蔵治 光一郎(くらじ こういちろう)先生プロフィール:
1965年生まれ。東京大学農学部林学科卒後、青年海外協力隊員として2年間ボルネオ島(マレーシア)の森林研究所に勤め、熱帯雨林の研究に従事。東京大学千葉演習林助手を経て、2001年東京大学院農学生命科学研究科附属演習林講師に就任。現在は愛知演習林に勤務。専門は森と水の科学。
私は東京の原宿生まれの都会っ子でしたが、小学校低学年の頃から武蔵野の雑木林や玉川上水に一人で行ってしまうほど、自然の中で遊ぶのが好きな子供でした。中学生のときに訪れた八ヶ岳の源流では、その森と水の美しさに心を奪われたものです。
ですから森林科学の道を選んだのは私にとってごく自然な流れで、学生時代からずっと森と水の研究を続けてきました。
多くの人はなぜ森と水の研究がつながっているのか、疑問に感じると思います。実は水資源の環境を健全に守るには森の存在は欠かせないものなのです。
森は水がなくては生きられません。大量の水が必要だからこそ、水のあるところに森は生まれます。よく「森が水を生み出す」などといわれがちですが、自然科学的な目で見るとこれは大きな誤解。「森があるから水がある」のではなく「水があるから森がある」というのが正解です。
山から川に注がれる水はあくまで森が使いきれなかった余った水にすぎません。森だけではなく、我々人間を含め、すべての生き物は水があってこそ存在しえるもの。水はすべての生命の源なんですね。
森と水は、私たち人類が地球上に登場するずっと以前から、互いに切っても切れない関係を築いてきました。森には降った雨(水)を一時的に土に蓄えて、木々の光合成の際に蒸発させ、その残りを湧き水という形で川に流すという働きがあります。つまり森にとって水は生きていくために不可欠な資源であると同時に、水にとっても森は雨を水蒸気や川の水に変換してくれる水循環システムの一端を担っている重要な存在だということになります。
人が森と水の関係に注目するようになったのは、なにも最近のことではありません。たとえば私の出身である東京大学の「森と水の研究室」が設立されたのは1900年のこと。昔から森と水は人間にとって重要な課題のひとつであり、だからこそこの研究室は100年以上も続いてきたわけです。
かつて江戸時代中期から後期にかけて、日本の森が過剰に使用された時代がありました。多くの山が急激に進む伐採で森を失い、無残なハゲ山になってしまいました。その結果、日本各地で洪水被害が相次ぐようになったのです。
森はそこに生息する木々や植物の落ち葉や死骸によって土を作り出し、土の中に多くの水を蓄えることができます。ですから健全な森は雨が大量に降っても、その水が一気に下流に流れるのを防ぐことができるのです。
そのため森に蓄えられた水はゆっくりと下流に流されるので洪水は起こりにくくなり、一方で雨が降っていない時でも川には水が流れるようになり、私たちはそれを利用できるわけです。それがいわゆる森の「保水機能」というものです。
しかしその森を失ってしまうと、雨は森の土や木々に保水されることなく一気に下流に流されるため、洪水が起こりやすくなります。川に大量に土砂が流れこむことで水質も悪くなりますし、雨がやんだら川に流れる水は一気になくなってしまうので、渇水被害も起こりやすくなってしまいます。
治水という観点から見ると、森の保水能力はまさに『緑のダム』ともいうべきもの。洪水を緩和し、人々の暮らしを守ってくれる貴重な存在なのです。
また、森は人間にとって美味しい水の作り手でもあります。森の木々は水と一緒にリンや窒素を吸収してくれるので、豊かな森から生まれた水は美味しくなるのです。森が水に磨きをかけてくれるわけですね。
しかし一方で、『緑のダム』という言葉は、人々に多くの誤解を与えてきたのも事実です。「木を植えれば水が出る」と思い込んでいる人もいるようですが、実はそれは逆効果にもなりかねません。
最近は砂漠化防止のための植林ボランティアとして海外に行く方も多いのですが、雨の少ない半乾燥地に植林するには十分な注意が必要です。なぜなら半乾燥地の植林に適したユーカリなどは地下深くから水を吸い上げる力が強いので、植林をすることにより結果として地下水位を低下させてしまい、人と森が水の奪い合いをするはめになってしまうからです。
たしかに森には多くの水を蓄える力があります。しかし、それは森自体が水を必要としているから蓄えているだけであり、人間に水を与えるために蓄えているわけではありません。日本のように水の豊かな地域ではさほど心配はありませんが、雨の少ない地域にいたずらに植林すると、木が育つのに水が消費され、かえって人が使える水が減少してしまいかねないのです。
洪水被害を防ぐためには水が多くては困るという一方で、利用できる水はもっと欲しいという人間たち。そんな相反する要求を森に突きつける私たちは、勝手すぎるのかもしれません。
治水と利水の両面を考えれば、『緑のダム』だけでもコンクリートのダムだけでもダメ。双方をうまく組み合わせ、森の恩恵や水の恵みを授かるのが一番よいのではないでしょうか。
