
ここでは、探検者だけが口にすることを許される特別な「水」、そして自然がもたらす水の恵みと味わいについて、角幡氏と「天然水の森」づくりに取り組むサントリー サステナビリティ推進部の鈴木健氏が語り合った。
氷山の氷で飲むオン・ザ・ロックの味は?
私どもは飲料メーカーということもあり、特に飲み水に関する記述を興味深く感じました。
角幡 北極は雪と氷しかないので、コンロの火で雪を溶かして飲んでいました。正直、雪を溶かした水はあまりおいしくないのですが(笑)、それでもマイナス40度の世界で飲む温かいお茶は、ホッと一息つかせてくれる存在です。
鈴木 氷山の氷でオン・ザ・ロックを作ったら最高においしいという話を聞いたことがあります。
角幡 氷山は何千年も前に降った雪が長い時間かけて堆積して氷河になり、それが長い時間をかけてゆっくりと海を移動しながら形作られたものです。
太古の昔の水が凍り続けているわけですし、海に浮かんでいるといっても淡水でできているので、おいしそうに思えるのかもしれませんね。
鈴木 何千年も昔の雪が凍り続けているなんて、ロマンを感じます。
角幡 「氷山の一角」っていう言葉があるくらいですから、氷山は見える部分より、海の下につかっている部分のほうがずっと大きい。温かい海水でその部分が溶けてくると、氷山はバランスを崩してゴロンと回転します。
ちょうどオン・ザ・ロックをそのまま置いておくと、ゆっくり溶けだした氷がグラスの中でカラン、と音を立てて回るようなイメージです。
鈴木 ロックグラスの中で起きることが、極地の海でも起きるんですね。

「今日はうまいコーヒーを飲みたいな」と思って一生懸命氷山の氷を削って、コンロで溶かしてコーヒーをいれたのに、しょっぱくて飲めないという失敗は結構あるんですよ(笑)。
そもそも、氷山にはむやみに近づくべきではないんですけどね(笑)。うまい氷を取ろうと近づいたときに回転を始めたりしたら、命にかかわりますから。
それでも、きれいな氷を取れた時は、すっきりしたおいしい水が飲めるんですよ。雪を溶かした水とはかなり違います。残念ながらウイスキーを持参するような余裕がないので、オン・ザ・ロックを作ったことはありませんが(笑)。

飲み水を求め、チベットの大峡谷に落っこちた
角幡 飲み水を確保できるかどうかは、命にかかわることなので第一に考えますね。どこにでも流れているわけではありませんから。
水といわれて思い出すのは、まだ経験の浅い20代のころ、チベットのツアンポー渓谷に行ったときのことです。
「お前、こんな所に行ったら死ぬぞ」って現地の人に言われるぐらいの峡谷地帯で。すぐ川に下りるつもりで水を持たずに行動を始めたのですが、川までの斜面が想像以上に険しくてなかなか越えられない。
そのまま、日が落ちてしまったんです。2時間、3時間歩いても全然越えられなくて、泊まる場所もない。
暗くなったら行動はやめるべきなのですが、その時はとにかくのどがカラカラに渇いて、水が欲しくて、ヘッドランプをつけて歩き続けました。
急斜面で木の根っこに足を掛けた瞬間、その根っこが腐っていてズボッと抜けてしまったんです。ザックが30キロぐらいあったかな。そのまま体勢を崩し、大峡谷へ向けて真っ逆さまに体がゴロゴロと転がっていって……本当に危なかったです。
ところが、10メートルほど転がったところで太い木があって、その木にザックからぶつかって止まったんですよ。奇跡でした。

