アーヴィン・アルディッティは現代音楽の世界で最も重要な演奏家の一人であり、アルディッティ弦楽四重奏団の第一ヴァイオリン奏者としての伝説的なキャリアに加え、多くのソロ作品にも生命を吹き込んでいる。
1953年ロンドンに生まれ、16歳で英国王立音楽院に入学。76年にロンドン響に入団し、2年後に25歳でコ・コンサートマスターに就任したが、在学中の74年に結成したアルディッティ弦楽四重奏団に専念するため、80年に退団した。
アスコ・アンサンブル、コンセルトヘボウ管、バイエルン放送響、パリ管、BBC響、アンサンブル・モデルン、ロンドン・シンフォニエッタなど多数の著名オーケストラやアンサンブルと共演。多くの協奏曲を演奏し、特にリゲティやデュティユーらから高い評価を得ている。また自身のために特別に書かれた作品—クセナキス『ドクス・オーク』、ファーニホウ『地形』、細川俊夫『ランドスケープⅢ』などを世界初演した。
ソロの録音も多い。カーター、ファーニホウ、ドナトーニなどの作曲家によるソロ・ヴァイオリン作品のCDや、ノーノ『ラ・ロンタナンツァ』は数々の賞を受賞。また、アメリカのレーベルModeのケージ・ヴァイオリン音楽全集シリーズの一環として録音した『フリーマン・エチュード』は音楽史にその名を刻んでいる。ベリオの『セクエンツァ』の録音はドイツ・シャルプラッテン賞や、イタリアの音楽誌アマデウスの最優秀現代音楽作品賞を受賞した。
2017年にはパリでシャルル・クロ・グランプリ・イン・オノレム(生涯功労賞)を授与された。また13年にアルディッティと作曲家ロベルト・プラッツによる書籍『The Techniques of Violin Playing』がべーレンライター社から、そして23年にはマインツのショット社から自著の伝記が発売。この本には、現代音楽演奏の約50年にわたる出来事が生涯にわたって網羅され、彼が関わった25人の作曲家についての詳細な情報が掲載されている。
東京に生まれる。15歳ころに陸軍の宿舎で聴いたリュシエンヌ・ボワイエの『聞かせてよ愛の言葉を』で音楽に目ざめ、1948年から清瀬保二に作曲を師事。50年ころ、湯浅譲二らと芸術家団体「実験工房」を結成、劇音楽、放送用音楽、テープ音楽も発表する。たまたま耳にしたストラヴィンスキーが称賛した『弦楽のためのレクイエム』(57)、ユネスコ国際音楽評議会主催のコンクールで入賞・受賞した『環礁』(62)、『テクスチュアズ』(64)、そしてニューヨーク・フィルハーモニック創立125周年を記念して委嘱された琵琶、尺八、オーケストラのための『ノヴェンバー・ステップス』(67)で国際的な評価を確立、日本の作曲家として未曾有の名声を獲得した。前衛的技法を独自に応用した60年代までの作品は、ときに峻厳な印象を与えるが、70年代後半以降のとりわけ水、夢、雨に着想を得た作品では、瑞々しく豊麗で耽美的な響きを追求。ポップで洒脱な「うた」のシリーズ、100以上の映画、放送用音楽の作曲、現代音楽祭「今日の音楽祭」の企画・構成(73~92)、サントリーホールの国際作曲委嘱シリーズの監修(86~98)を通して、日本の音楽文化に果たした貢献は多角的かつ厖大である。
[平野貴俊]
サットン・コールドフィールド(イギリス)出身。聖歌隊を経て、ケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジで学ぶ。ブリテンの勧めにより、エルヴィン・シュタインとハンス・ケラーに師事。グラスゴー大学とケンブリッジ大学で博士号を取得。プリンストン大学でバビットにも学び、1960年代半ばにはシュトックハウゼンと出会い刺戟を受ける。70年代からテープを用いた創作を始め、ブーレーズによって設立直後のIRCAMに招かれる。