Forum Report

2013年5月11日、「グローバルな文脈での日本」の第2回目のフォーラムがサントリー文化財団(大阪)で開催された。そこでは「不幸せな日本―平和、繁栄、民主主義の下で不機嫌なのはなぜか」をテーマとして議論を行った。

戦後日本は貧困を克服して世界有数の経済大国となったが、各種調査を見ても日本の幸福度は上昇していない。第2回目のフォーラムでは、経済学者のニック・ポータヴィー博士(LSE・経済パフォーマンスセンター研究フェロー)、心理学者の内田由紀子准教授(京都大学・こころの未来研究センター)を招き、幸福の問題を検討した。ポータヴィー博士は、国際的な幸福研究の最前線について包括的に報告し、内田准教授は、日本人に特徴的な幸福観をグローバル化に照らし合わせて報告した。それぞれの報告の後、参加者からは、人生における幸福度の変化は「U字型」になるのが一般的だが日本人の場合は「L字型」になりやすい点や、日本の高齢化が幸福度のあり方に大きく影響している可能性などについて指摘があった。さらに、グローバル化が進んでも日本人は個人主義を受容しきれず、相互依存主義を重視しているという知見に関して、両者を二項対立的に考えることは妥当かとの指摘があり、議論を深めた。

報告の詳細と質疑応答については、以下のファイルをご覧ください。

ニック・ポーダヴィー
ニック・ポーダヴィー

Final Report

第一の報告は、経済学における幸福研究の最前線と日本人の幸福について、ニック・ポーダヴィー博士(LSE・経済パフォーマンスセンター研究フェロー)により行われた。よく知られているとおり、日本はOECD加盟国中最低の幸福度だと指摘する研究は多数ある。しかし、だからといって日本人が他国の人びとよりも著しく不幸せだということでは必ずしもない。幸福度や生活満足度のあり方は文化的なちがいによって決まる側面を無視できないからである。日本人の場合、「幸せな生活」のあり方について回答する際、他国の人と比べて低めの点数をつけがちだろう。

だとすれば、幸福に関するデータを日本で集めるべきではないのかといえば、決してそのようなことはない。これまでの研究が示すところでは、幸福度の国際比較はあまり有効ではないにせよ、国内比較は有効である。というのも、最近の研究では、国内や同じ文化圏の人びとが自身の幸福について語ることで、主観的な幸福についてナマの情報を得られることが客観的に確認されているからである。たとえば、自己申告による幸福度は、記憶の内容、血圧、脳の活動、はては心拍数と関係があるのみならず、その人が一日に見せる「デュシェンヌ・スマイル」の量とも明らかに関係があるといわれる(これは眼輪筋の顕著な収縮をともなう笑顔で、肯定的な感情と関係が深い)。さらには、日々の生活にどれだけ幸せを感じているかが、今から40〜50年後も元気でいられるかどうかの重要な目安になると科学者らは指摘する。簡単にいえば、一国内の幸福研究においては、人びとが口に出すことはその人の本心だと仮定できるし、主観的な幸福度の比較も有効なのである。それはまた、真の幸せのあり方を決めるものは何かを考える上で重要な比較である。

以上をふまえた上で、最近の幸福研究から、日本にとって有益な知見を取りあげておこう。まず、年齢とともに幸福度は「U字型」を描きながら推移する点である。平均的に見れば、人生のうちで若い頃と年老いた頃に、人びとは幸せを感じやすい。逆からいえば、40代半ば頃がもっとも幸せを感じにくい時期ということである。また、カネで幸せを買えるようなことはほとんどない点、そして他人の所得が自分の所得よりも上だった場合に不幸せを感じやすい点なども、今では知られている。それに関連して、人生の幸福を妨げる要因として代表的なのは、職がないことと不健康である。ただし、自分の他にも無職の人間や不健康な人間が多くいると知った場合、不幸せの度合いは和らぐ。他方、結婚と友情が幸福に影響するところは大きいが、子どものいる夫婦がいない夫婦に比べてより幸せだという証拠はほとんどない。なお最近の幸福経済学では、はっきりした市場価値を持たず、一見して値段のつけにくい経験や出来事(例えば、友人と過ごす時間、結婚、失業、さまざまな死別など)からくる幸福や不幸を金銭的価値に置きかえる研究もある。