角幡 若かったし、無謀でしたね。食料はなくても1週間ぐらいはなんとかなりますが、水がないと持ちませんからね。
冬の極地探検でもテントと並んで重要な装備はコンロとストーブです。これは寒さをしのぐというより、雪を溶かして飲み水を確保するためなんです。
鈴木 探検の地で飲む水で一番おいしいのは、どういう水ですか?
角幡 やっぱり山で飲む沢の水です。サントリーさんの工場や、シングルモルトウイスキー白州の蒸溜所がある南アルプス・白州のあたりを流れる沢の水も、澄み切っていて本当にうまいですよ。
近くの甲斐駒ケ岳は、夏は沢登り、冬はアイスクライミングが楽しめるので、昔から毎年のように出かけているお気に入りの山です。
鈴木 そうですよね! 甲斐駒ケ岳を含め、南アルプス一帯の森と水の素晴らしさが決め手となって、あの場所に白州蒸溜所を造ったんです。
良い森ほどおいしい水が流れている
日常的に飲むにはちょっとぜいたくなので、普段はトリスか角瓶を飲んでいるんですが。
鈴木 ありがとうございます。ウイスキーは仕込む水によって味わいも大きく異なるんです。当社のシングルモルトウイスキーには、「山崎」と「白州」という代表的な2つのブランドがあります。
「山崎」は重厚感のある香りと味わいが特徴であるのに対し、「白州」は軽快ですっきりした飲みやすさが持ち味です。こうした違いは、水の硬度も影響しているんです。
角幡 硬度ですか。
鈴木 「山崎」で使われる仕込み水の硬度は約90であるのに対し、「白州」の仕込み水は30程度です。
当社は1923年に山崎蒸溜所でウイスキーづくりを始めましたが、個性の異なる原酒をつくろうと、水が清冽で、硬度も異なる白州の森に蒸溜所を造った経緯があります。
白州には花崗(かこう)岩の地層が広がっていて、そこで何十年もかけて磨かれる間にミネラル分が溶け込んでいるんです。

地下水として出てくるまでに何十年、ウイスキーとして熟成するのに何十年とかけて味わい深くなる
角幡さんは「白州」の味をフルーティーと表現されましたが、これはまさに木桶で発酵したことが関係しているんです。
角幡 そうなんですね。僕の舌も捨てたもんじゃないなあ(笑)。

サントリーが取り組む「天然水の森づくり」
誰も必要としないような林道を造った末に荒れ果てた森や、放置された人工林といった問題を抱える森では、沢の水も濁っていることが多いように感じます。
これに対し、自然が守られた森では沢の水がうまいのはもちろん、魚もたくさんいるし、多少の雨でも増水や鉄砲水が起きにくく、防災面でも安全性が高いんです。

しかし植物や動物などの生態系が乱れ、森林土壌に影響が及んでしまうと、こうした循環も分断されてしまう。
そこでサントリーでは「白州」の蒸溜所がある南アルプスに加え、全国で「天然水の森」づくりという森林保全活動を続けています。
工場でくみ上げる地下水の量の2倍の水を生み出す森を育むことも目標にしており、達成まであと一歩というところまで来ています。
短尺版:https://www.youtube.com/watch?v=aWtoHJo3KEQ
角幡 素晴らしい活動ですね。僕はかつて新聞記者をしていましたが、当時から問題意識を持って日本の林業について取材をしていました。
日本の山は多くが人工林にされてしまっているのに、林業に携わる人たちが食べていけなくなって廃業し、放置される森がたくさんあります。
最近は林業に興味を持つ若い人も増えてきましたが、難しい課題であることに変わりはありません。

専門家・地元の方々の協力のもと、数十年後、100年後の森の姿を見据えて活動をしている
角幡 それは良い取り組みですね。技術は途絶える前に守り伝える必要がありますから。
鈴木 飲料メーカーは水がなければやっていけないので、本当にこの地で水をくみ上げ続けていてよいかどうかということから、徹底して調査しています。
必要であればその森を守り育てるために活動をしますし、手を加える必要がない森なら、そのまま見守りを続けるという選択もあります。

ハイボールで読書を楽しむ、1日の終わり
角幡 1日の終わりに、ゆっくり本を読んだりしながらハイボールや水割りを飲むのが、リラックスできる至福の時ですね。
20代のときは焼酎を主に飲んでいましたけど、30代ぐらいからウイスキーがうまいと感じるようになりました。
子どもが生まれてからは、寝かしつけながら一緒に寝てしまうことも多くてゆっくり酒を楽しむ機会が減りましたが、成長すればまた違った楽しみ方もあるのかもしれません。

角幡 僕が行くような地域は、ドライコミュニティといって禁酒のエリアも多いんです。だから、あんまり飲みませんね。探検を終えて、帰国してからの楽しみにとっています。
鈴木 ぜひ、「白州」で旅の疲れをいやして、次なる探検に向けての英気を養ってください。
(執筆:森田悦子 編集:奈良岡崇子 撮影:大畑陽子 デザイン:砂田優花)
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