ここで作曲された15人の奏者と4チャンネルテープのための大作『バクティ(帰依)』(82)は、ハーヴェイが終生関心を寄せ続けた精神世界とりわけ仏教思想を、セリアリズムと電子音響を用いて表現した記念碑的作品であり、そこで行われた倍音列の処理はまた、当時出現してまもないスペクトル楽派に彼が親しむきっかけともなった。同じく仏教思想に触発されたオーケストラとエレクトロニクスのための『スピーキングズ』(2008)では、円熟した筆致が生む気高くも浮遊感に満ちた響きのなかに、精神世界とテクノロジーを仲介する独自の音楽世界を昇華させた。サントリーホール国際作曲委嘱シリーズでは『80ブレス・フォー・トウキョウ』(10)を作曲。
[平野貴俊]
1955年広島生まれ。1976年から11年間ベルリン芸術大学で尹伊桑に、フライブルク音楽大学でK. フーバーに作曲を師事。80年ダルムシュタット国際現代音楽夏期講習に初めて参加、作品を発表する。以降、ヨーロッパと日本を中心に、作曲活動を展開。日本を代表する作曲家として、欧米の主要なオーケストラ、音楽祭、オペラ劇場などから次々と委嘱を受け、国際的に高い評価を得ている。作品は、大野和士、準・メルクル、シルヴァン・カンブルラン、ケント・ナガノ、サイモン・ラトル、ロビン・ティチアーティ、パーヴォ・ヤルヴィなど、世界一流の指揮者たちによって初演され、その多くはレパートリーとして演奏され続けている。2004年にオペラ『班女』がエクサン・プロヴァンス音楽祭、11年にオペラ『松風』がモネ劇場、16年にオペラ『海、静かな海』がハンブルク、17年にオペラ『二人静』がパリ、18年にはオペラ『地震・夢』がシュトゥットガルトで初演。いずれも大きな注目を集めるとともに、高い評価を受けた。00年ルツェルン音楽祭、13年ザルツブルク音楽祭のテーマ作曲家として多くの作品が演奏された。01年にドイツ・ベルリンの芸術アカデミー会員に選ばれる。06/07年および08/09年、ベルリン高等研究所からフェロー(特別研究員)として招待され、ベルリンに滞在。12年にはドイツ・バイエルン芸術アカデミーの会員に選出。12年に紫綬褒章、18年度国際交流基金賞、21年ゲーテ・メダル受賞。現在、武生国際音楽祭音楽監督、東京音楽大学およびエリザベト音楽大学客員教授。20年から広島交響楽団、23年チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団のコンポーザー・イン・レジデンス。23年ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ルツェルン交響楽団、読売日本交響楽団共同委嘱、ヴァイオリン協奏曲『祈る人』が樫本大進独奏によって世界初演された。
シュトゥットガルトに生まれる。同地の音楽大学でヨハン・ネポムク・ダーフィトらに学んだ(1955~58)後、ヴェネツィアでノーノに師事(58~60)、62年にヴェネツィア・ビエンナーレとダルムシュタット国際現代音楽夏期講習で作品が初演される。『temA』(68)を境に、特殊な音(管楽器のキーを叩く音、息の音など)を活用し始め、チェロのための『プレッション』(69~70)では、日常生活において耳障りと感じられる擦過音を大胆に提示。楽音に対する先入観を排除し、白紙状態の耳で音そのものの質を感取することを促した。さらには先入観を形づくる歴史や社会といった装置にも目を向け、クラリネットとオーケストラのための『アッカント』(75~76)では工芸品のごとく細部まで磨き抜かれた数々の異質な音に、モーツァルトの『クラリネット協奏曲』を対比。長年の奏法の探究はオペラ『マッチ売りの少女』(90~96/2000)に結実した。8本のホルンとオーケストラのための『マイ・メロディーズ』(16~18/19)のまろやかな音響はさらなる円熟を示す。約半世紀に及ぶ教育活動ではマーク・アンドレらを育てた。サントリーホール国際作曲委嘱シリーズでは『書』(2003~04)を作曲。
