Forum Report

2013年8月21日、「グローバルな文脈での日本」第3回目のフォーラムがカナダのバルシリー・スクール(ウォータールー大学)で開催された。そこでは「政党政治―政党にはまだ意味があるか」をテーマとして議論が行われた。まず、一人目の報告者であるベンジャミン・ナイブレード教授(ブリティッシュ・コロンビア大学)は、日本政治の停滞の根源は政党政治や政治的リーダーシップに見いだせるかを検討した。この問題を検討する際には、1990年代の政党政治や政治的リーダーシップの変化によって政策決定は困難となったか、さらにはこうした現象は日本特有のものかについて考える必要がある。

ナイブレード教授は、政治学者のカール・ストロームらによる権限委譲(delegation)と説明責任のアプローチを援用し、日本政治は西欧の議会制民主主義の類型によく当てはまると指摘する。日本は、イギリスやギリシアなどのように、議会にて過半数の議席を持つ政党の党首が内閣を組織する多数決型(ウェストミンスター型)システムに該当するといえ、少数議席の政党が連立して内閣を組織するのではない。そこでは、政治の外からの制約は少ない一方、権限委譲と説明責任に関する議会からの束縛に対して政党の支配力が強くなりやすい。なお、日本では政権がころころ代わってきた。これは、政権発足当初の短い「ハネムーン」(つまり支持率の高い)期間が過ぎると、首相は「ハイパーアカウンタビリテリー」(過剰に説明責任を問われること)についてゆけなくなり、有権者の支持を維持しきれないことが原因だとナイブレード教授は論じる。

2012年の衆議院選挙によって、民主・自民の二大政党間の表面的な均衡がいかにもろいものかが露呈した。このため、二大政党システムの外部から、当選を目指し議席を獲得しようとする政治的起業家(political entrepreneur)にチャンスがめぐってきたのである。短期的にみれば、こうした情況は安倍晋三首相にとって有利かもしれない。しかし、彼もまた歴代首相が直面した困難を抱えているのは事実である。安倍は国民に不人気な改革を行うよう迫られることもあるだろうし、また、彼を支えているのは政治的経験に乏しく選挙結果次第で責任を問われる党執行部なのである。

二人目の報告者である野中尚人教授(学習院大学)は、自民党と戦後日本政治について報告した。自民党は戦後日本の安定と成長に寄与するところが大きかったが、1990年代以後の新たな課題にはうまく対処しきれなかった。その結果、多くの識者が自民党こそ日本の長期的停滞の原因だと批判するようになった。自民党のあり方はなぜこうもはっきり変容したのだろうか。これを理解するためには、戦後日本の政党政治の特質を把握する必要がある。

戦後自民党が支配の基盤としたものは主に三つあった。まず、自民党は各派閥をつうじて柔軟に権力を配分し、統治のしくみを整えた。つぎに、自民党は社会・経済の広い領域に支持層を拡大する「包括政党」の戦略をとることで中選挙区制に適応した。これを受けて、党の政務調査会はボトムアップ方式で支持者の多様な利害を調整しながら政策を形成し、利益誘導(ポークバレル)政治を効果的に行うことができた。第三に、国会での野党との調整を回避し、首相や内閣のリーダーシップの弱さを目ざとく利用しようとした自民党は、優先すべき課題について政務調査会と政府閣僚のあいだで事前協議を行うようになった。こうして、自民党は官僚機構を前にして高い政策調整力を発揮したのである。

自民党は柔軟なカルテル政党と見ることができると野中教授は論じる。利益誘導や、国と地方にまたがる官僚機構ネットワークをつうじた「ばらまき政治」によって、自民党は有権者の支持をうまく調達できたのである。とはいえ、1990年代以後、派閥と「ばらまき政治」に基づく自民党の支配システムは崩れていった。今日のアベノミクスは「ばらまき政治」の再来と見る向きもあるだろう。しかし、日本の政党政治の取り組むべき問題は、もはや利権の分配ではなくむしろ負担の分配なのである。

Videos

ベンジャミン・ナイブレード

野中尚人

Background

2009年、民主党は有権者の高い期待を受けて政権の座についた。しかし、明らかな経験不足や、自民党とは別のやり方で明確かつ魅力的な政治ビジョンを形にできなかったこともあり、3年後の選挙では有権者の厳しい審判を受けることになった。

とはいえ、今日、魅力的な政治ビジョンをはっきりと描くことはどれほど可能なのだろうか。日本政治には難題が山積みである。とりわけ環境、エネルギー、経済、社会福祉、そして安全保障の面で厄介な問題が多い。民主党政権がこうした問題に対し無力だったのは、日本政治に固有の病理からなのか、それとも政権与党内の欠陥のせいなのか。あるいは、こうした現象は日本のみならずグローバルに見られるものなのであろうか。

賢明な政治が行われないことについて、政党はどれほど責任を負うべきなのか。今日、主流派の政党では、進歩・保守あるいは左翼・右翼のラインがほとんどぼやけつつある。(たとえば環境といった)単一の政治課題を争点とする政党については、主流派に抵抗する人びとの票を集めるだけで、彼らの不満を代弁するだけに留まっている。となると、こうした情況にあって政党なるものが成立する根拠とはいったい何なのだろうか。

「エネルギー」「幸福」に続く3回目のプロジェクトは、「政党」をテーマにしてみよう。先進民主主義国における政党の存在意義とは何かを探り、政党の未来図を描いてみたい。