時代を拓く男・長塚圭史と、135年挑戦の炎を灯すグレンフィディック
若き頃より気鋭の劇作家・演出家・俳優として数々の表現に挑み、そして今、KAAT神奈川芸術劇場の芸術監督として新たなステージに立つ長塚圭史。そんな彼が選ぶのは、かつてはマイナーであったシングルモルトというカテゴリーを、独自の信念で世界に広げたパイオニア「グレンフィディック」だ。新境地を切り拓く男とウイスキー。両者が共鳴する、沸き立つ挑戦心の奥にあるものとは──。
止まない挑戦心が新たな世界をつくりだす
グレンフィディックの創業者ウィリアム・グラントが、1880年代にスコットランド北東部のダフタウンに自身の蒸溜所設立を志したのは、47歳の時。当時であれば人生の幕引きを考え始めてもおかしくはない年齢だが、「最高の1杯をつくりたい」という強い想いのもと、勤めていた蒸溜所から独立。その挑戦の歴史は脈々と受け継がれ、その後、ブレンデッド・ウイスキーが主流の時代には、無謀と言われるなかで、曾孫であるサンディ・グラント・ゴードンがニューヨークに乗りこみシングルモルトを販売。成功を収め、時代のパイオニアとして、現在に続くシングルモルトというカテゴリーを世界に知らしめた。
そんな自らの信念を信じ、挑戦し続ける生き様を、同様に演劇界で体現しているのが、劇作家・演出家・俳優の長塚圭史氏だ。
学生時代に演劇プロデュースユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を立ち上げ、作・演出を担当。オリジナルから翻訳劇まで幅広く作品を手がけ、シアターコクーンやパルコ劇場へ進出、芸術選奨文部科学大臣新人賞、読売演劇大賞優秀演出家賞をはじめ数々の賞を受賞するなど、まさに演劇界の寵児となった長塚氏。そして四半世紀以上の活躍を経て、2021年4月にKAAT神奈川芸術劇場の芸術監督に就任。KAATを舞台に、日本の演劇界の変革を担うひとりとして注目されている。
芸術監督就任後、長塚氏が挑んだのが「劇場をひらく」という試みだ。
「演劇が身近ではないという以前に、実は街に劇場があることさえ知られていない。良質の作品を上演するのはもちろんですが、作品を見なくても、まずは劇場というのはこんな場所なんだと知ってもらいたい。そのためには誰にでもひらかれた劇場であるべきだし、僕ら自身もここから飛びだしていかなくてはいけないと思いました」
その象徴として、就任一作目となる『王将 -三部作-』を、建物の入り口であるアトリウム(ガラスで囲まれた広場)に特設劇場を設置して上演。劇場を訪れた人が、俳優が袖で控える様子を見ることができたり、上階から見下ろせば、上演中の舞台の様子が覗けたりと、演劇を身近に感じてもらえるような工夫をした。また、市民の憩いの場になるよう、アトリウムにテーブルとイスを置き、現代アートの展示なども企画。ジャーナリストや脳科学者など長塚氏が気になる人物を招いての対談や、街の情報などを掲載した広報誌「KAAT PAPER」を発行するなど、劇場が街と繋がり、より多くの人が文化芸術に触れることができる場となるような試みをしている。
「だからといって、すぐにお芝居を見に来てくれるとは思っていません。まずは“何かやっているな”と気づいてもらうだけでいいんです。ここに来れば何かある、何か面白そうだ、そんな場所だと思ってもらうことが一番大事。そのためにも、何をやりたいかの前に、“劇場をひらく”ために根本的に変えるべきは何なのかを考え、変化することを恐れずに、しつこくやり続けることが必要だと思っています」
それは周囲の反対をものともせず、自らがつくるウイスキーの可能性を信じ、シングルモルトというカテゴリーを切り拓いたグレンフィディックの想いにも通ずると長塚氏は言う。
1963年当時、ブレンデッド・ウイスキーが盛況のニューヨークに単身乗りこんだのは、3代目であるサンディ・グラント・ゴードン。「you may never stand for a blended Scotch again(もうブレンデッド・ウイスキーには戻れない)」という挑戦的なスローガンを掲げ、ニューヨーク~シカゴ間の列車でオンザロックやハイボールを提供するプロモーションなどを通じて、その味わいを伝えることに成功した人物だ。そんな創業以来続くパイオニア精神の結果は、シングルモルト販売数量世界No.1(出典元:IWSR2021)という実績が証明する。