最近の幸福研究からわかる重要な点は、日本の「幸福の方程式」のあり方は、他国のそれとほとんど変わらないという点である。つまり、イギリス、アメリカ、フランスの人びとを幸せにする要因は、質からしても量からしても、日本人にも当てはまりやすいのである。そのことは、日本の幸福度の総計が他のOECD加盟国より低かったとしても、事実である。だとすれば、結論として以下のことがいえるだろう。幸福に関するデータは日本のような国でも有益なのだから、日本政府はそのデータを収集するべく、全国調査の実施をいち早く検討すべきだろう。そうすることで、人びとの幸福に関する効果的な公共政策のかたちが浮かび上がってくるからである。

 
内田由紀子
内田由紀子

第二の報告は、心理学の立場から見た日本人の幸福とグローバル化について、内田由紀子准教授(京都大学・こころの未来研究センター)により行われた。他の先進国に比べ、日本の幸福度や生活満足度が低いということは多くの研究で指摘されているとおりである。こうした単純な比較からは、日本は「不幸な国」との結論が導かれてしまう。しかし通文化的に「標準化」されて用いられる指標というのは、しばしば国際比較上は妥当性を欠くことがある。幸福に対する見方は文化により異なるからである。たとえばその証拠に、理想的な幸福のレベルというのは文化によって異なる。内閣府経済社会総合研究所の調査(2012)によれば、10ポイント中、日本人が理想とする幸福感は7.2ポイントであり、日本人はそもそも100%の幸福を追求するわけではないのである。

欧米の文化的文脈では、主観的幸福感は肯定的感情をともなう状態と定義される。この状態は、個人の達成感や自らの資質に対する肯定的評価が最大となったときに生じる。かたや東アジア文化圏の人びとは、人生を浮き沈みもあるものとして包括的に捉えたり、他者との関係におけるバランスを取ったりした上で、現在の自分の幸せのあり方を評価しようとする。

日本とアメリカの人びとの幸せ観や不幸せ観を検証してみると、アメリカ人にとって、幸せとは個人的に追求される、持続的な肯定的状態であることがわかる。他方、日本人にとっては、幸福はともすれば否定的な帰結とも結びつくかもしれないという陰陽志向的「バランス」の上に成り立つような一時的な状態として捉えられ、さらには個人的なものではなく関係性に根付いたものとみなされる。幸福が招く否定的な帰結とは、例えば、現実逃避(現実を直視しなくなる)、超越論的思考に基づくもの(幸福は長くは続かない、幸福を感じているときにはそれとは気がつかない)、社会的不安(嫉妬をかうのではないか)、他者への無関心や自分の慢心を招いてしまうのではないかという懸念である。

幸せの予測因もまた文化によって異なる。相互独立的自己観が優勢な文化に生きる人びとは、ポジティブな感情経験を最大化し、主体的な個人として幸福を追求しようとする。とりわけ欧米の文化圏で幸福感と最も関係しやすい要因は自尊心の高さである。他方、東アジア文化圏では、社会規範によく適応し、対人関係の調和が守られることなど、人間関係的に関わる要因が主観的幸福感の上昇に寄与する傾向にある。

こうした文化差は見られるものの、一方でグローバル化の下、近年日本社会は欧米から「個人主義」を取り入れてきた。それによって個人的達成志向が尊重されるという状況が、とりわけ若年層において生じつつある。