[平野貴俊]
103年の生涯を独自のモダニズムの探究に捧げたアメリカの作曲家。アイヴズと親交を結んだのちハーヴァード大学に入学。ピストン、ホルストらに師事し修士号を取得(1932)後渡仏、エコールノルマル音楽院、およびプライヴェートでナディア・ブーランジェに学ぶ(32~35)。出世作となった『弦楽四重奏曲第1番』(50~51)以降、リズム、和声、旋律が緊密に交錯するテクスチュアのなかで、質朴剛健なエネルギーを伏在させ禁欲的で理知的な響きを展開する作風を確立。『二重協奏曲』(61)、『オーケストラのための協奏曲』(69)、『3つのオーケストラのための交響曲』(76)などで、空間性やテンポの重ね合わせの実験を一作ごとに深化させ、同じく影響力のあったコープランドとともに、20世紀アメリカの代表的作曲家とみなされるに至る。80年代以降はヨーロッパを主たる作品発表の場と定め、すでに手がけていた声楽曲に加え、オペラ(『What Next?』〔97~98〕)、さまざまな楽器のための小品、協奏曲を精力的に作曲。峻厳でありながら流麗、ときにユーモラスな晩年の作品群は第一線で活躍する音楽家から好意的に受け取られ、狷介孤高のモダニストとしての評価を盤石なものにした。
[平野貴俊]
京都市生まれ。パリ国立高等音楽院にて、ステファノ・ジェルヴァゾーニのクラスを修了ののち、IRCAMにて研修を受ける。第36回入野賞、2017年度武満徹作曲賞第1位、第66回尾高賞、第28回芥川作曲賞など受賞多数。作品はヨーロッパ、アジア、北米、南米で紹介されており、ルートヴィヒスブルク音楽祭、武生国際音楽祭、フェスティバル・ムジカなど、著名な音楽祭で取り上げられている。国際的な委嘱も数多く、フランス文化省、フランス・ミュジーク、サントリー芸術財団、ストラスブール・パーカッション・グループ、アンサンブル・ケルンなどからの委嘱を受け、アンサンブル・アンテルコンタンポラン、アンサンブル2E2M、アンサンブル・ノマド、NHK交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団、いずみシンフォニエッタ大阪、京都市交響楽団など、威信のある団体により作品が演奏されている。これまでに、名古屋フィルハーモニー交響楽団、アンサンブル・エクートにてレジデント・コンポーザーを務める。パリ在住。
大阪市に生まれる。東京藝術大学卒業、同大学院修了。日本音楽コンクール作曲部門第1位(1974)、エリザベート王妃国際音楽コンクール作曲部門大賞(77・ブリュッセル)、ルイジ・ダルッラピッコラ作曲賞(77・ミラノ)、尾高賞を6回(88・92・93・08・11・22)、中島健蔵音楽賞(90)、京都音楽賞[実践部門賞](91)、日本現代芸術振興賞(94)、エクソンモービル音楽賞(2001)、第3回別宮賞(02)、第36回(04年度)サントリー音楽賞、第47回毎日芸術賞(05)などを受賞。13年紫綬褒章を授与される。このほか、02年度芸術祭大賞に『アルディッティSQプレイズ西村朗「西村朗作品集5」』が、05年度芸術祭優秀賞に『メタモルフォーシス・西村朗室内交響曲「西村朗作品集8」』が選ばれる。00年よりいずみシンフォニエッタ大阪の音楽監督に就任、03年よりNHK-FM「現代の音楽」の解説を6年間、09年より同Eテレ「N響アワー」の司会者を3年間務めた。また、15年4月からは、再度NHK-FM「現代の音楽」の解説を務める。10年草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァルの音楽監督に就任。東京音楽大学教授。19年2月には、新国立劇場6年ぶりとなる創作委嘱作品・世界初演『紫苑物語』がオペラ芸術監督大野和士の指揮で上演され、大成功を収める。23年9月7日69歳で死去。
