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ニュースリリース
  • (2018/8/23)

第40回 サントリー地域文化賞受賞者活動概要

 

鳥取県米子市  むきばんだ応援団

◎受賞理由
約20年にわたり、遺跡の保存運動から啓発普及活動まで市民が中心となって取り組み、遺跡の存在を通じて、地域の文化と歴史の重さを次世代に伝えている点が高く評価された。

◎活動概要
鳥取県の西部にある大山(だいせん)は霊峰として名高いが、その山麓に古墳時代、白鳳時代の遺跡があることもかねてより知られていた。1995年、リゾート開発計画によるゴルフ場の建設にともなう発掘調査で、900もの建物跡のある152haに及ぶ国内最大級の弥生遺跡(1700~2000年前)が発見された。
1997年、この「妻木晩田(むきばんだ)遺跡」に、山陰に特徴的な「四隅(よすみ)突出型墳丘墓」が多数あることが報じられると、地域住民、考古学研究者から遺跡の保存を求める声が大きくなった。市民の団体が保存の署名を集め、文化庁も保存すべきとの意向を県に伝えるなど後押ししたが、開発計画は県の誘致事業であったため、保存の結論は先送りにされてきた。
1999年2月、保存活動を展開してきた市民団体、全国の考古学者・文化人、地元経済界などが発起人となり「むきばんだ応援団」が結成された。応援団は、保存を要望するだけでなく、自分達も協力しようということで、募金を全国によびかけ、保存活動を具体的な行動で盛り上げた。こうした活動が功を奏したか、4月に県は一転、保存・活用を決定した。
保存決定後の応援団は、東京・大阪・鳥取でフォーラムを開催し、複数の考古学者による妻木晩田遺跡の学術的な意義の検証や、遺跡活用の方策の提言をおこなった。また、地域住民の関心を喚起し、理解を促進するために、市民講座「むきばんだやよい塾」、植物観察会「むきばんだを歩く会」を発足させ、現在に至るまで毎月1度開催している。「むきばんだやよい塾」(現在第19期開催中)には、奈良文化財研究所、大阪府立弥生文化博物館、福岡県伊都国(いとこく)歴史博物館、明治大学などから研究者が講師として招かれ、研究者たちの同遺跡への理解促進にもつながっている。さらに、やよい塾の受講者の有志によって「妻木晩田遺跡ボランティアガイドの会」が発足し、今日までその中核を担っている。そのほか、機関紙「やよい塾通信」「応援団通信」の発行、様々なイベントの開催、鳥取島根両県の市民団体による「山陰遺跡ネットワーク会議」も結成し活動をリードしている。
現在、遺跡は「県立むきばんだ史跡公園」として公開されているが、今後の調査や活用についての定期的な会合は、応援団、ボランティア団体なども参画して行われている。保存決定前から今日まで一貫して、考古学者だけでなく多くの市民たちが参画して遺跡を守り活用してきたことは他に例がない。遺跡の価値と魅力を周知させ、様々な活用法を提案し続けることを通じて、地域の文化と歴史の重さを次世代に伝える大切な活動と言える。

◎代表者および連絡先

〈代表〉
坂田 友宏氏(むきばんだ応援団団長、国立米子工業高等専門学校名誉教授、83歳)
〈連絡先〉
前田 昇氏(むきばんだ応援団事務局長)
電話:080-1915-6664
(今井書店市民サロン内 むきばんだ応援団事務局)

◎鳥取県内のこれまでの受賞者
米子市  永井伸和氏(1991年、個人〈読書運動〉)

 

岡山県津山市  津山国際総合音楽祭

◎受賞理由
グスタフ・マーラーをテーマ作曲家とする独自性、国内外の様々な分野のプロが出演する国際性と総合性、そして津山市民が中心となった地域住民参画型の音楽祭を30年以上にわたって継続してきた点が高く評価された。

