蒸溜所で愉しむ

南アルプスの甲斐駒ケ岳山麓に位置し、豊かな森と清冽な水に恵まれた白州蒸溜所。この自然環境なくして、「シングルモルトウイスキー白州」の爽やかな味わいを生み出すことはできません。ではなぜ、どのようにしてここ白州が蒸溜所建設地として選ばれたのでしょう。そこには“水の狩人”と呼ばれた、ある人物が大きく関わっていたのです…。



蒸溜所の建設地を探す困難なミッション
白州蒸溜所が建設されたのは1973年のこと。それは山崎蒸溜所の開設から50年という節目の年でした。そこで、サントリー創業者の鳥井信治郎の次男であり、社長を引き継いでいた佐治敬三は、山崎蒸溜所とは異なるタイプの原酒を求めて、山崎に次ぐ2番目のモルトウイスキー蒸溜所の建設を決断したのです。建設地を探すにあたってこだわったのは、ウイスキーの仕込みにぴったりな水があることと、その水を永きに渡って育んでくれる豊かな自然に恵まれていること。特に水はウイスキーの品質を決める大きな要素で、仕込み水の性格はできあがるウイスキーの味わいを大幅に左右します。妥協は許されず、適地を探す作業が困難を極めることは容易に想像されました。その困難なミッションを任されたのが大西為雄です。
大西は戦前からウイスキーづくりに関わり、鳥井信治郎、佐治敬三という2代に渡るマスターブレンダーに仕え、山崎蒸溜所の工場長も務めたウイスキーのプロフェッショナル。長くウイスキーづくりの現場で培われた深い知識と行動力を買われ、佐治敬三から新たな蒸溜所建設地を探す命を受けたのです。



全国を行脚し、ついに白州にたどり着く
ウイスキーづくりに適した水を求める大西の旅は日本全国におよびました。常に携帯していたのはカメラ、水を試飲するためのテイスティンググラス、双眼鏡、録音機、メモ帳など。水質だけでなく立地条件、面積、気象、地質、水量、排水条件など、22にもおよぶ項目をチェックするための道具を詰めたリュックを背負い、登山靴を履き、ゲーターを身に着けて、ある時は源流奥深くの険しい山中にまで踏み入ったといいます。これはと思う水に出会っても、原酒を静かに貯蔵するための深い自然の森がない。すべての条件に合致した水と場所であっても、水を持ち帰り実際にウイスキーを仕込んでみると、思った味わいに仕上がらない。支笏湖(しこつこ)、北上川、最上川、祖母山麓竹田、郡上八幡、日光戦場ヶ原…。理想の水と場所を求め全国を調査する旅に終わりはあるのか。あらためてこのミッションの困難さを感じ、体中に疲労を抱えた状態のある晩秋の午後、大西は甲斐駒ケ岳の山麓にたどり着きます。

そう、その地こそが現在の北杜市白州町だったのです。甲斐駒ケ岳山系から流れ出した神宮川の清らかな流れが田園を潤し、周囲は広大な落葉広葉樹とアカマツの林に囲まれている。このなんとも牧歌的な風景に疲れた心と体が癒やされるのを感じたのか、大西氏は偶然、白州のドライブインに立ち寄りました。そこでコップに出された水を飲み、何か心に引っかかるものを感じたのです。これこそが自分の求めていた水なのではないか。血が騒ぎ、胸が熱くなるのを感じたと、大西は後に述懐しています。
すぐさま、その足で神宮川を遡り、源流近くでテイスティンググラスを取り出します。水をグラスに注ぎ、そっと口を近づける。その水が喉を通った瞬間「まだ日本にもこんな水があるのか」と、大西は震えたといいます。なにより口当たりが柔らかく、飲んでうまい。すぐにその水を持ち帰り、テスト醸造と蒸溜を行い、慎重に検査を繰り返した結果、白州の水は科学的にもウイスキーづくりにふさわしいと立証されたのです。
数年におよぶ大西の旅は、ここに終わりを告げました。ついにウイスキーづくりの第2の理想郷にたどり着いたのです。ウイスキーづくりに情熱を燃やし、水を求めて山深くまで分け入り、源流を調査したことから、大西は後に"水の狩人"と呼ばれることになります。地道に理想の水を求めたひとりの男の執念を感じずにはいられません。
ここで注目すべきは、大西は地質学者でも水の科学者でもなく、ただ一途にウイスキーづくりに専念してきた職人だという点。しかし、長いウイスキーづくりを通し、良い水というものを知り尽くし、そこから生まれる原酒の性格を見抜く力、ウイスキーづくりの匠の心を持っていたからこそ白州の地に巡り会えたのでしょう。
すぐさま、その足で神宮川を遡り、源流近くでテイスティンググラスを取り出します。水をグラスに注ぎ、そっと口を近づける。その水が喉を通った瞬間「まだ日本にもこんな水があるのか」と、大西は震えたといいます。なにより口当たりが柔らかく、飲んでうまい。すぐにその水を持ち帰り、テスト醸造と蒸溜を行い、慎重に検査を繰り返した結果、白州の水は科学的にもウイスキーづくりにふさわしいと立証されたのです。
数年におよぶ大西の旅は、ここに終わりを告げました。ついにウイスキーづくりの第2の理想郷にたどり着いたのです。ウイスキーづくりに情熱を燃やし、水を求めて山深くまで分け入り、源流を調査したことから、大西は後に"水の狩人"と呼ばれることになります。地道に理想の水を求めたひとりの男の執念を感じずにはいられません。
ここで注目すべきは、大西は地質学者でも水の科学者でもなく、ただ一途にウイスキーづくりに専念してきた職人だという点。しかし、長いウイスキーづくりを通し、良い水というものを知り尽くし、そこから生まれる原酒の性格を見抜く力、ウイスキーづくりの匠の心を持っていたからこそ白州の地に巡り会えたのでしょう。

大西の魂が宿る「シングルモルトウイスキー白州」
こうして1973年に建てられた白州蒸溜所。それから21年の年月を経て、1994年に「シングルモルトウイスキー白州」は産声をあげました。大西が見つけた不純物がなく、口当たりが柔らかく、飲んで美味しい水、南アルプスの山々で長い年月をかけて磨かれた地下天然水の個性は、そのまま「シングルモルトウイスキー白州」の爽やかな味わいに反映されています。さらに、今や「シングルモルトウイスキー白州」は、世界でも評価されています。世界的に権威のある酒類コンペティションで最高賞を受賞するまでに成長しました。全国を行脚し、理想の水を見つけた大西の功績は、「シングルモルトウイスキー白州」を通し、数十年の時を経て世界中から認められたのです。
シングルモルトウイスキーの味わいは、その土地の風土の影響を強く受けます。白州の自然、そこに湧き出す天然水があるからこそ、世界中で愛される「シングルモルトウイスキー白州」が生まれたのです。もし、良い水を探すことに懸けた大西の情熱がなかったら、私たちは、この爽やかな味わいを愉しむことはできなかったでしょう。「シングルモルトウイスキー白州」には、美味しいウイスキーづくりを真摯に求めた大西の魂が宿っているのです。