北米文化圏の人びとは自分を高く評価することに動機づけられている。仕事上のトレーニングも高度な専門性を重視し、自らが得意とする分野のスキルを磨くことに焦点が当てられる。他方日本の場合、仕事上のトレーニングはジェネラリストの育成を目標として行われる。さまざまな状況や関係に応じて自らの役割を適切に全うできるように、自分の欠点を改善してオールラウンドプレイヤーとなることが求められるのである。その結果、北米の人びととは逆に、日本人は「成功したというフィードバック」よりも「失敗したというフィードバック」を受け取った後に、より動機づけが高まることが知られている。

「成功と失敗のフィードバック」が動機付けに与える効果に関して、我々は日本でニートやひきこもりになるリスクが少ない学生と高い学生の動機づけを比較する研究を行った。予測どおり、リスクの少ない学生らは、成功よりも失敗のフィードバックを受け取った後によりやる気を感じていた。しかし興味深いことに、リスクの高い学生の場合は成功の後にはやる気が生じるが、失敗の後にはむしろやる気を失うという正反対の傾向があったのである。このような傾向は実は典型的な北米の学生と類似しているが、その意味するところは異なっている。失敗に動機づけられないことは、日本のシステムの中ではドロップアウトを招いてしまう可能性があるのに対し、北米の文化においては自分の能力により合致した「新たな機会を探し求める」ことにつながる。そして北米においては新たな機会を求める際の熾烈な競争を和らげる緩衝剤として高い自尊心がうまく機能している。しかし日本では、競争や社会的流動性が高まってきた一方で、心理的な緩衝剤として機能する自尊心を育てようとするトレーニングは見られない。

今日、グローバル化の下で日本社会は個人達成志向に向かう流れにある。これによって、日本の幸福度はさらに下降し、ニートやひきこもりなどの社会心理学的問題を悪化させる可能性があるかもしれない。現在の流れは、今日まで日本にあった相互協調性という伝統的な文化的価値と相対立するものだからであり、また、個人達成志向という制度的システムの変化のみがもたらされたとしても、それに対応するような価値観の変化(自尊心向上など)が伴っていないからである。実際、個人達成志向性の下では、他者と良好な関係を築き、維持することが難しくなり、それゆえに幸福感が下がる可能性が示唆されている。明示的な規範(グローバルスタンダード)と暗黙の文化的規範(伝統的な規範)の相克によって、日本の人びとの幸せのかたちが変わりゆく可能性は、決して無視できないであろう。

基調報告動画

ニック・ポーダヴィー氏
https://www.youtube.com/watch?v=pFv1VQwDGbU
内田由紀子氏
https://www.youtube.com/watch?v=JY-unC0bQAw

報告書

Background

平和、繁栄、民主主義。今日これらの価値は、日本を含め、世界でほぼ普遍的に受け入れられている。戦後日本人のほとんどは、政治的イデオロギーや社会的地位に関係なく、国家の栄光といった価値よりもこれらの価値を積極的に追求してきた。そして日本が70年近く戦争せずにきたことは、この地球上では得がたい幸福であった。今日、日本の経済的後退は周知のとおりだが、物質的豊かさの面で日本がもっとも恵まれている国の一つであることは誰も否定しえないだろう。世界一の長寿大国日本の国民はごく健康的で、公共サービスへのアクセスもまた充実している。

だとすれば、どう考えても、日本人は幸せな生活を送っているはずだということになる。しかし実際には、不機嫌と悲観主義が今日の日本を覆っている。2005年の「世界価値観調査」では、日本はOECD加盟国中、もっとも幸せではない国とされている。他の調査を見ても、否定的なムードが日本を覆っているとする有力な証拠に事欠かない。

これは一体なぜなのか。平和、繁栄、民主主義。日本が追い求めたこれらの価値は幻影にすぎず、達成不十分だというのか。あるいは戦後日本人の価値観に、全体として欠陥があるのか。そしてこの問題は、果たして日本に固有のものなのか。追求すべき価値が平和、繁栄、民主主義でないとすれば、いかなる価値を求めるべきなのか。「グローバルな文脈での日本」第2回会合では、日本の不機嫌の源泉を探り、幸せのあり方を改める現実的方策を検討する。