキノコは、粘菌から見ると同じようなものなのかもしれません。
そんな粘菌は、やっぱり人間とは大きく違っていて。切ったら切っただけ、どんどんクローンが増えるんですよ。アメーバなので分裂していくんです。そんな感じで、粘菌を集めては培養して。良さそうなものや生き残るものがあったら、どんどん切ってどんどん増やして、仲間を作って。ちょっとモンスターを見つけて育てるゲームみたいですよね。
私にとっての粘菌って、植物とペットの中間ぐらいの存在です。動きがある分、動物みたいで、死に絶えると悲しい気持ちになります。餌であるオートミールを3日に1度ほどあげて世話を続けています。ぬか床を想像してもらうと理解しやすいかもしれません。
こんなふうに、毎日毎日粘菌と接しているので、粘菌について、私にだけ見えたりわかったり感じたりできる部分があるんだと思います。わかりやすい例をあげると、山梨で開催した古民家粘菌キャンプという企画では、参加者の方に少し粘菌の探し方について教えるとどんどん発見するのがうまくなって、朽木の中の黄色の粘菌がたくさん見つかりました。でも実はそこには赤い粘菌もいて。朽木の中にいる赤い粘菌って、茶色く見えてすごく目立たないんです。だから、はじめて粘菌をさがす人には、赤い粘菌は見えなかった。でも、何年も粘菌を育てている私には見えました。アートや研究の分野ではそういうことが多いですが、ひとつのことにフォーカスして探求を続けていると、対象物への解像度が上がってだんだんとすごく繊細な感覚が獲得される「知覚の変容」が起こってきます。
作品を見る時に、私には粘菌のいるところと軌跡だけのところ、粘菌がどう動いて色を混ぜて排出したのかなどが見えているけれど、はじめて粘菌を知る鑑賞者に同じものが見えているわけではない。見た人が持っている経験や知識によって、作品に対しての感じ方は異なります。私が魅力に感じているマニアックな部分をもっと分かりやすくするために、どういう風に作品を改善したら伝わるか。そういうことを、いつも考えています。
私の創作活動では、ある種分かりづらいことをやっているので、パッとみた印象で感覚的に目を惹いたり、楽しめたりということを重要視しています。バイオアートって、その分野の専門知識がないと、何を表現しているのかわからない難しい作品が多いので、最終的なアウトプットとして、さまざまな奥深いレイヤーがあるけれども入り方としては誰に対しても魅力が伝えられる形にすることを心がけているんです。
二つの拠点と創作生活
現在、東京と山梨の二拠点で創作活動を行っています。やっぱり東京での予定が多いこともあるので、東京をメインにしつつ、山梨にもアトリエを構えて、一ヶ月のうちの一週間ほど滞在しています。山梨での創作拠点であるアトリエは、北杜市という場所のかなり山あいの集落にあるんですけど、アトリエのすぐ裏が山で、渓流もあって、田んぼもあって。自然がすごく多様なんです。
東京にずっといると情報量が多すぎて判断基準がよくわからなくなることがあるんです。でも山梨に行くと、自然に囲まれてリセットできる。文化や人間関係が凝縮している東京、自然の中でじっくりと制作できる山梨、その行き来が自分に合っているなと思っています。粘菌は山梨と東京のどちらにも置いています。何ヶ月も放置して自然状態で朽木から粘菌が出てくるのをゆっくり待つ時は、山梨のアトリエで。コンスタントに世話をしないと絶えてしまう粘菌は、常に持ち歩いています。
知覚の変容と、個性の広がり
もともとモデルとして活動することもありましたが、最近は「アーティスト・齋藤帆奈」としてのオファーが増えてきました。自分の軸としている活動が昔と比べてよりはっきりしてきたので、その分だけ自分の表情や動作に自信や信頼をおけるようになった気がします。今回の撮影では、「作家としての自分」を求められるものでしたが、ラフロイグのスモーキーな香りで過去にバーでアルバイトしていた頃の自分を思い出して、懐かしく感じました。
20代の頃の私って、他人から見たらバラバラに見えていたと思うんです。モデルとしての自分、アーティストとしての自分、科学や哲学などアカデミックで抽象的なことに興味がある自分。それらの興味は内側ではつながっていたけれど、最近ではまとまって表現することができるようになってきている感じがします。粘菌で例えるなら、どんどん放射状に広がっていって先端だけ見ると分かれて見えるけれど、あとでまた収束して、一つにまとまっていくような。
物事をより深く知って、知覚が変容する時って、いろんな記憶と結びついたりすると思うんです。ラフロイグを飲むと研究で訪れたイギリスの荒野が思い浮かびます。20キロほどなだらかな丘の連なったトレイルを歩いたヒースやハリエニシダの生えた大地です。ラフロイグの中にある魅力が、話に聞いたことのある黒い土壌の下の泥炭のイメージとか、それとつながった実際のイギリスでの経験とか、過去の思い出とか、さまざまなものと、くっつく。粘菌がいろんなものをつないでいくようなことが自分の脳の中で起こって、知覚の変容として具現化されているんだろうなあと思います。
味や香りを深く知ると、お酒がより美味しく感じられる。美味しく感じる知覚の変容が起こる。現代アートもそうですが、理解が進めば進むほど、どんどん深みにはまって最初はわからなかったことが好きになっていく。そういうことも全然あると思うんです。
Text:C-Nut Photograph:Megumi Omori
齋藤帆奈(Hanna Saito)
現代美術作家。多摩美術大学工芸学科ガラスコースを卒業後、metaPhorestに参加し、バイオアート領域での活動を開始。現在は東京大学大学院学際情報学府博士課程に在籍。主なテーマは、自然/社会、人間/非人間の区分を再考すること、表現者と表現対象の不可分性。2020年“Eaten Colors Ver.2”がROOMS41にてFRaUエシカルアワード受賞、他受賞や展示多数。