◎活動概要
津山市は、中国山地の山懐の盆地に位置し、古くから岡山県北の政治・経済・文化の中心都市として栄えてきた。同市の恵まれた自然と伝統的文化風土は江戸時代後期から明治にかけて数多くの洋学者を輩出し、その研究対象は西洋音楽の学理にまで及んでいた。そういった経緯もあり、合唱、室内楽や吹奏楽などの洋楽団体が数多く活動している。また、洋楽の伝統のみならず、城下町ということもあり、以前から琴、三味線、尺八、謡曲、詩吟など邦楽団体の活動も盛んであり、音楽的な土壌が醸成されてきた。
1983年に同市は「文化振興による地域づくり~音楽都市津山を目指して~」を標榜し、その翌年に「瀬戸大橋架橋記念事業」として音楽祭の開催を決定。県と市、教育委員会、津山商工会議所、作陽音楽大学を中心に149団体を統合した委員会が組織され、1987年に第1回津山国際総合音楽祭が開催された。以来、概ね3年ごとに実施。初代音楽監督の渡邉暁雄(あけお)氏の死去や作陽音楽大学の市外への移転など、大きな困難も乗り越え、2017年にはスタートから30年、第10回の節目を迎えた。
マーラーをテーマ作曲家に据え、国内外のプロとアマチュアの参加により、クラシックを中心にジャズ、ロック、ポップス、邦楽、民謡など幅広いジャンルの演奏会を行い、国際的で総合的な音楽祭として広く認知されている。世界的なマーラーブームにいち早く着目した先進地として、音楽関係者から「津山はマーラーの街」と呼ばれており、これまでにマーラーの交響曲全曲を演奏した。
また、合唱などに出演する津山市民を中心とした地域住民は、毎回80団体2千人を超え、出演するアマチュアのほぼ100%、聴衆の90%以上が地域住民である。さらに、プロとの共演をはじめ、地域住民が参加するプログラムは全体の90%以上とまさに地域による地域のための音楽祭と言える。過去10回累計の出演者数は約3万人、入場者数は15万人を超えている。
音楽祭に出演する住民は、最低でも半年間60時間以上、長ければ約3年間の練習を積んで音楽祭に臨んでおり、音楽祭のない年でも地域文化への影響を及ぼしている。そうした地域文化の広がりにより、多くの市民合唱団に加えて、2016年には津山ジュニアオーケストラも設立された。長い年月をかけて、地域住民参加型の音楽祭として定着し、津山の音楽文化を育み続けている。
音楽祭が浸透するにつれ、津山市周辺の市町村からの聴衆も増えてきており、市内だけでなく近隣地域への影響力も強くなってきた。音楽祭を目的とした里帰り組も多く、津山市民の大きな誇りとなっている。この伝統を継承・発展させながら、今後は、地域活性化や若年層へのアプローチと育成等の観点も踏まえた音楽祭の多面的な展開を試み、さらなるステージアップに期待したい。

◎代表者および連絡先

〈代表〉
谷口 圭三氏(津山国際総合音楽祭委員会会長、津山市長、54歳)
〈連絡先〉
津山国際総合音楽祭委員会事務局
電話:0868-24-7744(津山文化センター内)

◎岡山県内のこれまでの受賞者
新見市  新見庄たたら学習実行委員会(2017年)
倉敷市  大原美術館ギャラリーコンサート(2006年)
岡山市  桃太郎少年合唱団(2003年)
岡山市  夢二郷土美術館(1985年)

 

広島県尾道市  因島(いんのしま)水軍まつり実行委員会

◎受賞理由
かつて村上水軍が拠点とした因島で、水軍にちなんだイベントを住民総出で開催。島、海、火をテーマにした3つの「まつり」を通じ、地域の文化や先人の知恵を学び、継承する場となっていることなどが高く評価された。

