トリスタン・ミュライユ(1947- )

1947年ル・アーヴル生まれ。詩人の父をもち、3人の兄妹はみな作家となった。現在のフランス国立東洋言語文化研究所(INALCO)で古典アラビア語とアラビア語マグレブ方言を学び、パリ政治学院で経済学の学士を取得。スコラ・カントルムでオンド・マルトノを学んだのち67年パリ国立高等音楽院に入学。メシアンに作曲を師事し、首席で卒業。71〜73年にはローマ賞廃止後初のヴィラ・メディチのレジデントとなる。73年、ミカエル・レヴィナスらメシアンの他の弟子とともにアンサンブル・イティネレールを設立。80〜82年IRCAMで研修を受ける。管弦楽曲『ゴンドワナ』(1980)などにおいて、音ないし響きの成分(スペクトル)を顕微鏡で拡大して見せるかのような手法を追究、デュフールおよびグリゼーとともに「スペクトル楽派」を創始し、国際的なインパクトを与えた。厳格とも思える手法とは裏腹に、海や港に因んだタイトルの多いその作品は、瑞々しく光輝に満ちた響きであふれている。91年から97年までIRCAMで教育活動および作曲支援ソフトの開発に携わったのち、コロンビア大学教授(1997〜2010)、上海音楽学校客員教授。世界各地でマスタークラスを行っている。

ラファエル・センド(1975- )

1975年ニースに生まれる。政治的主張の強いハードコア・ラップのグループで活動した後、パリ・エコール・ノルマル音楽院でピアノと作曲、パリ国立高等音楽院で作曲を学び、IRCAMで研修を受ける。ゴーサン、ストロッパ、ロミテッリ、ファーニホウ、マヌリに師事。電子音響に加え、楽器に損傷を与えるほど大胆な特殊奏法、醜くさえ聞こえる尖鋭なノイズを用いた過激で暴力的な音楽で、フランス内外の音楽界にインパクトを与えた。2008年にはベドロッシアンが編集した論文集『音の過剰』に、自作の特徴である「サテュラシオン(飽和)」について寄稿、ベドロッシアン、ロバンとともに「サテュラシオン」派の旗手とみなされるようになった。『ロック』3部作(2011〜12)はその手法の集大成である。09年と12年のドナウエッシンゲン音楽祭で、声を含む各演奏時間約45分の大作『闇への導き』と『光の領域』がそれぞれ初演され、17年にはラジオ・フランスのフェスティヴァル・プレザンスで、フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団が『デンククレンゲ』を初演した。ヴィラ・メディチのレジデント(2009〜10)、ダルムシュタット国際夏季現代音楽講習会講師(2012、14年)。ベルリン在住。

フィリップ・マヌリ(1952- )

チュール(フランス)生まれ。パリ・エコール・ノルマル音楽院でサンカンにピアノ、ドイチュに作曲を師事した後、パリ国立高等音楽院でバリフに分析、マレクとフィリッポに作曲を師事。デビュー当初から注目され、創立直後のアンサンブル・アンテルコンタンポランによって『ニュメロ・サンク』(1976)が演奏された。ブラジルで教育活動を行った(1978〜81)後、IRCAMでライヴ・エレクトロニクス・システムの開発に取り組む。大規模な編成や長大な演奏時間を特色とする『ツァイトラウフ』(1982)や『ソヌス・エクス・マキナ』四部作(1987〜91)などに表れた、音楽における知覚、空間、時間に対するマヌリの関心は、静と動を巧みに織り交ぜたそのシリアスな音楽を通して、また数々の著述を通して表明されている。最新作には、福島第一原発の事故を題材にしたイェリネクの原作にもとづくオペラ『光のない。』(2017)がある。リヨン国立高等音楽院教授(1987〜97)、カリフォルニア大学サン・ディエゴ校教授(2004〜12)、2015年からストラスブールの現代音楽祭「ムジカ」で作曲アカデミーを開講、コレージュ・ド・フランス教授(2016〜17)。

モーリス・ラヴェル(1875-1937)

スペインに近いフランス南西部のシブールに生まれる。パリ音楽院でピアノと和声を学ぶが、芳しい成績を上げることなく1895年に退学。作曲に専念し、97年からふたたびパリ音楽院で作曲をフォーレ、対位法をジェダルジュに学ぶ。1900年から05年にかけて5度ローマ賞の試験を受け、大賞を一度も授与されることなく規定年齢に達した「ラヴェル事件」は、パリの音楽界に論争を巻き起こした。02年ころ、ラヴェルの数々のピアノ曲を初演することになる盟友のピアニスト、ビニェスとともに芸術家同盟「アパッシュ」に加入。09年には独立音楽協会を設立し、権威と距離をおきながら同時代フランス音楽の普及に貢献。第一次世界大戦中には従軍も経験した。ドビュッシーの死以降は、フランスを代表する作曲家として国際的に知られるようになった。ピアノ、管弦楽、室内楽などの諸分野でしばしば職人的と形容される緻密な書法を確立し、多方面にわたるインスピレーション(『ダフニスとクロエ』(1909〜12)では過去、『スペインの時』(1907〜09)では異国、『子どもと魔法』(1920〜25)では子どもなど)を香気とノスタルジーをたたえた音楽に昇華、同時代フランス音楽の洗練に大きく貢献した。

