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サントリー地域文化賞 | 地域文化を考える/インタビュー

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遊びこそが文化の本質

梅棹 忠夫氏

Tadao Umesao

国立民族学博物館館長

[プロフィール]
1920年京都生まれ。京都大学理学部動物学科卒業。国立民族学博物館の生みの親であり、多年にわたり民族学の発展と普及に尽力。時代を俯瞰する独自の文明論を展開し、現在、「梅棹忠夫著作集」(全15巻)も刊行中。

「地域文化ニュース」第9号(1991年8月)掲載

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――梅棹先生には、昭和54年の第1回からサントリー地域文化賞の選考委員をお願いしています。賞創設から13年を経て、地域文化とそれを取り巻く社会の状況は大きく変化しましたが、きょうは先生から、賞の選考を通じての思い出や、日本の文化状況などについて、いろいろお話を伺いたいと思います。
 まず、創設当初の地域文化賞についてのお話を伺わせて頂けますでしょうか?


梅棹 初めは、私も委員の皆さんがたも、どういうものを選んだらいいのかわかりませんでしたね。しかし、全国の地方新聞社から推薦してもらった候補を見てみると、地方で文化活動をしている個人・団体というのは、ものすごくたくさんある、しかも相当水準の高い活動をしておられるということがわかった。これには私自身もちょっと驚きました。
 地域文化ないし文化とは何ぞや、ということなんですが…、要するに「遊び」ですね。いかに上手に遊ぶか、人生の可処分時間をいかに有効に使い、人生を充実させるか、ということです。文化とはそういうことだと思いますが、これが、全国各地で実に見事に、様々なことが行われている。第1回から、素晴らしい活動例が集まって来て、全く感心しました。
 遊びというのは、奇想天外な思いつきを生み出す。独創性があるんですよ。これはとてもいいことだと思います。毎年、何か一つは腹を抱えて笑うような、遊び心に溢れたものがあって、私はあの選考委員会を楽しみにしているんです。一面では地方文化の実態を具体的に捉えることもできる。今の社会の動きがよく分かって勉強にもなります。

「私心なきこと」
    それが選考基準のひとつ


――受賞者の方々はその後、バチカン宮殿のローマ法王の前で合唱したり、モンゴルの騎馬民族にルーツを求めて世界追分祭を開催したり、非常にスケールの大きな活動を展開していらっしゃいます。初めは夢のような計画であっても、本当に実現してしまわれるので、その実行力とエネルギーには驚かされてしまいます。


梅棹 やはり一文にもならないことだからエネルギーがでてくるんでしょうね。これが尊いんですよ。儲け仕事なら大勢の人は集まってこない。純粋な精神的エネルギーが肉体をつき動かす。結局はお金まで引っ張り出すのです。
 遊び心のちょうど裏返しになりますが、私心がないということは、非常に大事なことだと思います。私心を離れて、公あるいは社会化された遊び心をもっているか、私はこれは選考基準のひとつだと思っています。自分が何か得をしようと思ってやっていること、私心は分かりますからね。

――ところで、受賞者の方々から、最近風向きが変わって来た、逆風の中での地域文化活動が、ここに来て追い風を受けるようになったというお話しをよく伺います。ある種の戸惑いすら感じておられるようなんですが。


梅棹 それはあるかもしれませんね。今までのことを考えると、社会全体が著しく変わってきた。本質的な意味で、文化ということを皆さんわかってきたということですね。これはやはり、豊かな時代のひとつの成果でしょうね。
 なんとなく今までは、文化というと一般庶民には関係のない「大したこと」みたいな受け取り方が多かったでしょう?特殊な、いわゆる文化人のもの、という考え方があった。でもそれは違うのです。大したことではないのです。みんなが文化に参加できるんだということがわかり、創造に参加することが広まって来たんですね。

今、時代は転換期に
    文化のカラオケ化が進んでいる


――最近は市民演劇も盛んで、一般の人たちも参加して、自分たちの手で文化を創造することがこんなに楽しいことなのか、という思いを持たれるそうですね。


梅棹 私は、今、時代は大きな転換期に来ていると思うんですよ。かつて、演劇は演じる者と見る者との対立、緊張の中から何かが生まれるという考え方がありました。ところが、そうではないんだ、やっていること自体に意味があるんだ、ということがわかって来たんです。極端にいえば、観客なんか1人もいなくてもいいのです。
 カラオケなんですよ。いまは文化のカラオケ化がものすごく進んでいるんですよ。そして、これが文化の本質なのです。
 文芸の分野にもカラオケ化は進んでいますよ。読んでくれる人は誰もいないかもしれないが、それでも、書くこと自体を楽しむ人がどんどん増えている。今、全国でも自費出版が非常に盛んです。これには、印刷技術の進歩があって、個人が本を出しやすくなって来たということもあります。ハードの進歩があってソフトの発展が助けられている。カラオケもそうでしょう?カラオケのセットの目覚ましい進歩があった。歌の自動採点機というのもあるそうですね。ハードがどんどん開発され、やる側も余計に一生懸命になる。地方にもりっぱなホールができて、音楽やお芝居をする人も増え、内容もよくなってきた。最近になって急にソフトの発展が注目されるようになってきましたが、ハードとソフト、両者は一体なんです。
 私は以前から、人間が食べることに追われている「腹のたし」の時代から、人の手足にかわり機械によって生活物資とエネルギーの生産を行う「筋肉のたし」の時代へ、そして最後に、「心のたし」の時代が来るということを言っていました。今ようやく「心のたし」の時代になりつつあるわけです。私がこういうことを「情報産業論」の中で言いだしたのが1962年ですから、多少早すぎたきらいがあったようですね。

――やっと時代のほうが追いついて来て、先生の言われたことが実感としてわかるようになってきたんですね。
 ところで、最後になりますが、これからの時代に向かって地域文化活動を続けていかれる方々に対して、先生から、何かメッセージをいただけますでしょうか。


梅棹 今の時代の風向きは、私は本物だと思います。ますます順風になりつつあると思いますから、それに乗ればよろしい。
 ただ、もっといろいろと独創的な遊びを考える、創造的な文化を作っていくということが非常に大事です。今の地域文化のあり方に対して、多少の不安、不満を感じていないわけではないんです。やっぱりまだ、かなりの部分がマネなんですね。よそが成功したことをそのままマネしても、同じように成功するはずがない。まだまだ面白いことはいくらでもあります。みんなが熱中できるような新しい可能性を考え出す、創りだすことです。しかし、そういうものを創りだして、定着し、成熟するまでには、どうしても数年はかかります。文化を支えるためには、持続的な情熱というものが必要なんでしょうね。
 あきらめたらあかんのです。

――どうもありがとうございました。

(所属・肩書きはインタヴュー掲載時のもの)

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