アクリントン(イギリス)出身。地元の楽隊でクラリネットを始め、王立マンチェスター音楽大学(現王立ノーザン音楽大学)でクラリネットと作曲を学ぶ。1953年、アレクサンダー・ゲール、ピーター・マクスウェル・デイヴィスらと音楽家グループ「新音楽マンチェスター」を結成。引き続き王立音楽院でクラリネットを専攻したのち作曲に専念。初のオペラ『パンチとジュディ』(66~67)により成功を収め、約10年かけて作曲され86年に初演されたオペラ『オルフェウスの仮面』(73~75/81~84)で名声を確固たるものとした。エルンスト・フォン・シーメンス音楽賞(95)。神話・儀式を一貫して主要な着想の源とし、パルスや線的要素を巧みに配した演劇的な音楽を創作。ヴァレーズを思わせる鋭く暴力的な音が散りばめられた『ヴァーシズ・フォー・アンサンブルズ』(68~69)、弦楽器の息の長い旋律が叙事詩的な雰囲気を醸しだす管弦楽曲『時の勝利』(71~72)、反復音型があたかも生命を宿して音楽をダイナミックに変容・高揚させてゆくような、劇的でスリリングな展開が聴く人の耳を引きつける管弦楽曲『アース・ダンシズ』(85~86)に、とりわけその音楽の美点が現れている。
[平野貴俊]
コヴェントリー(イギリス)出身。バーミンガム音楽学校(現王立バーミンガム音楽院)、英国王立音楽院で学ぶ。アムステルダムでトン・デ・レーウ、バーゼルでクラウス・フーバーに師事。フライブルク音楽大学講師、のち教授(1973~86)。ダルムシュタット国際現代音楽夏期講習でも長年教えた(76~96)。70年代半ばにドイツ、フランスの音楽祭で注目され、同年代もしくは少し歳下のイギリス人作曲家たちが属した潮流「新しい複雑性」の代表格とみなされた。エルンスト・フォン・シーメンス音楽賞(2007)。64分音符や入れ子構造の連符などを過剰に詰め込んだ譜面を特徴とし、非人間的な超絶技巧が続く独奏器楽曲『タイム・アンド・モーション・スタディ』I、II(1971~77、IIはエレクトロニクスあり)と『ユニティ・カプセル』(75~76)、強靭で分厚い響きが圧倒的な管弦楽曲『地は人』(76~79)を経て、『想像の牢獄』サイクル(82~86)では音の動きと響きに潤いと滑らかさが加わった。近年の『アンブレーションズ』サイクル(2001~17)には親密さと抒情性すら宿る。アルディッティ弦楽四重奏団は弦楽四重奏曲6曲すべてを初演・録音し、その音楽の普及に大きく貢献した。
[平野貴俊]
ロンドン出身。サウサンプトン大学、ロンドン大学シティ校で学ぶ。フィンランド政府奨学金を得て、ヘルシンキでメリライネンに師事。1979年、エムズリーとともに現代音楽アンサンブル「スオラーン」を結成。92年、ダルムシュタット国際現代音楽夏期講習で『オーボエ五重奏曲』(92)がアルディッティ弦楽四重奏団によって初演され、クラニヒシュタイン作曲賞を受賞。80年代から90年代半ばにかけてダルムシュタットで紹介された、「新しい複雑性」に属する作曲家のひとりとみなされた。2001年よりバクー音楽院教授、現在は名誉教授。現時点で最新の第6番(20)までの6つの弦楽四重奏曲は、すべてアルディッティ弦楽四重奏団によって初演された。「無題」と名づけられたシリーズ、作曲年と英字1つからなるタイトルのシリーズに継続して取り組むなど、禁欲的な創作態度のもと、ときに鋭く苛烈な音響を使用。2つの弦楽四重奏のための『2012-S』(12)では、尖鋭的な音が弾丸のごとき速度で飛び交う。歳が近い複雑性の作曲家、リチャード・バレットとはラディカルな姿勢が共通するが、文学に通じたバレットにくらべ、画家でもあるクラークの音楽にはどこか絵肌を思わせる物質感がある。