◎活動概要
瀬戸内海西部の芸予(げいよ)諸島に位置し瀬戸内航路の要衝である因島は、南北朝時代から戦国時代に活躍した村上水軍の本拠地として知られている。水軍ゆかりの史跡が数多く残されているこの島で、水軍にちなんだ祭りが毎年開催されている。
村上水軍に関する記録は少なく、その実像は不明な点も多い。そうした中で1974年、島の住民が中心となって古文書をもとに村上水軍の陣太鼓を再現し披露した。1980年には、青年会議所の主催により「ちびっこ水軍まつり」が開催され、陣太鼓の体験教室などが行われた。
当時の因島は中心産業であった造船業が不況に見舞われており、それにかわる地域振興の核になるものが模索されていた。そうした中、地域の誇りである村上水軍の歴史を活かしたイベントの開催が官民の間で検討された。1991年に国の「ふるさと創生事業」の基金を活用し、水軍の甲冑と木造の伝令船である「小早(こはや)」を復元。同年、第1回「因島水軍まつり」を開催し、祭りでは太鼓のリズムに合わせて小早舟をこぎ速さを競う、水軍さながらのレースを行った。その後も島の歴史を彷彿とさせるイベントを考案し、1993年には島、海、火をテーマとする3部構成の祭りのスタイルが定着した。
初夏に行われるオープニングイベント「島まつり」では、島内各地域の公民館や神社を「城」と定め、全町内会が参加して甲冑を着た武者たちの出陣式を行う。続いて8月に開催される「海まつり」では、小早舟のレースを行い、小学生、中学生、男性、女性の部門ごとに勝敗を競う。フィナーレである「火まつり」では、任務を終えた水軍の帰還を再現。水軍太鼓の演奏や水軍の勝利・帰還を祝ったとされる踊り「跳楽舞」のコンテストを行う。そして松明を持った武者が舟で帰還すると、松明と花火で海辺が彩られ美しい情景が広がる。現在では3つの祭りを通じて、約6万人が訪れるイベントとなっている。
これらの祭りには島のすべての町内会が参加し、官民一体となってイベントを支えている。2006年に因島市が尾道市と合併した後は、島外の学校からの参加者も増えた。さらに2012年には、「全国水軍まつり」を開催し、毛利水軍(山口県萩市)や熊野水軍(和歌山県新宮市)、松浦水軍(長崎県松浦市)に扮したそれぞれの地域の人々が因島に集って武者行列を行うなど、同様の歴史を持つ地域間の交流にもつながっている。
「因島水軍まつり」は、海上の秩序を維持した村上水軍の歴史と、それに対する誇りや人の和の大切さを改めて実感することのできる、貴重な機会となっている。

◎代表者および連絡先

〈代表〉
巻幡(まきはた) 伸一氏
(因島水軍まつり実行委員会実行委員長、尾道市議会議員、71歳)
〈連絡先〉
柏原 一志氏(因島水軍まつり実行委員会事務局)
電話:0845-26-6212(尾道市因島総合支所しまおこし課)

◎広島県内のこれまでの受賞者
呉市   歴史と文化のガーデンアイランド 下蒲刈島(2015年)
廿日市市 説教源氏節人形芝居「眺楽座」(2004年)
広島市  トワ・エ・モア(1989年)
福山市  日本はきもの博物館(1982年)

 

