そうこうするうちにトランペットのディジー・ガレスピーも顔を出すようになる。ガレスピーはキャブ・キャロウェイやベニー・カーターのバンドで、すでに豊富な経験を積んでいた。
こうして4人は他を寄せつけなくなる。スウィングの連中をはじめビバップのアウトサイダーたちを困らせ、店が閉まるとアップタウン・ハウスへ行って食事をしながら語り合い、翌朝まで演奏しつづけた。
バードは21歳になっていた。そしてすでに伝説的存在になろうとしていた。ミュージシャンは彼の演奏を聴きに集まった。どんな曲でも素晴らしい即興演奏にしてしまう男。誰かがピアノのキーを3つ叩いたら、すかさずひとつのメロディーに仕立て、彩りえ添えてアドリブで数コーラス吹いてしまう男。噂は尾ひれがつく。いつの間にか、こんな風に語られるようになる。“ハーレムの片隅のみすぼらしい店で、若いモーツアルトが、際限もなくメロディーを繰り出している”
バードの才能に並みいるミュージシャンたちが舌を巻いた。
しかしながら当初、ビバップはまったく受け入れてもらえなかった。8分音符を基調とするフレージング。コード進行に聴き手がついていけないほど速すぎるテンポ。批評家や音楽記者のほとんどが酷評した。共通した意見は、バッパーたちは楽器の扱い方を知らない、というものだった。
1920年代に革新的なデビューを果たしたルイ・アームストロングさえ理解を示さなかったらしい。名バンド・リーダーのトミー・ドーシーさえ「ジャズを20年も後戻りさせた」と批評した。
スウィング系のジャズ・メンの中でビバップを正当に評価したのは、デューク・エリントンとカウント・ベイシーだけとさえ言われているほどだ。ふたりはビバップといわれるものがかってないほどスウィングしていることに気づいており、スタイルがどうであれ、良い音楽であれば理解を示した。
一方、バッパーたちといえば、自分たちの個性的なインプロヴァイズされた語り口について釈明しようなどとは考えてもおらず、酷評を仲間内で冗談のネタとして楽しんでいた。
さて今夜はジャズを聴きながらバーボンウイスキーをどうぞ。クール&スイートな「メーカーズマーク・ミントジュレップ」の爽快感に満たされながら、クールなバッパーたちが眩しく輝いた夜に想いを馳せよう。
(第17回了)