[平野貴俊]
デトロイト出身。ミシガン大学で基礎工学を学びエンジニアとして働くが、音楽を学ぶため同大学に戻り、フィニーとジェラールに師事。現代世界情勢研究所のフェローとして日本に滞在(1966~69)、67年には湯浅譲二、秋山邦晴とともに同時代音楽の演奏会シリーズ「クロス・トーク」を企画する。帰国直後から、設立されてまもないカリフォルニア大学サン・ディエゴ校で教えはじめ、同大学に実験音楽センターを設立、現在も教授を務める。初めは音列技法を応用したが、ケージ、カウエルに代表されるアメリカ実験主義、また武満徹、クセナキスとの交流からも触発され、エレクトロニクスも駆使しながら音楽的時間・空間性の探究を続ける。『ウィスパーズ・アウト・オヴ・タイム』(88、弦楽オーケストラ)で89年ピュリッツアー賞を受賞。サントリーホール国際作曲委嘱シリーズで作曲された交響曲『神話』(90)では、無機質で乾いた音が、刻々と微妙に変化する時間感覚を生みだすように配置され、聴く人はさながら自然現象の推移を観察するかのような感覚を得ることになる。独特の時間体験が内包する神秘性と官能性は、時代を経ても変わることなくその作品に息づいている。
[平野貴俊]
プエブラ(メキシコ)出身。メキシコ国立音楽院を経て、1979年以降ロンドン在住。ギルドホール音楽演劇学校でフルートと作曲を学び、ダーティントン・サマー・スクールでバートウィッスルらに師事。ロンドン大学シティ校で修士号、マンチェスター大学で博士号を取得。欧米の複数の大学で客員教授を務める。初の弦楽四重奏曲『Uy u t’an(彼らが話すのを聞きなさい)』(98)がアルディッティ弦楽四重奏団によって初演されて以降、パートナーであるアーヴィン・アルディッティが率いるこの団体のために数々の作品を発表。伝統的編成の作品のほか電子音響作品、オペラも手がける。広い音程を多用した開放的なテクスチュアが耳を引くアンサンブルのための『Ah Paaxo’ Ob(音楽を作る人びと)』(98)、明るさと力動感に満ちた弦楽四重奏のための『Hacia una bitácora capilar(毛細状の日誌へ向かって)』(2014)には、「凧が揚がっている様を思わせる」(ポール・グリフィス)とも評される、パレデスの音楽のもつ健やかさと風通しのよさが顕著に現れている。近作のピアノ協奏曲『Acertijo de marfil(象牙の謎)』(19)ではさらに多彩となった音のパレットを駆使して、精緻でありながら伸びやかな響きを実現している。
[平野貴俊]
ルーマニアのブライラに生まれる。10歳のころギリシャに移り音楽に関心を抱き、アテネでピアノと音楽理論を学ぶ。第二次世界大戦勃発後、民族解放戦線(EAM)でレジスタンスに参加、顔面を負傷する。アテネ工科大学卒業後、偽造パスポートを使ってイタリアへ行き、アメリカへの経由地とする予定だったパリに定住。1947年、ル・コルビュジエの設計事務所に入り、ブリュッセル万博フィリップス館(58)などを手がける。その間オネゲルとミヨー、またパリ音楽院でメシアンに師事。55年『メタスタシス』(53~54)がドナウエッシンゲン音楽祭で初演され、本格的なキャリアを開始した。セリー音楽への批判から出発、確率論を応用した推計的手法にもとづき、コンピュータにも依拠しながら創作。音楽と科学を架橋する姿勢は国際的に高く評価され、数々の栄誉を受けた。手法の専門性にもかかわらず、壮大で鮮烈な音響を駆使したその作品群は広範な聴衆を惹きつけ、演奏家にも高い人気を誇る。古代演劇的な『オレステイア』3部作(65~66/87/92)、音と光のイヴェント「ポリトープ」など演劇・総合芸術的作品も残す。サントリーホール国際作曲委嘱シリーズでは『ホロス』(86)を作曲した。
