中山 幹康(なかやま みきやす)先生プロフィール:
1954年東京生まれ。東京大学農学部農業工学科卒業後、東京大学大学院農学系研究科博士課程修了。農学博士。国際連合環境計画(在ナイロビ・ケニア)専門職員、世界銀行(在ワシントンDC・米国)中東・アフリカ局水資源管理専門家、東京農工大学大学院連合農学研究科教授などを経て、2004年東京大学大学院新領域創成科学研究科教授に就任、現在に至る。
みなさんは不思議に思ったことはないでしょうか?
東日本大震災の発生により大打撃を受けた福島原子力発電所は、震災直後に発電を完全に停止しました。にもかかわらず、その瞬間に東京で大停電が起きなかったのはなぜなのか―と。
また、震災で多くの発電所が停止を余儀なくされたというのに、「計画停電」は震災当日の3月11日ではなく、13日からの実施が検討されていました。約二日間の猶予があったのはなぜなのでしょうか?
そして震災直後の東京電力の電力供給能力は約3100万キロワットでしたが、夏場には約5700万キロワットまで上方修正されました。いったいどのようにして8割以上の電力供給能力の上乗せが可能になったのでしょうか?
これらの疑問のカギを握るのが水力発電、特に「揚水発電」です。
揚水発電とは、発電所を挟んで上下にダム(調整池)を造った水力発電の一種です。夜間など電力需要の少ない時間帯の余剰電力を利用し、発電機を逆回転させてポンプとして利用することで下の調整池から水を汲み上げます。その水を電力需要が大きくなる時間帯に下の調整池に向かって流し落とすことで発電するのです。
ご存じのように電気は貯めることができません。また原子力発電による電力供給は常に一定で、需要に応じて自由に発電量を増減することはできません。そこで短時間(6~10時間)ながら必要に応じて発電できる揚水発電に蓄電池のような役割をさせるわけです。蓄電池としての効率は70%程度で、けっして効率がいいわけではありませんが、揚水発電は電力供給のバックアップとしての重要な役割を担っているのです。通常は夏場の電力消費ピーク時の電力供給を担保するために使われています。
実は震災直後の電力危機が回避できたのも、普段は夏場に使う揚水発電所が緊急に電力を供給したことが大きく貢献したからです。
また、富士川を境に東と西では周波数が異なるため、原子力発電や火力発電では電力の融通はできませんが、周波数の切り替えが可能な水力発電では、他の電力会社から電力の融通が行われました。さらに既存の水力発電所の取水量を増加。こうした水力発電の働きにより震災直後の発電量の上乗せが可能になったのです。
このように需要に応じて融通が利くうえに、CO2排出量が最も少ない発電方式でもある水力発電に、震災以降大きな期待を寄せる人も現れました。しかし残念ながら、水力発電の新規開発では原子力発電の代替は不可能です。現在の日本の発電電力量における水力発電の割合は約8%。今後、新規に水力発電を開発したとしても約12%に引き上げるのが限界です。つまり発電電力量のうち約30%を占める原子力発電の割合にはとうてい及ばないわけです。
一方、火力発電の増設はCO2排出量の増加につながりますし、太陽光発電や風力発電には更なる技術開発を要します。となると、我々は原子力発電に頼るしかないのでしょうか?