現在、日本の森林は国土の約7割を占めています。世界各国で森林の減少が問題となっている中、わが国の森林面積はここ50年ほとんど変わっていません。今でも日本は世界有数の森の多い国なのです。
しかし今、わが国の森林は大きな問題を抱えています。日本の森林の約4割は林業目的で植林された人工林ですが、その多くは林業の衰退にともない、人の手で管理されることなく放置されているのです。
森には『健康な森』と『不健康な森』があるのを皆さんはご存知でしょうか? 健康な森は一見すると地面が緑色に見えるのに対し、不健康な森の地面は茶色に見えるというとわかりやすいかもしれません。
健康な森では木と木の間に適度な間隔があり木漏れ日が差すので、木々の根元には様々な植物が生えています。地面には落ち葉がつもり、その下の土も落葉の効果でフカフカと柔らかく、たくさんの水を蓄えることができます。こうした森の木はさほど背が高くなくても幹は太く、しっかりと根が地中に張っているので強い雨や風にも耐えることができます。
しかし、間伐されずに放置された不健康な森は木々の間隔が狭く密生しています。そのため木々の根元には日が差さないので下草は生えてきません。剥きだしになった土は雨により浸食されやすく、どんどん流されてしまうので、やがては木の根が地表に露出してしまいます。
見かけは立派な森ですが、こうした不健康な森の土壌は薄く、土の保水能力はハゲ山とほとんど同じ。不健康な森が『緑の砂漠』ともいわれるゆえんです。不健康な森の木は高さがあるのに幹が細く、ひょろりとしているのが特徴で、根を張る力も弱い。当然、大雨や強風に対しても弱く、土砂崩れなどを起こしやすくなります。
私たち研究者は森林ボランティアの方々とともに、人工林の健康・不健康を調べる『森の健康診断』を各地で行なってきました。診断の結果、残念なことに人工林の6~7割が不健康な森であるということがわかってきました。今も進む『緑の砂漠』化は、日本の森林が抱える深刻な問題なのです。
一方で、世界の森林はまた日本の森林とはちがう問題を抱えています。熱帯地域では農地開発のために天然の熱帯雨林の伐採が急速に進んでいますし、シベリアなど北の大地では違法伐採が増えています。こうして世界の森林面積は恐ろしい勢いで減少しているのです。
健康な人工林
(撮影:蔵治 光一郎)
不健康な人工林
(撮影:稲垣久義)
Copyright (C) 蔵治 光一郎
自国の森林は減少していないのに、減り続けている他国の森林から木を輸入し消費している国、日本。しかも豊富な森林がありながら、手入れ不足で水災害のリスクまで抱えているのがわが国の現状です。水不足に見舞われる国や、森林が消滅していく国から見れば、なんと贅沢な悩みでしょう。これでは身勝手な国だと思われても仕方がないかもしれませんね。
たしかに森林の所有者にすれば、木材価格が低迷している今、手入れをするだけ赤字になる人工林の管理は無駄なことに思えるかもしれません。
しかし『緑の砂漠』と化した人工林の木材生産価値が、将来的に失われてしまうのは時間の問題です。もしこの先30年後、40年後に木材価格が高騰したとしても、今現在手入れをしていなければ、その森の木々は木材として使えないものになってしまいます。
つまり、人工林の管理を放棄するということは、30年後の財産を放棄しているのと同じことだといえるのです。治水、利水の面だけではなく、木材の価値を守るためにも、『緑の砂漠』の間伐を早急に進める必要があるのです。
森や水を守るには目先のことだけではなく、長期的な展望が最も重要です。森は一度失えば再生するのに100年近くかかります。まして土壌まで失ってしまえば、元に戻すのには100年どころか千年、万年と気の遠くなるような長い年月を要します。ですから私たちの世代だけではなく、次の世代、その次の世代に何を残せるのかを考えなくてはなりません。
自然と触れ合うことで、人は多くのものを学びます。例えば森が育つのに必要な悠久の時の流れも肌で感じなければ理解するのは難しいでしょう。
しかし、今の日本では人は森と隔絶され、あまりにもかけ離れて暮らしています。森で遊んだ経験が全くない人も少なくありません。そんな自然と触れ合う機会の減少が、物事を長い目線で捉えることができない最近の風潮を増長させているのかもしれません。今の日本は教育にしても経済にしても短期的なものばかりを追求しすぎているのではないでしょうか。
できることならば、私は一人でも多くの人に森に足を運び、その空気を肌で感じて欲しいと思っています。森を身近に感じ、そこに流れる川の水に触れてもらえれば、その魅力を理解できるはず。そうすればもっと多くの人が森に関心をよせ、『森の応援団』になってくれるでしょうし、森の危機を他人事とは思わなくなるでしょう。ヨーロッパのように森と共生する暮らしを求める人も増えると思うのです。
まずは森を体感すること。それが森と水を守る第一歩につながるのではないでしょうか。
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