[平野貴俊]
楽器の音をコンピュータがリアルタイムに加工し発するライブ・エレクトロニクス音楽の現代における第一人者。あらゆる編成・形態に取り組み、近年はとりわけオーケストラ音楽の可能性を野心的に探究する。
フランス南西部のチュール出身。9歳のころピアノを始めると同時に作曲を試み、ピアノをピエール・サンカンに学ぶ。エコール・ノルマル音楽院でマックス・ドイチュ、パリ音楽院ではミシェル・フィリッポらに師事(1974~78)。クロード・エルフェによって初演されたピアノ曲『クリプトフォノス』(1974)が出世作となった。新しい技術に対する関心から、ピエール・バルボにコンピュータ(穿孔テープを用いた旧式のもの)による作曲を学ぶ一方、当時フランスで電子音楽を創作していた作曲家の多くが所属していたGRM(音楽研究グループ)とは距離をおく。器楽の書法に疎い彼らの音楽の素朴さに苛立ち、器楽と電子音楽の領域は分断されていると感じていたマヌリは、シュトックハウゼンがパリで行っていた自作自演とブーレーズの論考から刺戟を受け、器楽と電子音楽を橋渡しする、高度な論理と構造をそなえた音楽を作りたいと考えた。
ブラジルで教えていたフィリッポの紹介により同国で教えた(1978~80)あと故国に戻り、4年前に創設されたIRCAMに出入りし始める。そこで最初に作曲したのが、いずれも演奏に1時間超を要する合唱、アンサンブルとテープのための『時の経過[ツァイトラウフ]』(82)、4つの声とオーケストラのための『アレフ』(85)だった。ワーグナーとマーラーを範とする彼は、その後も編成、演奏時間ともに長大な作品を生みだしてゆく。
IRCAMでは、プログラミング環境Maxの開発に取り組んでいたアメリカの数学者ミラー・パケットと協働。楽器とその音をリアルタイムで追跡するコンピュータとの相互作用を利用した、ライブ・エレクトロニクスと独奏楽器のための『ジュピター』(87/92、フルート)、『プルトン』(88/89、MIDIピアノ)を含む4部作「ソヌス・エクス・マキナ」を発表した。
器楽曲の創作が増えた1990年代を経て、2010年前後からふたたびライブ・エレクトロニクスを積極的に活用するが、この時期からはまた、ライブ・エレクトロニクスでも問題となっていた空間性の探究を推し進めてゆく。いずれもフランソワ゠グザヴィエ・ロトの指揮によって初演された『その場で[イン・シトゥ]』(2013)、『リング』(16)、俳優と合唱団をも伴う『Lab.Oratorium』(19)からなる「ケルン3部作」では、奏者のグループ化、聴衆内での分散などが試みられる。今回世界初演される『プレザンス』は、『予想』(19)に始まる、次なるオーケストラ3部作の掉尾を飾る作品である。
音楽史の古典に通じたマヌリの精緻で隙のない書法は、管弦楽曲のほかアンサンブルのための『肖像画のための断片』(1997~98)、『響きの文法』(2022)など大編成の作品でとりわけ真価を発揮し、高揚感に満ちた豊饒な音響を作りあげる。ライブ・エレクトロニクスを用いた弦楽四重奏曲第2番『テンシオ』(10)でも、知的で緻密に設計された構造が、しなやかで艶やかな音の身ぶりを生みだす。オペラでは、「シンクシュピール(思考劇)」と銘打たれた、東日本大震災とそれに続く原発事故を扱ったイェリネクの原作にもとづく『光のない。』(17)など5作を発表している。
リヨン国立高等音楽院教授(1987~97)、カリフォルニア大学サン・ディエゴ校教授(2004~12)、ヴィラ九条山レジデント(11)、ラン高等芸術院上級アカデミー教授(13~16)、コレージュ・ド・フランス年間講義「芸術創造」担当(16~17)。
作品はデュラン・サラベール・エッシグから出版されている。
[平野貴俊]