愛媛県松山市 へんろみち保存協力会

◎受賞理由
衰退していた歩き遍路に関する情報の収集・発信や、遍路道の保存修復活動を通し、昔ながらの遍路文化の再興に貢献した点が高く評価された。

◎活動概要
四国では平安時代より、空海が修行した地を巡拝する僧や山伏が存在したが、現在のような八十八ヵ所の札所を巡る巡礼路が定着したのは、17世紀後半のことである。その後庶民にも遍路文化が根付き、人々は約2ヵ月をかけて徒歩で四国を巡った。しかし、1950年代半ば以降、観光バスや自動車での巡拝が徐々に主流になり、歩き遍路を行う人は減少した。
このような状況の中、愛媛県松山市の宮﨑建樹氏は、1979年に初めて歩き遍路を行った際に荒廃した道の状況を目の当たりにし、1987年に「へんろみち保存協力会」を設立して道の保全活動を開始した。「協力会」を名乗ったが、「山道では道標の向きひとつがお遍路さんの命に関わるため、自ら責任を持って行いたい」との考えから主な作業は一人で行い、四国中の約2000ヵ所に道標を設置した。1990年には歩き遍路向けのガイドブック『四国遍路ひとり歩き同行二人』を自費出版。地図には目印となる建物や飲食店が詳細に記載されており、歩き遍路をする人にとって心強い存在となった。また、地域住民らと協力して、遍路道の草刈りや補修も行った。荒れた道の修復を行う際には、昔の様子を知る古老から話を聞き、住民や役場の職員と共に復元を試みた。これらの道は、現在でも地元の人々によって守られている。
こうした活動が知られるようになると、宮﨑氏の元には、遍路道についての様々な相談が寄せられるようになり、道標やガイドブックに助けられたというお遍路さんの声も数多く届いた。しかし、2010年に宮﨑氏が遍路道の調査活動中に山中で遭難し逝去。活動は遺族が引き継いだが、遠方に住んでいたこともあり、継続には困難も多かった。そこで、2015年に「宮﨑氏の活動を続けたい」という有志らが松山市内に事務局を立ち上げ、2017年には一般社団法人化した。
現在、同会では遍路道の整備やガイドブックの改訂作業を引き続き行っている。道の保全活動では、険しい山中の点検も怠らない。さらに、同会が運営するホームページ上で、歩き遍路に関する情報収集・発信活動にも力を入れている。例えば、お遍路さんから倒木などの報告が寄せられると、次に道を歩く人のためにその情報を掲載する。また、地元住民が整備し歩きやすくなった遍路道の紹介なども行う。同会のホームページは、お遍路さん同士、さらには地域とお遍路さんをつなぐツールとなっているのである。宮﨑氏の遍路道への情熱によって生まれた活動は、新たな取り組みを加えながら後進に引き継がれた。歩き遍路の情報が行き交うキーステーションを目指したいという同会の地道な活動は、これからも全国から訪れるお遍路さんの歩みを支え続けるだろう。

◎代表者および連絡先

〈代表〉
関 宏孝氏(一般社団法人へんろみち保存協力会代表理事、セキ株式会社代表取締役社長、39歳)
〈連絡先〉
田中 伸二氏(一般社団法人へんろみち保存協力会事務局長)
電話:089-945-0108(セキ株式会社内、一般社団法人へんろみち保存協力会事務局)

◎愛媛県内のこれまでの受賞者
松山市  俳句甲子園実行委員会(2012年)
新居浜市 日本のお手玉の会(2003年)
東温市  高畠華宵大正ロマン館(2000年)
内子町  内子 歴史と文化の里づくり(1992年)

 

沖縄県読谷村(よみたんそん)  くるちの杜100年プロジェクトin 読谷

◎受賞理由
沖縄文化の要とも言える三線(さんしん)を100年後の未来に引き継ぐために、材料となるくるち(黒木)、琉球黒檀の植林を行う、郷土愛と夢に溢れた活動が高く評価された。

