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サントリー地域文化賞 | 地域文化を考える/インタビュー

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損して得とれ

山崎 正和氏

Masakazu Yamazakii

東亜大学大学院教授

[プロフィール]
劇作家、評論家。1934年京都生まれ。京都大学文学部卒業。コロンビア大学客員教授、関西大学教授、大阪大学教授を歴任。サントリー文化財団理事。劇作から文芸・社会評論まで幅広く活躍する一方、91年より兵庫現代芸術劇場の芸術監督として、県が推進する芸術センター構想に参画。

「地域文化ニュース」第14号(1995年6月)掲載

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――山崎先生は、10年以上も前から「地域文化の3つの時代」という時代分析をなさっていましたが、最近お話を伺っていますと、三段階目の時代からもう一歩進んだ時代の予兆を感じていらっしゃるようですね。


  地域文化の三段階

山崎 地域文化の発展の三段階について説明しますと、まず第一段階は地域が自然発生的に文化を生み出していた時代で、伝統芸能が生まれたのがこの時代です。「地域が文化をつくる時代」ですね。ある農村から出てきた田楽舞が都市に行って能になるというように、いわば「文化の香り豊かな地域」というものが存在していました。
 やがて工業化時代になり、都市への一極集中が進んで地域が寂しくなったために、志のある人たちが地域で劇団や、楽団や、合唱団のような組織をつくって頑張るという時代が、比較的長く続きました。これが「地域で文化をつくる時代」です。そのような組織の人々は地元の人たちからは「変わり者」という目で見られ、メンバーも内向きに団結して、自己研鑽に励むという傾向が強く見られました。地域文化賞の受賞者を見ても最初の3年ぐらいは、それがほとんどでしたね。
 その次に、「地域を文化がつくる時代」がやって来ました。音楽祭や映画祭を開催している湯布院のように、文化を使って地域振興をしようという段階になるわけです。文化が経済の中で大きな地位を占めるようになった時代――それを情報化時代とも呼ぶし、ポスト工業化時代とも呼びますが、地方の文化がにわかに世の中の理解を得はじめたのです。このような時代の流れを反映して、地域文化賞の贈呈式にも、地域の町長やお役人が出席するようになりました。

  新たな文化の発展段階
    お国自慢が文化を育てる


山崎 以上がこれまでの「地域文化の3つの時代」です。それが最近では、地域の人々が「普遍的な文化のために貢献するんだ」という意識をもちはじめていて、地域文化がもう一歩踏み込んだ段階に入ったように感じられます。
 そのいい例が、Jリーグです。Jリーグのサポーターをみていると、お国自慢を通じてサッカーを繁栄させているでしょう。たとえば、僕は磐田がどこにあるか知らなかったけれど、「磐田はジュビロを応援しているな」というのはわかる。磐田の人は、入場料を払うなり、変な格好で応援をするなりして、相当の自己犠牲を払っているに違いないけれど、そのことによってJリーグ、ひいては日本のサッカー運動全体が高まっているんですね。
 地域が文化をつくるという面で、今年の受賞者の中から例を挙げると徳島の「国際人形劇フェスティバル」があります。このフェスティバルでは、地域が貸し座敷をして、住民が汗水流して世界の人形劇を集めているでしょう。地元はそれでたしかに楽しいだろうし、文化的に潤うから、文化が地域をつくっているのだけど、同時に地元のお金で人形劇一般が支援されているじゃないですか。

――人形劇では以前、長野県の「人形劇カーニバル飯田」も受賞されていますよね。


山崎 そうですね。仔細に受賞者の顔触れを見ていけば、少しずつ時代が変わってきていることがわかります。本来、地域と文化には、文化があればこそ地域が栄えるという側面と、ある特定の地域だから文化が生み出されるという側面と、2つの関係があるんです。言いかえれば、文化は地域の産物であると同時に、地域を支えているものだ。そんな意味で、いまや産物としての文化のほうに、われわれはもっとも注目しなければいけないと思います。

  文化を生むまち

――では、どんな地域が文化を生むのでしょうか。<


山崎 気概のある住民のいる地域だと思います。「気概」というと古めかしいようですが、もうちょっと面白いことが欲しいと思ったり、自分のまちを歩くときには少しお洒落しようと思ったり、自堕落でない暮らし方をしたいという感情が、「気概」ですよね。そういう気概のある地域が、文化を生むのだと思います。それは、表現をかえれば「面白いまち」あるいは、「ハレの日のあるまち」といってもいいかもしれませんね。ひと昔前の地域づくりのモットーであった「住みやすさ」だけではもう人は集まらない。現に東京は最も住みにくいまちなのに、若い人はみんな東京に行くでしょう。

――気概のある住民が住むには、どうしたらいいのでしょうか。


山崎 志のあるリーダーがいること、そして、志をもったリーダーの足をみんなが引っ張らないということでしょうね。
 しかし、その第四段階というのは、第一段階の「地域が文化をつくる」という状態と類似しているわけです。ただ、第一段階と第四段階の違いは、第三段階の「文化で地域おこしをやろう」という意識的なリーダーが存在するかどうかということです。

――先生は、この新しい時代の萌芽をどういったことから感じられるようになったのでしょうか。


山崎 それは、サントリー文化財団が各地で開催している「ハイパーフォーラム『地域は舞台』」で、地元の人たちが頑張って全国の地域のために貢献してくれる。そういう姿を見ていて少しずつ感じはじめた。もうひとつは自分が兵庫県の芸術運動をやりだしたということですね。兵庫の場合は、狭い意味で土地の芸術家にお金を差し上げるのではなく――将来はそれもやるけれども、今のところ東京の役者がやって来て芝居をしている。それでいいじゃないかというのが私の持論で、そこからいまのような話になっていくわけです。

  多少の犠牲も必要

山崎 これは、教育の分野では以前からやっていることで、たとえば各県では県費を出して医科大学をつくっているでしょう。その場合、他県から来る学生にも県の税金を出すことになりますが、そのことによってゆくゆくは日本や世界の医学に貢献をしているわけですね。
 ところが、必ず「そんなことをすると、自分の県の持ち出しになって損をする」と言う輩が出てくる。しかし、よそから来てくれるということは、その県にとっては名誉なことで、土地のイメージも上がるわけです。それに、学生というのは授業料だけ払っているのではなく、飲食もすれば居住もしてくれる。
 文化の場合も全く同じで、土地のイメージが上がってこそ、ファッションや外食、観光といった産業も儲かるわけです。さらに、土地の人たちに間接的に落ちるお金が当然ある。劇場ひとつをあげても、それがその土地に落とすお金はかなりのものですからね。そういう直接的な効果に加えて、地元住民の誇りが得られるし、さらには世界や日本の文化にも貢献できる。
 本来、文化というのは、各地域が地域をこえた発信能力をもつということであって、発信をするためには痛い思いをしなくてはならないというものなんです。しかしその見返りがちゃんとくるんですよ。こんな素晴らしいことに苦情を言う人に対しては、「ケチな根性を出しなさんな、損して得取れ」と言いたいですね。(笑)
(所属・肩書きはインタヴュー掲載時のもの)

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