「作曲とは、区切り区切られる多層的な時間(長さに関わりなく)を、音というかたちでつかまえることである」。イザベル・ムンドリーは、20世紀後半以降、数々の作曲家が関心を寄せてきた音楽と時間・空間の関係を、視覚芸術、文学など多様な分野に好奇心のアンテナを張ることで、作品ごとに捉えなおし、聴くとは何か、音楽とは何かをめぐる思考を重ねてきた。ドイツ哲学の伝統を彷彿とさせる、ムンドリーの透徹した知性が生みだす音楽は、聴体験そのものの在り方を聴く人の前に映しだす鏡のごとく、澄明で清冽な響きに満ちている。
1963年4月20日、ヘッセン州のシュルヒテルンに生まれ、まもなくベルリンに移ったムンドリーは、ピアノに続いて17歳で作曲を始めた。83年から91年まで、ベルリン芸術大学でフランク・ミヒャエル・バイヤーとゲスタ・ノイヴィルトに師事。85年からはベルリン工科大学電子音楽スタジオ、フランクフルト音楽・舞台芸術大学、フライブルク音楽大学で電子音楽を学ぶ。ベルリン工科大学では音楽学をカール・ダールハウスに師事、芸術史、哲学の教養も蓄えた。SWR実験スタジオでの研修を経て、86~93年にベルリンのシュパンダウ教会音楽学校で音楽理論と分析を教え、91~93年にはベルリン芸術大学でも作曲と音楽分析を担当。91~94年にはフランクフルト音楽・舞台芸術大学でハンス・ツェンダーに師事した。91~92年に作曲された弦楽四重奏のための『11の線』はいわば「作品1」であり、『線、線描画』(99/2004)、『線描画』(06)へと派生した。92~94年にはパリ国際芸術都市、次いでIRCAMの奨学金を得てパリに滞在、IRCAMで1年間の研修を受ける。94~96年にウィーンで活動したあと、96年にフランクフルト音楽・舞台芸術大学の作曲科教授に就任。2004年にチューリヒ芸術大学作曲科教授に就任し、翌05年には、ベルリン・ドイツ・オペラで初演されたムジークテアーター『ひとつの息――オデュッセイア』がオペルンヴェルト誌で、年間最優秀初演作品に選ばれた。11年からミュンヘン音楽・演劇大学教授を務める。
近年では時間・空間にとどまらず、歴史、自己と他者、身体といったさまざまな概念に着目し、それらをめぐる思考を音楽化している。響きの再現にとどまることなく、デュファイの創作原理を辿ろうとした『デュファイ編曲集』(03~04)、西田幾多郎の同名の論考に触発されて作曲されたピアノ協奏曲「私と汝」(08)、「想像上の舞踊」として構想された管弦楽のための連作『モーションズ//二重の眼差しI-VII』(14/18)はその例である。
注目すべきは、こうした理知的なアプローチが、他分野における出会いや巡り合わせをつねに出発点としており、具体と抽象の間の往還がそのまま作品へと結実していることである。多和田葉子に詩を依頼した『顔』(1997)、南禅寺の庭園から受けた感銘に由来する『時の名残り』(2000)、パチンコ台を楽器として用い、旅行者用レビューサイトの引用を詞に織り込む『イム・ファル』(17)などに、彼女の柔軟な発想が表れている。
1997年に秋吉台国際20世紀音楽セミナー&フェスティバルに招かれて以降、ダルムシュタット国際現代音楽夏期講習など世界各国のセミナーで教え、エルンスト・フォン・ジーメンス音楽財団奨励賞(2001)、ハイデルベルク女性芸術家賞(11)など数多の賞を得る。ルツェルン音楽祭(03)、マンハイム国立劇場(04)、シュターツカペレ・ドレスデン(07、同楽団では初)のコンポーザー・イン・レジデンスに選任された。20年5月、SWRシュヴェツィンゲン音楽祭でのムジークテアーター『ジャングル』の世界初演が予定されていた(新型コロナウイルスの影響により、音楽祭は中止)。作品はすべてブライトコプフ&ヘルテルから出版されている。
[平野貴俊]
パリ郊外の陶器商の家庭に生まれ、10歳でパリ音楽院に入学するが、ピアノの一等賞を逃し作曲に専心。同音楽院でギローに学び、カンタータ『放蕩息子』でローマ大賞を受賞(1884)。象徴派の芸術家と交流し、バイロイトでワーグナーの楽劇を観て(88、89)、パリ万博でアジアの芸術に接した(89)。長年の構想の末に実現した、オペラ『ペレアスとメリザンド』の初演(1902)により不動の地位を確立。管弦楽曲『牧神の午後への前奏曲』(1891~94)、『夜想曲』(97~99)、『海』(1903~05)、および『前奏曲集』(第1集:09~10、第2集:11~12)をはじめとするピアノ曲では、自然界の微妙な揺らぎや色調を巧みに表現する精緻な語法を開拓。『聖セバスティアンの殉教』(11)や『遊戯』(12~13)の作曲、その他オペラの構想には舞台芸術への関心が表れている。第1次世界大戦勃発後、一時衰えた創作欲を再燃させ、3つのソナタ(15~17)には「フランスの作曲家」と署名した。視覚芸術との接触を重要な拠り所とする独自の美的理念に支えられ、示唆に富む手法により隅々まで彫琢されたその音楽は、後代の作曲家に根本的な語法の刷新を迫り、20世紀後半以降の音楽創作に決定的な指針を与えた。