「その挑戦は、グレンフィディックの創業者一族がシングルモルトの魅力を心から信じていたからこそ。僕らも劇体験こそが、世界をさまざまな角度で感じることができる、本当に豊かなものだと信じているんです」
苦境を超えるのは揺るがない信念
コロナ禍で“不要不急なもの”と言われ、苦境に立たされた演劇界。長塚氏が芸術監督に就任したのは、まさにパンデミックの真っただなかであり、未来が予測できないなかでのスタートだった。
「もちろん、ものすごくヘコみました。でも、『いや、そんなもんじゃない』と心のなかでは思っていましたし、再開した時の熱を信じていましたから、心底めげるようなことはありませんでした」
かたやグレンフィディックにも、困難な時代があった。創業から33年後の1920年にアメリカで禁酒法が施行され、多くの蒸溜所が閉鎖を余儀なくされた。そのなかにありながら、この不遇な時代は必ず明けると信じたグレンフィディックは、敢えて生産量を増大。禁酒法が廃止されるまでの13年間、揺るぐことなくこの姿勢を貫き続けた。このエピソードには、長塚氏も深く共感したという。
「劇場を豊かな場所にしていくためには、今現在の視点だけで物事を考えるのではなく、経験や知識を貯めこんで熟成していくことが必要です。今を生き延びるためにやるべきこととバランスを取りながら、未来を見据えた選択をしていくべきだと考えています」
同時に長塚氏は「まだ見ぬものをつくってみたくて、難しそうな道を選んでしまう」とも。一演出家、一俳優というだけではなく、劇場にかかわるすべてを把握し、運営の責務を負う芸術監督としての長塚氏を支えるのは、自らが信じ続ける未来と飽くなき探究心だ。
芸術監督という重責ものしかかるなか、どんな状況でも歩みを止めない長塚氏。その日々において、1杯のウイスキーが癒やしとなっているという。
「1日しっかり働いたあとに、ゆっくり飲みたいのがウイスキー。お気に入りのバーや、自宅で音楽を聴きながら、ウイスキーとともに、ひと息ついた時間を愉しんでいます」
なかでも驚いたのは、グレンフィディックの味のスムースさだ。
「フルーティですごく飲みやすいんですよね。香りも豊かなので、時間をかけてじっくり味わいたい。IPA(インディア・ペール・エール)やシャンパン製造に使われる樽で後熟させたものもあると聞いたので、どんな変化をみせるのか、ぜひ飲んでみたいと思っています」
非効率だからこそ実現する最高の仕上がり
革新的な挑戦をする一方で、創業以来伝統の製法を守り続けるのもグレンフィディックのこだわりだ。大きな蒸溜器で簡単に量産を考えるのではなく、創業当時と同じ大きさの蒸溜器を敢えて使い続けているのも、どんなことがあっても譲れない品質を追い求めるため。美味しさの追求のためには効率より非効率を選ぶ、それが“最高の1杯を生みだす”ための哲学なのだ。
「それは演劇でも同じです。非効率のなかにこそ発見がある」と長塚氏は言う。
「例えば稽古場に舞台セットが準備されていても、ギリギリまで敢えて使わず稽古したことがあります。重要なのはまず役者自身の内面で役をつくりだすこと。セットの中に入れば、どう観客に見せるかという結果に早く到達したくなる。そこをグッと堪えたんです。合理的ではなくても地道な作業のなかで埋めていく喜びがあり、だからこそ仕上がった時に、きめ細やかさや味わいが生まれることがあるんです」
非効率と言われようとも、簡単に手に入れることができないからこそ生まれる美しさがそこにはある。それが演劇、そしてウイスキーという形になって表現されているのだ。
芸術監督の任期は5年。就任から約2年が過ぎ、折り返し地点を迎えつつある長塚氏だが、挑戦したいことはまだまだある。
「今現在のことも大事ですが、僕は未来を信じたい。いつの日か『KAATといえばこれ』と言えるような、代名詞的な作品をつくりたいと思っています。困難も多いですが、演劇は自由な表現の場。だからこそ、常に挑戦的であることが重要です。そして時には敢えてブレーキを踏まずに、突き進む精神も必要だと考えています」
観客のポテンシャルと演劇の持つ力を信じ、芸術監督として新境地を拓き続ける演劇人と、最高の1杯を信じ、伝統を守りながらも135年間、誰もが考えなかった試みを続けるウイスキー「グレンフィディック」。見つめる未来のために歩みを止めない両者の挑戦は、これからも新しい時代を拓いていく。