ものづくりへの情熱が、挑戦と革新を生み出す――
堀口切子とグレンフィディックの共鳴
気鋭の江戸切子職人として注目を浴びている堀口徹(三代秀石)。
江戸切子を代表するグラスや花器にとどまらず、ホテルのインテリアや腕時計、ジュエリーなど先鋭的な作品を数多く生み出している。伝統を守りつつ、よりよいもの、まだ見ぬものを作りたいとチャレンジを続ける堀口の姿は、シングルモルトウイスキーのパイオニアであるグレンフィディックの姿勢と重なる――。
妥協しない、自信を持って世に出すために
江戸切子職人・堀口徹は、妥協しない。グラスの形状、口肉の厚み、底肉の重さ、内容量。バーテンダーや料理人、飲酒家にひたすらヒアリングをして、0.1ミリ単位で設計。吹きガラス作家が製造した素材となるガラス生地に、繊細なカットを施す。ガラスだけに一発勝負。堀口はそれを「リレー」と表現する。
例えば、ガラス作家によって生まれ、堀口がカッティングを施した食器が、料理人の繊細な料理に彩りを添える。その状況において最高のパフォーマンスが発揮できるよう、職人から職人へバトンをつなぐリレー。そのリレーが好きだ。
「時として同業者でもわからないような、表面上には変化の見られない制作工程を挟んだり、加工を施したりすることもあります。それも自信を持って『これです』と世に出すために、絶対に譲れない、やらなければならないことだから」
堀口の妥協しない姿勢は、堀口切子の商品ラインナップにも表れている。定期的に旧商品を廃番にし、新商品を計画的につくる工房も多いが、堀口切子はよほどのことがなければ廃番にせず、また新商品を出すタイミングも定めていないという。
「逆に言うと『どうしてもこれをつくりたい』『この商品と一生付き合っていくぞ』という思い入れがない限り、新商品を投入しないんです。その結果、堀口切子は2008年の創業からずっとつくりたいものしかつくってきてないんです。これは自慢でもあります」
そんな妥協をしない堀口に共鳴するのが、グレンフィディック。創業の1887年から基本的な製法は変えず、味わいに関しての責任を背負うモルトマスターが味を厳格に守っている。また、麦汁の発酵槽は現代では扱いやすいステンレス製が主流だが、グレンフィディックは手間のかかる木製を頑なに使い続ける。ステンレス製を試したこともあるが、長年ブランドと味を守ってきた職人が細微な違いを感じ取り、木製に戻した。
シングルモルトとして世界一の販売量(※IWSR2021)を誇りながらも、巨大な生産設備を持たず、その味わいを守るために蒸溜釜は小さいものを使い続ける。しかもその蒸溜釜のために銅器職人を常駐させるという徹底ぶりで、彼らは日頃から細かにメンテナンスを施している。樽も自社の樽職人が制作。納得のいく商品づくりのため、仕込みから製品が完成するまで各工程における専門の技術と知識を持った職人がリレーする。
「木製の発酵槽や小さい釜を使い続ける理由はよくわかります。味は絶対に変えられない、譲れないところだからですよね。そこを守ることはとても大事」と堀口はうなずく。そして、「そうした思いを薄めることなく大規模の蒸溜所でできていることがすごい。堀口切子は社員4人。やはり理念やフィロソフィーの共有を重視し、時間や労力をかけています」と、いまなお創業時のように、ものづくりへの情熱を持ち続けるグレンフィディックの姿勢に感心する。
最高の商品だという確信があるからチャレンジできる
堀口は、もともとは祖父(初代秀石)が創業した堀口硝子に入社し、江戸切子職人をめざした。しかし同社では会社員の一人として、出荷など加工以外の事務作業にとらわれる時間も多かった。精巧なカッティングを求められる江戸切子職人は視力が命。20〜30代のうちにできるだけたくさん切って修行を積みたい。もっと技術力を上げたい。その強い思いから職人として独立する道を選んだ。
一方、グレンフィディックの創業者・ウィリアム・グラントもまた、もともとウイスキー蒸溜所の一社員だったが、「最高の一杯をつくりたい」という情熱にかられて47歳で独立。資金のない中で、9人の子どもたちと家族総出で石を1つずつ積み上げ蒸溜所を建設し、中古の蒸溜を譲り受けてその歩みをスタートした。