日本国内から国外に目を向けてみると、解決の糸口は見えてきます。
「アジア・太平洋地域」には大きな電力を生み出すことが可能な国が点在しています。太陽光発電や風力発電、地熱発電などの再生可能エネルギーにおいても期待できるサイトが数多く存在しますし、ネパールやラオス、ブータンなどの潜在的な水力発電量も莫大なものです。
従来の送電網では送電損失が大きいために、国と国を結ぶような長距離の送電は不可能でした。しかし、液体水素で超低温化した超伝導ケーブルなら送電損失は従来の送電網の1/200と圧倒的に少なくなるため、長距離での送電が可能になります。その技術を生かした送電網が「スーパーグリッド」です。
超伝導ケーブル
ケーブルの中心を流れる液体水素によって電気抵抗が極限まで減らされ、電力損失は従来比1/200とも言われている。
Copyright (C) 中山 幹康
こうした構想を初めて提唱したのは、アメリカの建築家・思想家であるバックミンスター・フラーでした。日本では彼の知名度はあまり高くありませんが、アメリカでは地球を宇宙船にたとえて資源の有限性や適正な使用について説いた「宇宙船地球号」という概念や、「Think global, Act local(グローバルに考え、ローカルに行動せよ)」という名言で広く知られた人物です。彼は冷戦下の1970年代に地球上の再生可能エネルギー源を送電網でつなぐことで、世界の安全保障を改善することができると提案したのです。
彼は最小努力で最大効果を生みだすにはどうすればいいかを考え、建築物の資材の削減・軽量化を実現するために「ジオテックドーム」を考案しました。かつて富士山頂にあったレーダードームもフラーのジオテックドーム理論に基づいて設計されたものです。スーパーグリッドも同様に最小努力による最大効果を狙ったものと言えるでしょう。
適切な再生可能エネルギーが手に届くところにないから、人はそうでない電力を使ってしまう。しかし200キロ先に再生可能エネルギーがあるのなら、それを持ってくるネットワークを構築すればいい、とフラーは考えました。そうすることによって世界の電力をすべて再生可能エネルギーで賄うことが可能になり、国家間の相互依存体制も構築でき、世界的な平和につながるはずだ―というのがフラーの持論です。
リチャード・バックミンスター・フラー(Richard Buckminster Fuller)
アメリカのマサチューセッツ州出身の建築家、思想家。地球上の再生可能エネルギー源を巨大な送電線網で接続することで、世界の安全保障を改善することを提案するなど、生涯を通じて、人類の生存を持続可能なものとするための方法を探りつづけた。
※詳細をお知りになりたい方は、Buckminster Fuller Instituteのサイトをご覧ください。(英文のみ。別ウィンドウで開きます)
現在ヨーロッパでは「デザーテック」計画というスーパーグリッドが計画されています。ヨーロッパのみならず、北はノルウェー、南は北アフリカや中東地域をも巻き込んだ壮大な計画です。
おそらく世界初のスーパーグリッドの実証例となりえるのは、ヨーロッパの北海にある洋上風力発電所だと思われます。海のまっただなかにある発電所とイギリスやヨーロッパ各国をスーパーグリッドでつなぐというもので、順調にいけば10年後くらいには実現できるのではないかと言われています。この北海の事例が現実になれば、それを基盤にスーパーグリッドがヨーロッパ全体に広がっていくことでしょう。
もちろんアジアでもスーパーグリッドは提案されています。先日、孫正義氏がアジア全体をつなぐ「アジアスーパーグリッド構想」を提言したことが話題になりましたが、他にもオーストラリアとアジアを結ぶアジア版デザーテックなど、様々な構想が練られています。
ヨーロッパの「デザーテック」計画
ヨーロッパ内のみならず、「スーパーグリッド」を北アフリカや中東まで拡大し、乾燥地での太陽光発電、風力発電、地熱発電による電力で、ヨーロッパ全体の電力消費の「クリーン化」が計画されている。「スーパーグリッド」の整備による、ロシアからの石油や天然ガスへの依存割合を減少し、地域の安全保障の向上も期待されている。
Copyright (C) 中山 幹康
上図は、「デザーテック財団(DESERTEC FOUNDATION)」のパンフレット、
「redpaper_3rd-edition」より作成
こうした構想に対し、日本社会の命綱である電力の供給を外国に依存するのは危険なのではないか、という声が上がっています。