[平野貴俊]
ハーナウ(ドイツ)に生まれる。5歳からピアノ、のち打楽器を学び、ドイツ国内のピアノコンクールで複数の賞を得る。2013年からミュンヘン音楽・演劇大学でイザベル・ムンドリーに師事。14年、連邦教育・研究省の奨学金を得てヴィーパースドルフ城に滞在。15~16年、独仏青少年交流事業の奨学生として渡仏、パリ国立高等音楽院でステファノ・ジェルヴァゾーニに学ぶ。第10回フランシスコ・エスクデロ国際アコーディオン作曲コンクール(17)で審査員特別賞を受賞、18年にはドイツ国民学習財団の奨学生としてボンのベートーヴェン・ハウスに滞在。19年以降、マルティン・シュットラーの指導のもと、シュトゥットガルト音楽・演劇大学修士課程に在籍している。詩作の概念を援用した歌曲『Volta』(17)、ブルーノ・シュルツの小説の原文を改変したジョナサン・サフラン・フォアの『Tree of Codes』に触発され、読譜の非直線的方法を探究したピアノ曲『Wieder Wider Vide』(17~18)には、文学理論の音楽への応用に対する関心が窺え、とりわけ内省的なセクションにおける精緻で陰翳に富んだ音の重ね方は、硬質な抒情を醸し出している。
[平野貴俊]
大阪音楽大学卒業、ジュリアード音楽院修士課程修了。第68回日本音楽コンクール第1位入賞、第2回カール・ニールセン国際コンクール・クラリネット部門ディプロマ賞ほか受賞多数。ソリストとして東京交響楽団、アンサンブル金沢、京都市交響楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団などの内外のオーケストラと共演を重ねるほか、2006年には現代音楽演奏集団 next mushroom promotionメンバーとして佐治敬三賞を受賞。現在、大阪音楽大学、京都市立芸術大学の非常勤講師、next mushroom promotion、いずみシンフォニエッタ大阪、アンサンブル九条山のメンバーも務める。
10歳からアコーディオンを江森登に師事。国立音楽大学附属音楽高等学校ピアノ科卒業後、渡独。フォルクヴァンク音楽大学ソリストコースを首席で卒業、ドイツ国家演奏家資格を取得。御喜美江に師事。またウィーン私立音楽大学でも研鑽を積む。帰国後は、ソロや室内楽、新曲初演、オーケストラとの共演など、国内外各地で演奏活動を行う傍ら、楽器についてのワークショップ&コンサートを日本各地の音楽大学で行うなど、特にクラシックや現代音楽の分野でのアコーディオンの普及に尽力し、この楽器の魅力と可能性を発信している。
2010年、ロン゠ティボー国際コンクール第2位、12年、エリザベート国際コンクール第2位およびイザイ賞を受賞。これまでに、ペトル・アルトリヒテル、オーギュスタン・デュメイ、ピエタリ・インキネンほか国内外の指揮者、オーケストラと共演し高い評価を得るとともに、室内楽奏者としても活動を広げる注目の若手ヴァイオリニスト。現代の作曲家とのコラボも多い。使用楽器は、ストラディヴァリウス1711年製“Tartini” (宗次コレクションより貸与)。
現在東京を拠点に、ソリスト、室内楽奏者として活躍するほか、国内オーケストラへも客演首席奏者として多数出演している。東京、ウィーン、ローザンヌにてクラシック音楽の研鑽を積み、2013年からインスブルック交響楽団にて副首席奏者を2年間務めた。近年は、クラシック音楽にとどまらず、現代音楽、そしてポップミュージックまで、ジャンルを問わず積極的に活動の幅を広げている。
https://www.mariadachi.com
1982年生まれ、大阪出身。東京藝術大学にてチェロ専攻。在学中より作曲家らと複数の現代音楽演奏グループで活動。現代作品ソリストとして東京フィルハーモニー交響楽団、セントラル愛知交響楽団とそれぞれ共演。これまで自主企画演奏会として、古今対位法『音の綾取』、フェルドマン『String Quartet II』、自作木製微分音オルガンライブなどを開催。作曲家木下正道、音楽家池田拓実と2011年7月より「電力音楽」として即興演奏を組んでいる。チェロのほか、ヴィオラ・ダ・ガンバ、自作電気楽器を演奏する。