1920年代、アメリカでは禁酒法が施行され、ウイスキーを輸出できなくなったスコットランドの蒸溜所は、ほとんどが生産を中止もしくは縮小した。しかし、グレンフィディックはここで業界を驚かせるような決断をする。「いつか必ず禁酒法は終わる。その際に上質なウイスキーが求められるはずだ」と逆に生産量を増大させたのだ。それは製法にこだわり、絶対的な自信を持つその味をもっと世に広めたいという思いからの決断だった。
1963年には、初めてシングルモルトウイスキーで世界に挑んだ。当時は調和のとれたブレンデッドウイスキーが主流で、単一の蒸溜所でつくられた個性の強いシングルモルトウイスキーは広く受け入れられるわけがないと周囲から大反対され、嘲笑されたこともあったという。しかし、「この軽やかでフルーティーな味わいは、必ず人気となるはずだ」という確固たる自信のもと、単身でニューヨークに乗り込みプロモーション活動を行った。これがのちに「シングルモルトウイスキー」という一大カテゴリを築くことになり、その功績が認められて1974年、英国ビジネス界での最高の栄誉とされる「クイーンズアワード」を業界で初めて受賞するという栄誉に輝いた。常識にとらわれず、信念を貫いて挑戦を続けた結果が実を結んだ瞬間だといえるだろう。
堀口もまた、既存の江戸切子の枠にとらわれないチャレンジ性の高い作品を多数発表している。緻密な文様を細かく刻む印象が強い江戸切子において、カットが1本しか入っていない現代アートのようなグラス。あるいは、企業からのオファーを受けて制作した照明器具、腕時計……。時には先輩職人から「これは江戸切子じゃない」と批判されることもあったという。
「自分の作品には絶対の自信はありましたが、そういった声を受け止められず、悩みました。それでも評価されたい人に評価してもらえたことで徐々に気にならなくなりましたね。期待に応えて、予想を裏切る――企業からオファーがあれば全力で応えたいし、自分から発信する商品は、つくってみたい、見てみたいという思いが生んだもの。チャレンジしようと思ってチャレンジしているわけではないんです。つくってみたいと思ってつくったものが、結果的に後から見たらチャレンジになっているのだと思います」
いいものをつくり続ける、それが「伝統」となる
堀口は、革新的な商品を生み出す一方で、伝統を守っていきたいという思いも強い。
「心底、江戸切子って素敵だなと思うし、江戸切子のおかげで素晴らしい体験やチャンスを与えてもらいました。それを自分だけでおしまいにするなんて、そんな勝手なことはできない。ちゃんと報いなければと思うんです。1人が1人以上の後継者を育てれば職人は減らない。だから、堀口切子には『後継者を1人育てる』というノルマがあります」
しかしそう言いながらも、伝統工芸として残すために“残す作業”をすることには疑問を感じるそうだ。
「本当にいいものを世に送り出す作業を続けていれば、結果的にちゃんと残っていくはず。江戸切子の歴史はまだ数百年で、完全には成熟していません。相当なポテンシャルを秘めている。その時々で使い手から求められるような小さな革新が行われていれば、求められ続けて商売が続き、それが伝統になるはず」
革新を重ねてきたからこそ、新しい世界に挑むことができる。グレンフィディックも、味をなじませる後熟の過程で、業界では類を見ないビールの樽を使った「IPA」や、シャンパン製造の樽を使った「23年グランクリュ」など、今なおチャレンジを続け、新たな味わいを追求している。
ひとつの“完成形”をつくり上げた先人たちへのリスペクトは忘れず、だからといって“停滞”はしない。守るべき伝統はそのままに、探求心をもって、ときに常識を覆すようなチャレンジに挑む――。
その姿は堀口にもグレンフィディックにも共通する姿であり、多くのビジネスパーソンが目指す理想形でもあるのだ。
Text by Yukiko Anraku | Photographs by Yuji Kanno | Edit by Kaori Saeki