しかし、私は杞憂にすぎないと考えています。なぜなら自国の電力供給が満たされていて、他国に売電が可能なのは、ラオスやブータン、ネパールといった開発途上の小国であり、そういった国々が買い手である先進国に対立的な姿勢を取ることは考えにくいからです。もちろん、万が一の非常時に備えて、自給可能な電力設備を国内で維持・管理し続けるのも一案でしょう。
周囲を海に囲まれた日本では国外から電力を買うということは想像し難いかもしれませんが、すでに中国はラオスから、インドはブータンやネパールから電力を購入しています。これはけっして荒唐無稽な話ではないのです。
私の主要な研究テーマは「国際河川に於ける国同士の水争い」です。そのため世界各地の国際河川で、「資源の共有」がその地域の安全保障を強化しているという現実を何度も目の当たりにしてきました。
例えば、メコン川では最上流の覇権国である中国が商売相手(買い手)である下流のタイ、ラオス、ベトナム、カンボジアといった国々に対し、多くの局面で妥協しています。同様に最近ではチグリス・ユーフラテス川においても、上流国のトルコが下流国のイラク(北部)に対し寛容な行動を取るようになってきました。
また、私はナイロビにある国連環境計画本部などをはじめ、海外で様々な国の人々と共に働いたことがあります。そうした国際的な経験を踏まえて感じるのは、国家間の相互依存の大切さです。国家間の紛争というものは利害関係が一致していないから起こるわけで、相互依存関係にある国と国の間には諍いは起こらない。誰しも商売相手にケンカを売るような真似はしないということです。
ネパールやラオス、ブータンがスーパーグリッドで接続されれば、日本や韓国、中国に電力を販売することが可能になります。売電はこれらの国々の外貨収入を劇的に増大させ、経済開発に大きく寄与するでしょう。こうして南アジアと東アジアの経済的な統合が進めば、これらの地域の安全保障は向上するはずです。
まさにフラーが提唱したように、スーパーグリッドが世界を平和の方向に導くのです。
水資源の豊かな国、ラオスでは、現状1,662MWが水力により発電されており、建設中の水力発電所によって1,558MWの増加が見込まれ、更に,水力発電量を17,686MW増強することが提案されている。
新規の水力発電所からの電力の多くは隣国のタイと中国に売却されるが、途上国あるいは中進国への売電であり、売電価格は低い。
「スーパーグリッド」によって、高価格での先進国への売電が可能となる。
国外からの電力の融通が可能になれば、現在日本にある水力発電所を揚水発電と同じようにバックアップとして使うこともできます。新たに設備を造るのではなく、既存の施設を有効に利用して非常時に備えることができるのは、必要に応じて自在に電力を生むことができる水力発電ならではの利点ともいえるでしょう。
もちろん、スーパーグリッドの整備には莫大な建設費がかかります。
しかし、燃料ではなく電力という形で輸入すれば、莫大な輸送費は不要になります。現在日本が輸入している液化天然ガス(LNG)は、そのコストの半分近くが輸送費です(液化や再気体化を含む)。つまり日本は高額な輸送費をかけて燃料を輸入し、日本国内で多くのCO2を排出しながら発電しているわけです。でも燃料産出地で発電した電力を日本に送電することができれば輸送コストの削減になり、さらには日本国内でのCO2排出の抑制にもつながるのです。
日本とインドネシアを結ぶスーパーグリッドの建設費用は、同国間でかかる発電用LNGの輸送費を数年分プールすれば、今現在の高めのコスト計算でも十分賄えます。
実際には技術開発をしながら進めていくことになるので、スーパーグリッドが広まるにつれて当初よりも設備コストは加速度的に安くなり、技術的にもより安全に、より扱いやすくなっていくでしょう。
「不都合な真実」で知られるアル・ゴア氏は、著書「私たちの選択」でこう述べています。「スーパーグリッドを構築するための技術はすでに完成している。しかし政治家による意思決定の欠如が、その実現を阻んでいるのだ」─と。
必要なのは「当初のコストが高くても、まずは実現しよう」という強い意志に基づいた政治的決定です。それさえあればスーパーグリッドは現実のものとなり、私たちは再生可能エネルギーをより有効に使えるようになるはずです。
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