サントリーウイスキー蒸溜所便り

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山崎蒸溜所便り

【100周年企画】ジャパニーズウイスキーの始まりの場所~山崎蒸溜所~

2023年5月31日

こんにちは、水野めぐみです。
山崎蒸溜所は今年の秋に100周年を迎えます。そこでこの蒸溜所便りでは、100年間の歴史をシリーズでご紹介します。第一弾の今回は、ジャパニーズウイスキーの始まりの場所を紐解いていきます。

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操業開始時の山崎蒸溜所

日本初のモルトウイスキー蒸溜所である山崎蒸溜所の着工は、1923年(大正12年)。
サントリーの創業者、鳥井信治郎は日本全国からウイスキーづくりに適した土地を探し求め、いくつかの候補地の中から山崎の地を選び抜きました。


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裏庭を流れる山崎の水

なぜ、この地がジャパニーズウイスキーの始まりの地に選ばれたのか。それには大きく2つのポイントがあります。
ひとつは良質な水。そしてもうひとつは、ウイスキーの熟成に適した気候風土です。

山崎は茶道の祖である千利休が安土桃山時代に茶室を構えた地で、蒸溜所の近くには日本名水百選のひとつ「離宮の水」もあります。古くから名水の地であった山崎の水が、ウイスキーの仕込み水としてふさわしいと信治郎は考えたのです。


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深い霧で覆われたこの風景はスタッフも見入ってしまうほど

山崎蒸溜所の北には天王山、南には桂川・宇治川・木津川の三川の合流ポイントがあり、その対岸には男山があります。山と川に挟まれた山崎は霧が発生しやすく、特に夜に雨が降った翌朝などは天王山が霞んで見えなくなるほど。
ウイスキーは長い年月をかけて樽で熟成しますので、程よい湿度が必要です。樽の中で眠るウイスキーは、湿潤な山崎の環境からも恵みを受け、豊かな味わいを育んでいくのです。

こうしてジャパニーズウイスキー始まりの地として選ばれた山崎で、「日本に洋酒文化を根付かせたい」「日本の気候風土を活かした、日本人の繊細な味覚に合うウイスキーをつくりたい」という信治郎の信念を受け継ぎ、100年間、ウイスキーづくりを続けてきました。

ここで、蒸溜所の操業当初の面影を残す展示物や施設をご紹介します。


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蒸溜所操業のときに使用していた蒸溜釜

まずは、広場に置かれた蒸溜釜。
現在の山崎蒸溜所では16基の蒸溜釜が稼働していますが、最初は2基の蒸溜釜でスタートしました。
広場に設置してある操業当初の蒸溜釜は近くで見て触れることができ、お客様に人気の写真撮影スポットでもあります。


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操業当初は瓶詰工場として使われていたウイスキー館

ウイスキー館として見学のお客様を迎えしているこの建物は、かつては瓶詰工場として使われていました。
太平洋戦争での寿屋(現サントリー)の損失は莫大でしたが、幸い当時の山崎工場は戦火にも無傷で、山崎のモルト原酒は無事だったそうです。100年間、戦争や震災なども乗り越えてきた山崎蒸溜所を象徴する建物です。
ウイスキー館は現在改装工事中ですが、リニューアル後も外観はそのままに、更に蒸溜所の魅力をお伝えできるような施設に刷新される予定です。ぜひ楽しみにしていてください。


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山崎蒸溜所最古の樽

最後にご紹介するのは見学ツアーの際、貯蔵庫の中でご覧いただける山崎蒸溜所最古の樽です。山崎蒸溜所は1923年建築着工、翌1924年竣工。そこから蒸溜が始まったので、最古の樽には1924年と記されています。
樽の丸く平たい部分は「鏡板」と呼ばれます。見学通路には鏡板に貯蔵開始年が記された樽が並んでいるので、お客様は自分の記念の年の樽を見つけると「自分が社会人になった年です」「子供が生まれた年だわ」などと、喜んでくださいます。

今回は、ジャパニーズウイスキーの始まりの地について、そして操業当初からの歴史を感じられる展示物や施設をご紹介しました。
今後も山崎蒸溜所100周年にちなんだエピソードをご紹介していきますので、お愉しみに。



【お知らせ】山崎蒸溜所は2023年5月より改修工事のため、工場見学及び場内全施設の営業を2023年秋頃まで休止しております。見学・予約再開につきましては、日程が決まり次第、山崎蒸溜所ホームページでお知らせいたします。

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