フィリップ・ユレル(1955- )

1955年、フランス北西部のドンフロンに生まれる。トゥールーズ大学を経て、パリ国立高等音楽院でマレクに作曲、ジョラスに分析を学び、83〜85年にミュライユから個人レッスンを受ける。80年代末にはIRCAMの研修に参加し、ヴィラ・メディチに滞在。91年、ピエール=アンドレ・ヴァラドとともにアンサンブル・クール=シルキュイを設立。97年から2001年までIRCAMで教鞭を執り、13年から17年までリヨン国立高等音楽院教授。スペクトル楽派の第二世代を代表する作曲家であり、先達が切り拓いた艶やかな響きの領域に、精緻かつ推進力のあるリズムと複雑なポリフォニー的要素を加え、耳を愉しませるさまざまな仕掛けに満ちた音楽を創ることに成功した。名技性に富む器楽曲のシリーズ『ループス』(1999〜)は、現代音楽に関心をもつ奏者が好んで採り上げている。ユレル自身「管弦楽のための協奏曲」とよぶ『トゥール・ア・トゥール』三部作(2008〜15)は近年のフランスにおける、オーケストラ音楽の可能性を追究する試みの最先端である。最近では劇にも取り組み、音楽劇『エスペス・デスパス』(2011〜12)を経て2014年、初のオペラ『クレーピジョン』がトゥールーズ歌劇場で初演された。

ピエール・ブーレーズ(1925-2016)

リヨン西方のモンブリゾン出身。1945年、パリ国立高等音楽院のメシアンの和声クラスを首席で卒業。ジャン=ルイ・バローの劇団の音楽監督を経て、54年、マリニー小劇場音楽会(のち「ドメーヌ・ミュジカル」)を開始。そのプログラミングや挑発的な論考を通して、トータル・セリアリズムを優位におく音楽観を波及、ダルムシュタット国際夏季現代音楽講習会を主導した。60年代後半からは指揮活動にも傾注し、欧米の主要オーケストラを指揮。76年アンサンブル・アンテルコンタンポランを設立、音楽家として初めてコレージュ・ド・フランス教授に就任(〜95)、77年にIRCAM初代所長(〜91)、後にはルツェルン音楽祭アカデミー初代芸術監督(2004〜07)を務め、教育・学術・行政など多方面で現代音楽界を牽引した。2009年京都賞受賞。
 『主のない槌』(1955)などの初期の作品、IRCAMの電子音響技術を駆使した『レポン』(1981〜84)、後期の『シュル・アンシーズ』(1996〜98)といった主要作品を特徴づける、独特の輝き揺らめく光のような艶麗な響きと、堅牢な論理から出発しながらも、音の美質を極限まで探究し、その実現の可能性を思考する一貫した姿勢は、後の音楽家に模範を提供し続けている。

グラウシューマッハー・ピアノ・デュオ(2台ピアノ)

アンドレアス・グラウとゲッツ・シューマッハーによる世界的なデュオ。バッハから現代の作品まで幅広いレパートリーを誇る。シュトックハウゼン作品の録音で、ル・モンド・ドゥ・ラ・ミュジクとディアパゾンから賞を授与。メシアンとシュッツ(クルターグ編)作品の録音で、グラモフォンのエディターズ・チョイスに選出。これまでメータ、プレートル、ギーレンらの名だたる指揮者、ベルリン・ドイツ響、バイエルン放送響ほか多数のオーケストラと共演。作曲家たちの信頼も厚く、近年ではエトヴェシュやマヌリ、フランチェスコーニらに作品を提供されている。

山澤 慧(チェロ)

東京藝術大学附属高校、同大学を経て、同大学院を修了。大学卒業時に同声会賞受賞、大学院修了時に大学院アカンサス音楽賞受賞。第2回秋吉台音楽コンクール第1位、第11回現代音楽演奏コンクール“競楽XI”第1位、第24回朝日現代音楽賞受賞。音川健二、藤沢俊樹、河野文昭、西谷牧人、鈴木秀美、山崎伸子に師事。フランクフルトにてアンサンブル・モデルンのチェロ奏者ミヒャエル・K. カスパーに師事。藝大フィルハーモニア管弦楽団首席チェロ奏者、千葉交響楽団契約首席チェロ奏者。

秋山友貴(ピアノ)

東京藝術大学作曲科卒業、同大学院修了。大学院修了時に大学院アカンサス音楽賞受賞。幅広い編成にわたる作・編曲作品は国内外で演奏されている。ピアニストとしては、ソロ、室内楽、器楽・声楽伴奏、オーケストラ奏者など、さまざまな分野での演奏活動を展開している。また数々の新曲初演に携わるなど、特に同時代音楽の演奏に積極的に取り組んでおり、フィリップ・マヌリ、カイヤ・サーリアホをはじめとする国内外の作曲家から高い評価を得ている。これまでに作曲を田渕浩二、野平一郎、ピアノを杉谷昭子、長尾洋史に師事。