◎活動概要
沖縄の伝統芸能に欠かせない楽器である三線は、近年ではポピュラーミュージックにも取り入れられ、老若男女幅広い人々に愛されている楽器である。しかしその棹の材料として最も尊ばれているくるちは、沖縄戦でその多くが焼失。現在はほとんどを輸入材に頼っている。くるちは非常に成長の遅い木で、三線の棹として使えるのは100年以上の樹齢のものに限られる。成長が遅い樹木は世界的にも植林されることが稀で、海外では黒檀の輸出制限も始まりつつある。
沖縄音楽に魅せられ、ヒット曲「島唄」で知られるミュージシャンの宮沢和史(かずふみ)氏はこうした状況を耳にし、2012年、沖縄に恩返しをするためにくるちの植林を始めたいと、友人で演出家の平田大一(だいいち)氏に相談した。平田氏が住む読谷村は、三線の始祖として崇められている赤犬子(あかいんこ)の生誕の地であり、かつてくるちの植林もされたことがある。この読谷村にくるちの杜をつくろうという両氏の呼びかけに、読谷村、地元の商工会・観光協会・文化協会、古典音楽各会派の長、沖縄県三線製作事業協同組合の人々が応え、「くるちの杜100年プロジェクトin 読谷」が発足した。
同プロジェクトでは、年1回の植樹祭、育樹祭に合わせて、琉球古典音楽、民謡、ポップス、ロックのプロとアマチュアの三線奏者が出演する「くるちの杜音楽祭」やくるちと三線に関するシンポジウムやワークショップを開催。この運動に対する理解者・協力者を広げ、これまでに約3000本のくるちを植えてきた。
植えた苗木を守るための月に1度の草刈りは、厳しい陽射しの中で行う“聖なる難儀”。毎回、読谷村だけではなく、県内各地、さらには県外や海外からも約70名のボランティアが集まる。楽しくなければ続けられないと考え、沖縄独特の冷たいぜんざいをふるまったり、ミニコンサートをするなどの工夫が随所に凝らされている。
地元を中心に小中学校、高校に宮沢氏と平田氏が出かけ、「お出かけくるちの杜講座」を開催し、今の子どもたちの子どもの世代にこの活動が引き継がれるように呼びかける。また、くるちの研究者のいる琉球大学や琉球古典音楽を教える沖縄県立芸術大学とも連携し、育樹の知識や三線文化の継承・発展の道を探っている。くるちは1箇所のみの植林では、台風や病害虫により全滅してしまう恐れもある。県全体の貴重な文化、工芸品である三線を守るために、三線の聖地である読谷村から始まったくるちの杜づくりを、県全域に広げていく計画も進行中である。
彼らが植えたくるちで三線をつくる夢。そこには100年後の未来まで、沖縄が再び戦火に見舞われることなく、三線文化が子から孫へと受け継がれていて欲しいという願いが込められているのである。

◎代表者および連絡先

〈代表〉
石嶺 傳實(でんじつ)氏
(くるちの杜100年プロジェクトin 読谷実行委員会会長、読谷村長、62歳)
〈連絡先〉
平田 大一氏
(くるちの杜100年プロジェクトin 読谷実行委員会筆頭賛同人)
電話:090-2961-9634(くるちの杜100年プロジェクトin 読谷事務局)

◎沖縄県内のこれまでの受賞者
竹富町  うふだき会と小浜島ばあちゃん合唱団(2013年)
うるま市 現代版組踊「肝高(きむたか)の阿麻和利(あまわり)」(2010年)
那覇市  沖縄藝能史研究会(2001年)
那覇市  おもろ研究会(1997年)
沖縄市  沖縄県民踊研究会(1995年)
沖縄市  琉球國祭り太鼓(1992年)
うるま市 演劇集団「創造」(1989年)
宜野湾市 沖縄民話の会(1980年)

以上

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  • (鳥取県)遺跡見学会
  • (鳥取県)遺跡見学会
  • (鳥取県)むきばんだ花カルタ
  • (鳥取県)むきばんだを歩く会
  • (岡山県)第9回 津山国際総合音楽祭 みんなで歌おう「僕らの街の音楽を」
  • (岡山県)第10回 津山国際総合音楽祭 オープニングコンサート「マーラー交響曲第4番演奏会」
  • (岡山県)第10回 津山国際総合音楽祭 「第35回記念 津山第九演奏会」
  • (広島県)因島水軍まつり 島まつり 出陣式
  • (広島県)因島水軍まつり 火まつり 武者入陣
  • (広島県)因島水軍まつり 火まつり 打ち上げ花火
  • (愛媛県)道標設置作業
  • (愛媛県)遍路道の保全活動
  • (愛媛県)遍路道の保全活動
  • (沖縄県)育樹祭参加者
  • (沖縄県)植樹祭
  • (沖縄県)くるちの杜音楽祭
  • (沖縄県)毎月行われる草刈り