百足 弘史Hiroshi Momotari
学部時代の後半、ボランティア活動に参加したことがきっかけとなり、自分自身の将来を見つめるようになりました。より深く勉強をしてから社会に出ようと大学院へ。大学院では論文誌に掲載されるような研究論文を仕上げることと、国際学会への参加の2つの目標を掲げました。
研究では電力ケーブル技術をテーマに取り組み、仮説検証を繰り返しながら結果を出していくプロセスは、現在の仕事の礎になったと思います。目標としていた国際学会には3度参加することができ、その際には研究室の仲間とプチ世界一周旅行を敢行。今も大切な思い出の一つです。
ものづくりエンジニアとして広範囲に活躍できる場があり、チャレンジ精神の風土がある会社を基準に就職活動をしました。もう一つ、自分に合う企業風土かどうかも大切な観点でした。エントリーシート提出は10社ほど。自動車、電装部品、鉄道、航空、医薬、総合商社、産業コンサルティングなど多岐に渡りました。あまりにもバラバラな業界選びに、面接では志望動機を深く突っ込まれたことを覚えています。
応募理由もそうでしたが、サントリーを選んだ決め手は、“人”、そして“企業風土”です。会社訪問やOB訪問で出会った先輩社員の方が「厳しいなかだからこそ切り拓くおもしろさがある」と楽しそうに語る姿に惹かれました。自分もこんな風に楽しく仕事を語りたい、そんな風土があるサントリーで頑張りたいと就職活動中に強く思うようになりました。実際、採用面接の一連のプロセスのなかで、サントリーが第一志望となり、入社を決めていました。
私の入社年は、東日本大震災が起きた年で、サントリーのCM「上を向いて歩こう」がTVで流されていたり、東北で復興・復旧に頑張っている先輩社員の話を聞いたり、この会社で頑張ろうと自分に誓ったことを覚えています。
最初に配属された木曽川工場では、新ラインの建設に携わりました。任されたミッションは、炭酸無菌充填ライン設備を設計し、立上げ、安定稼働までもっていくことでした。先輩の指導を仰ぎながら、個々の設備に要求される機能を整理し仕様を決め、実際の試運転での検証方法を考え、顕在化している不具合だけではなく、潜在的なロスを見つけて課題化し、対策の検討を行い具体的な道筋をつけていきました。
設計はもちろん、飲料の製造知識も不足していたのは明らかですので、最初は苦労するだろうという覚悟は決めていました。それでも、自分が設計した設備が思い通りに動かなかったときは、本当に挫折感を味わいました。それ以来、無我夢中で学びながら改善活動に励み、製造ライン稼働率を会社全体の2位まで押し上げる改善を果たせたときは、自分なりに飛躍的な成長を感じたことを覚えています。
入社4年目に異動になった白州工場では、炭酸無菌充填ラインの建設を担当し、給水および排水処理設備の設計・立上げ・安定稼働に携わりました。給・排水という製造ライン全体に関わるインフラシステムの設計であり、処理能力の検討や材質・配管口径・配管敷設ルートなど範囲も広く、工場全体を考慮した設備設計が求められました。
給・排水インフラシステムの設計では、前提条件の置き方や前後の工程との能力バランスなど、ゼロから設計能力とトータルな視点が求められ、私にとっては高い壁となりました。実際、プロジェクト全体に影響を及ぼすようなミスをしてしまい、そのミスを取り戻す過程のなかで、全体を俯瞰する力を培うことができました。最終的には無事に納期・予算どおりに稼働させることができました。
設備設計事例研修では、先輩の方々からサントリーにおけるエンジニアの仕事に関して、具体的なエピソードを交えながら、より詳細な話を聞くことができました。サントリーではエンジニアにどんなことが求められているのか、どのようなプロセスで進めるべきか、大事なポイントは何か等々、改めて考え、学ぶ機会を得られました。例えば、工場中期計画や将来の省水計画の立案を進める上で、限られた情報のなかでどれだけ先を見据えたゴールを描き、計画を立てられるか、今、この時点で決めなければならない判断力が自分のなかで芽生え、育ち始めたことを覚えています。
現在、「天然水井戸掘削」という大きなプロジェクトのリーダーを任されています。
井戸自体の仕様、井戸の施工方法、中味品質やフードセキュリティ・天然水のサイクルを考えた適切な井戸の使い方をチームとして設計・検討し、予算および納期管理、部署間調整を取りまとめるのが、私のミッションです。本社技術部との協働のなかで、技術開発の方向性を知ることができるおもしろさを感じています。
* 内容・社員の所属は取材当時のものです。