アルディッティ弦楽四重奏団(AQ)は第1ヴァイオリンのアーヴィン・アルディッティによって1974年に結成。20世紀初頭から現代に及ぶ音楽を、洗練された解釈でシャープに演奏し、世界的な評価を得るカルテットである。何百もの弦楽四重奏曲や室内楽作品がAQのために作曲され、その作曲家の名は挙げれば枚挙に暇がない。ケージ、シュトックハウゼン、アデス、細川俊夫、ファーニホウ、カーター、デュサパン、マヌリ、グバイドゥーリナ、ラッヘンマンらの作品によって自らの音楽の幅を広げてきた。現代音楽の解釈には作曲家との密接なコラボレーションが不可欠であると考え、彼らと一緒に仕事をすることを試みている。
世界各地で若手演奏家や作曲家を対象としたマスタークラスやワークショップを開催するなど、教育活動にも力を注ぐ。またAQの幅広いディスコグラフィーはクセナキスの室内楽全集、シュトックハウゼンのヘリコプター四重奏曲などをはじめ200枚を超えている。アカデミー・シャルル・クロから授与されたクー・ドゥ・クール賞や、エルンスト・フォン・シーメンス音楽賞など国際的な賞も数多く受賞。
AQの全アーカイブは、スイスのバーゼルにあるザッハー財団に保管されている。
東京音楽コンクールにおいて第1位ならびに審査員大賞受賞、浜松国際ピアノコンクール第3位など数々の国際コンクールで入賞。日本国内をはじめヨーロッパ各地で、オーケストラとの共演、ソロリサイタル、室内楽、古楽器による演奏活動を定期的に行っている。びわ湖ホールおよび滋賀県立美術館で行った「北村朋幹 20世紀のピアノ作品(ジョン・ケージと20世紀の邦人ピアノ作品)」が、第22回(2022年度)佐治敬三賞受賞。録音は、新譜『リスト 巡礼の年 全3年』を含む6枚のソロ・アルバムをフォンテックよりリリース。東京藝術大学に入学、2011年よりベルリン芸術大学ピアノ科で学び最優秀の成績で卒業。またフランクフルト音楽舞台芸術大学では歴史的奏法の研究に取り組んだ。ベルリン在住。
エレクトロニクスやコンピュータを用いた音響表現を中心に、現代音楽、即興演奏などジャンルを横断する活動を展開、数多くの演奏会で電子音響の演奏や音響技術を手がけ高い評価を得ている。2012年より国内外の現代音楽シーンで活躍する演奏家たちと現代音楽アンサンブル「東京現音計画」を結成、これまでに20 回を超える演奏会を行ってきた。第63回芸術選奨文部科学大臣新人賞(芸術振興部門)受賞のほか、サントリー芸術財団佐治敬三賞をこれまで複数回受賞。国内外の実験的音楽家や即興演奏家とのセッションや、美術家とのコラボレーションも多い。現在、東京音楽大学准教授、帝塚山学院大学、京都市立芸術大学非常勤講師。
ニューヨーク出身の指揮者・作曲家。ニューヨーク州立大学のパーチェス校とストーニーブルック校で学ぶ。タングルウッド音楽センターでオリヴァー・ナッセンのアシスタントを務めたあと(1989~94)、スティーヴ・ライヒの作品の世界初演をたびたび手がける。2008年アンサンブル・シグナルを設立、その後はヨーロッパの名門オーケストラとたびたび共演し、同時代のレパートリーにおける誠実かつ精確な指揮ぶりが評価されてきた。グラーフェネック音楽祭コンポーザー・イン・レジデンス(17)。イーストマン音楽学校指揮・アンサンブル科教授。
東京オリンピックの記念文化事業として1965年東京都が設立(略称:都響)。現在、大野和士が音楽監督、アラン・ギルバートが首席客演指揮者、小泉和裕が終身名誉指揮者、エリアフ・インバルが桂冠指揮者を務めている。定期演奏会を中心に、都内小中学生のための音楽鑑賞教室、多摩・島しょ地域での出張演奏のほか、18年からは、誰もが音楽の楽しさを体感・表現できる“サラダ音楽祭” を開催。21年7月に開催された東京2020オリンピック競技大会開会式では、『オリンピック讃歌』の演奏(大野和士指揮/録音)を務めた。