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合唱団パリンカ 「合唱団パリンカ 第25回記念定期演奏会」
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- 実施日時
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2017年6月25日(日) 14:00開演
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- 実施場所
- 東北大学百周年記念 川内萩ホール(宮城県仙台市)
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- プログラム
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フランシス・ジャン・マルセル・プーランク : 主よあなたにお願い
ヴェリヨ・トルミス : 嵐の海の呪文
男声合唱による「井上陽水の世界」(編曲:源田俊一郎)
「バリンカ歌のアルバム」~昭和ヒットパレード(編曲 : 石川浩 バンドアレンジ : TAK-YAMADA)
吉川和夫 : 修羅のなぎさ~宮沢賢治の文語詩による無伴奏男声合唱曲(委嘱・初演)
多田武彦 : 男声合唱組曲「富士山」 ほか
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- 出演
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千葉敏行(指揮) 田村聡子(ピアノ)
青葉城址男声合唱団(賛助出演)
「富士山」をうたう会、TAK-YAMADA Special Band(特別出演)
合唱団パリンカ
主催者からのレポートをお届けします。
合唱団パリンカは、1990年、東京混声合唱団桂冠指揮者田中信昭氏の指導を受けた「けやきの会」の若手メンバーを中心に結成されました。若手合唱団と言われてきた「パリンカ」が、25回目の節目のコンサートを開催するまでになりました。
25回を記念した今回の演奏会では、「青葉城址男声合唱団」「TAK-YAMADA Special Band」を迎え、「富士山」を歌おうと集った50名を超す男声合唱愛好家とともに「男声合唱の饗宴」を行うことができました。演奏会開催にあたっては公益財団法人サントリー芸術財団より第5回ウィーン・フィル&サントリー音楽復興祈念賞、公益財団法人三菱UFJ信託地域文化財団、一般社団法人 Harmony for JAPAN、公益財団法人 宮城県文化振興財団、公益財団法人 仙台市市民文化事業団より助成を頂きました。演奏会に先立ちまして、佐々木事業部長様より記念の盾の贈呈式が行われました。
贈呈式を終えると、会場の玄関からかつてないほどの長蛇の列ができていました。
14:00の開演。客席を埋め尽くすお客様の万雷の拍手で入場、1990年4月22日に5人で初めて歌った「パリンカ」で幕を開けました。
第1ステージは2曲の外国語作品。プーランクの慎ましい美しい祈りの歌が、男声合唱の柔らかいハーモニーとともに聴衆を包み込みました。続いては今年1月に亡くなったエストニアの作曲家トルミスの代表作「嵐の海の呪文」。8声部の男声合唱に加え鳥笛が8本加わり、エストニア号の沈没を激しく歌い、数多の魂たちが天に上る様子が感動的に歌われました。
第2ステージは、昨年に引き続き「青葉城址男声合唱団」さんに登場していただきました。路上パフォーマンスで鍛えた若々しい歌声は会場を沸かせました。
第3ステージは再び合唱団パリンカによる演奏。カジュアルな服装とともに源田俊一郎によるアレンジは、パリンカの大人の魅力に満ちていました。
第4ステージはスペシャルゲストのTAK-YAMADA Special Bandをお迎えしての華やかに繰り広げられました。パリンカ常任指揮者千葉敏行氏が指揮を務めている「女声合唱団和ぐ」で初演した「和ぐ青春ストーリー~あの頃の君へ」を、仙台在住の石川浩氏に男声合唱版に編曲していただきました。さらに工夫を凝らした昭和のヒット曲たちが、楽しい男声合唱のメドレーに生まれ替わりました。合唱団のコンサートは合唱界の中に閉じていいないだろうかと思うことが少なくない。「新たな交流」「聴衆との楽しい合唱空間」を追求しているパリンカの面目躍如たるステージとなりました。
第5ステージは、25回定期演奏会のための新作の初演。東日本大震災を体験し、「被災地へピアノをとどける会」の中心として被災地を巡り、震災後の東北を生きてきた宮城教育大学の吉川和夫氏による作品。吉川氏は「この合唱曲のテキストとした三編の詩には、いずれも象徴としての水が描かれ。東日本大震災を経験した仙台の合唱団ならばこそ、歌うべきことばを歌いたいという指揮者千葉敏行さんの言葉に励まされ、合唱団パリンカの本日の演奏会のために作曲した。作曲の機会を与えてくださり、完成をじっと待ってくださったことに感謝したい。私自身、仙台で東日本大震災にめぐり会わなかったら、この作品を書くことはなかっただろう。」と語っていた。
宮澤賢治は1912年、修学旅行のとき北上川を下り石巻を訪れ、初めて海を見た感動を記したのが「われらひとしく丘に立ち」でした。石巻市日和山にある「われらひとしく丘に立ち」の詩碑があります。東日本大震災では、多くの人々が標高54.34mの日和山に避難し、家族や友人の無事を祈りながら、眼下に迫りくる大津波をただ、固唾をのんで見つめるしかありませんでした。100年後にこの地を襲う悲劇を予感しているかのような作品を、男声合唱らしい重厚なハーモニーで歌い切りました。第2曲「ながれたり」は、長大な作品。北上川を流れる屍とその地獄絵図を、照明を落として演奏しました。それは日和山から見た震災翌朝の惨状であったのかもしれません。第3曲「あくたうかべる朝の水」では団員が手にした小さな灯により鎮魂の祈りをささげていました。「雨ニモマケズ」は宮澤賢治の代名詞のようになっていますが、彼の行動原理は、「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」でした。東日本大震災の後、被災地には幾万の賢治がいました。吉川氏もまたそのお一人であったのではないでしょうか。
ラストステージは、「富士山をうたう会」とともに100名を超す男声合唱が聴衆を圧倒しました。宮澤賢治を見出したのは福島県いわき市出身の草野心平。心平のスケールの大きな世界を多田武彦が男声合唱屈指の名曲に仕上げました。深沢眞二氏が「邦人合唱曲への文学的アプローチ なまずの孫1ぴきめ」で、「『富士山』は,体育会系の男声合唱曲である。声を張り上げ続けてトップがひっくり返らず,ベースが地響きをたてて,セカンドとバリトンがハーモニーを壊さず,1000mを全力疾走するような・・・」作品だと述べています。男声合唱の場合パートの配置は下手からトップテノール、セカンドテノール、バリトン、ぺースとするのが通常であるが、今回はトップテノールとぺースを中央に配置し、「うまく内声と外声が溶け合ってとても柔らかなサウンド」にも成功していました。
フィナーレは、青葉城址男声合唱団のメンバーも加えて120名による圧巻の「斉太郎節」で幕を下ろしました。
今後も被災地に根ざした合唱団として、震災と向き合い、新しい合唱の創造に務めていきたいと考えております。結びに、本公演にご助力頂きましたサントリー芸術財団様に心より感謝申し上げます。