藤本隆文(打楽器)

東京藝術大学音楽学部准教授。元・神奈川フィルハーモニー管弦楽団首席ティンパニ奏者。ジュネーヴ国際音楽コンクールならびにルクセンブルク国際打楽器コンクール、日本管打楽器コンクール第2位。オーケストラ、現代音楽等で活躍する一方、ヴィブラフォンによるジャズをベースにした即興演奏の分野においても活動の場を広げつつある。

安江佐和子(打楽器)

ソロパーカッション、マリンバ、ティンパニ奏者。ミュンヘン国際音楽コンクール打楽器部門奨励賞受賞。小澤征爾指揮、ヨーロッパ、アメリカツアーなど数多くのコンサートにてティンパニ奏者として出演。2002年文化庁芸術家海外研修員としてベルリンへ留学。ソロ、アンサンブル、オーケストラと活動は幅広く、プロデュース、レコーディングも多数手掛ける。コンサートシリーズ「Prana」、「il Sole」プロデュース。桐朋学園大学特任講師。リズムを超えた音楽を求め「歌う、色彩のパーカッション」として独自の音色感をもった世界を展開する。

ホセ・ミゲル・フェルナンデス(電子音響)

オソルノ(チリ)生まれ。チリ大学、ブエノスアイレスの音楽創造研究所(LIPM)、リヨン国立高等音楽院、フランス国立音響音楽研究所(IRCAM)で学んだ後、作曲家、コンピュータ音楽デザイナーとして活動。IRCAM、GRAME、ラ・ミューズ・アン・シルキュイ、エクスペリメンタルスタジオ、カールスルーエ・アート・アンド・メディア・センター(ZKM)などで、さまざまな作曲家の作品に携わる。GRAME/EOC国際作曲コンクール優勝、ギガヘルツ電子音楽賞(ZKM/エクスペリメンタルスタジオ)受賞。

マキシム・ル・ソー(電子音響)

1982年、モルレー(フランス)生まれ。「音響と映像」の修士号(フランス・ブレスト)、および音楽研究のディプロマ(DFEM)を取得後、2006年よりフランス国立音響音楽研究所(IRCAM)でサウンド・エンジニアとして活動を開始。2013年に独立し、以降、IRCAMやルツェルン音楽祭、そしてピエール・ブーレーズ、野平一郎、フィリップ・マヌリ、ヤン・マレシュ、ジョルジュ・アペルギス、ラファエル・センド、ヤン・ロバン、エクトル・パラ、ハヤ・チェルノヴィンら、著名なアーティストたちと、音楽や舞台などを制作。

ピエール=アンドレ・ヴァラド(指揮)

1959年、コレーズ(フランス)生まれ。アンサンブル・クール゠シルキュイ(パリ)の音楽監督、アテラス・シンフォニエッタ・コペンハーゲンの首席指揮者、アンサンブル・オルケストラル・コンタンポラン(リヨン)の首席客演指揮者、マイター・アンサンブル(テルアビブ)のレジデント・コンダクターを歴任。特に20世紀以降の作品の演奏で定評があり、各国の著名な演奏団体と共演を重ねている。ミュライユ、ユレルほかスペクトル楽派の作品を多く手がけ、グリゼーやデュフール作品の録音で、年間ディアパゾン・ドール賞、ACCディスク大賞等を受賞。

浜田理恵(ソプラノ)

東京藝術大学大学院修士課程修了(中村浩子に師事)後、パリに留学、ガルシザンズに声楽を、アイトフにフランス歌曲を学ぶ。第19回パリ国際声楽コンクールオペラ部門第1位ほか受賞。フランスを中心に数多くのオペラに出演。ブーレーズ率いるアンサンブル・アンテルコンタンポランとザルツブルク音楽祭を含むヨーロッパ・ツアーも行った。日本では、新国立劇場にしばしば招かれるとともに、N響をはじめとする各地のオーケストラとの共演も多い。1997年出光音楽賞受賞。現在、お茶の水女子大学非常勤講師。フランス在住。

東京交響楽団(管弦楽)

1946 年創立。現代音楽の初演などにより、文部大臣賞、京都音楽賞大賞、毎日芸術賞、文化庁芸術作品賞、サントリー音楽賞などを受賞。サントリーホールにおいては、定期演奏会や「第九と四季」などを主催するほか、サントリーホール主催によるオープニングフェスタや共催による「こども定期演奏会」、サントリー芸術財団サマーフェスティバルで出演を重ね、高い評価を得ている。川崎市、新潟市、八王子市と提携しているほか、新国立劇場ではオペラ・バレエ公演を担当。音楽監督にジョナサン・ノット、正指揮者に飯森範親を擁する。

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