同志社女子大学学芸学部声楽専攻卒業。大阪音楽大学大学院歌曲研究室修了。東京混声合唱団へ所属した後、文化庁新進芸術家海外研修制度にてローマに滞在。ヌオヴァ・コンソナンツァ・フェスティバル(ローマ)、シェルシ音楽祭(バーゼル)、武生国際音楽祭、東京オペラシティリサイタルシリーズ「B→C」、いずみシンフォニエッタ大阪定期演奏会、ニュイ・ブランシュ京都ほかに出演、活発な演奏活動を展開、また音楽舞台劇『触角の宮殿』、森村泰昌『野生能』など舞台作品へも参加している。アンサンブル九条山のメンバー。
桐朋女子高等学校音楽科、桐朋学園大学音楽学部ピアノ専攻卒業。ブリュッセル王立音楽院修士課程を首席で修了。ピアノ、室内楽、現代音楽においてグランドディスティンクション賞を受賞。ベルギー政府給費留学生。その後同音楽院ピアノ科プロフェッサーアシスタントとして後進の指導にあたる。兄・大宅裕とのピアノデュオでは、2001年より活動を開始し現在に至る。ベルギーで10年間にわたりEnsemble Champ d’Action、Ensemble Musiques Nouvelles、Prometheus Ensemble(解散)、Royal Flanders Operaなどで活動。帰国後、武生国際音楽祭をはじめ様々なコンサートに出演。平成27年度福井県文化奨励賞受賞。
https://www.saorioya.net/
指揮者またピアニストとして、バッハからシェーンベルクに至る古典のレパートリーのみならず、現代音楽にも精通している。これまでに、クラングフォルム・ウィーン、アンサンブル・アンテルコンタンポラン、アンサンブル・ムジークファブリク、バーゼル・シンフォニエッタなどを指揮。アンサンブル・コントルシャンでは音楽監督を7年間務めた。ルツェルン音楽祭、ブレゲンツ音楽祭、ヴェネツィア・ビエンナーレ、ECLATフェスティバル(シュトゥットガルト)、ウィーン・モデルンほかに出演。ベートーヴェン音楽祭(ボン)ではケルン放送響、アンサンブル・モデルン、マーラー・チェンバー・オーケストラと、アハトブリュッケン音楽祭(ケルン)ではベルリン放送響と共演。
オペラでは、ヘンデルの『オルランド』からブリテンの『夏の夜の夢』まで幅広いレパートリーを指揮しているほか、現代オペラも数多く初演している。2008年、ポッペの『Arbeit Nahrung Wohnung』の世界初演を指揮し、若くして注目を集めた。マンハイム国立劇場、ルツェルン劇場、ベルリン国立歌劇場では、バレンボイム、ブーレーズ、ラトルのアシスタントを務め、16年、ハレ歌劇場の第一カペルマイスターに就任。
ピアニストとしても活躍しており、ノット、バレンボイムなどの指揮のもとソリストを務めたほか、00~05年までアンサンブル・アンテルコンタンポランのピアニストとしてブーレーズとも協働している。
19/20シーズンは、アンサンブル・モデルン、バーミンガム現代音楽グループ、ケルン放送響、南西ドイツ放送響の公演に出演。
豊かな音楽的才能と革新的なプログラミングで脚光を浴びる、国際的にもっとも活躍するヴィオリストの一人。ソニー・クラシカルと専属契約を結び、リリースしたアルバムはいずれも高評を得て数多くの賞を獲得している。
これまでに、チューリヒ・トーンハレ管、ヘルシンキ・フィル、ウィーン放送響、ドイツ・カンマーフィル、ベルリン・コンツェルトハウス管、ドレスデン・フィル、ハンブルク・フィル、MDR響などのオーケストラと、シルヴァン・カンブルラン、エリアス・グランディ、クリストファー・ホグウッド、コルネリウス・マイスター、マルク・ミンコフスキ、ケント・ナガノ、ミヒャエル・ザンデルリンク、マルクス・シュテンツ、シモーネ・ヤングなどの指揮者と共演している。
各国の主要ホールに出演するほか、ラインガウ、シュレースヴィヒホルシュタイン、メクレンブルクフォアポンメルンをはじめとする著名音楽祭にも定期的に招聘される。また近年は、ベルリン・バロック・ゾリステンとのツアーでユリア・フィッシャーと共演したほか、ザビーネ・マイヤー&ウィリアム・ヨンとのトリオ、ユリア・フィッシャー弦楽四重奏団のツアーなどでも活躍する。
2011年よりミュンヘン音楽大学の教授を務める。使用楽器は、現代の楽器製作者フィリップ・アウグスティンによるヴィオラ。
1946年創立。音楽監督にジョナサン・ノット、桂冠指揮者に秋山和慶、ユベール・スダーンを擁する。これまでに文部大臣賞、毎日芸術賞、文化庁芸術作品賞、サントリー音楽賞などを受賞。サントリーホールで定期演奏会を行うほか、川崎市、新潟市、八王子市と提携し、演奏会やアウトリーチを展開している。サントリーホールとの共催による「こども定期演奏会」も注目をされており、サマーフェスティバルでは毎年出演を重ね高い評価を得ている。新国立劇場ではオペラ・バレエ公演を担当。海外公演も58都市78公演を行う。さらに日本のオーケストラとして初の音楽・動画配信サービスをスタートするなどITへの取組みでもクラシック音楽界をリードしている。