アフリカ南部、ボツワナを流れるオカバンゴ川は、乾季である夏に氾濫し、砂漠地帯を地上最大級の内陸湿原へ一変させます。この湿原は野生生物にとっても人間にとっても貴重なオアシスとなり、豊かで多様な生態系が育まれます。最も乾いた季節に、水が突然やってくると、植物が一斉に芽を出し、砂漠の地中で夏眠していた魚や水生生物が活動をはじめ、水深が深い地帯にはパピルスという植物も群生します。水辺には、平原を旅してきたヌーやシマウマ、アンテロープ(シカに似たウシ科の動物)などの大型草食動物の群れがたどり着き、多くの鳥たちが集います。それを狙って、ヒョウやチーター、ハイエナ、リカオンなどの肉食獣もやってきます。ライオンにとって、水と食糧が豊富なこの時期は、出産のチャンスです。水域が広がって、カバやナイルワニも至るところに顔を出し、ゾウは水遊びに興じます。
このような光景はまさに「カラハリの宝石」とたとえられています。
<オカバンゴをとりまく水>
夏の雨と、アンゴラの高原から流れ込む水が砂地に満ちると、たちまち1万5000平方キロメートルを浸水させます。浅瀬や沼、ところどころには中洲の島が顔を出します。
しかし、氾濫原がどこにどのくらいできるのかは、アンゴラに降る雨季の降雨量に左右され、年によって大きく異なります。水が無情にも、生物の期待を裏切る年もあり、野生生物は繁殖できず、体が弱い個体、老いた個体、幼い個体は命を落とし、人は飢え、そこでの生活が放棄されます。
オカバンゴデルタは、高低差61メートルのゆるやかな傾斜が波打つ広大な沖積扇状地になっています。オカバンゴ川は海に流れ込むことなく、この辺り一帯の広大な陥没した低地の複雑な起伏の間を縫うように流れ、やがて土に染みこんだり、空気中に蒸発したりして消えます。広い低地は、東アフリカの隆起地帯の運動によってできたものと考えられています。また、この湿地帯の出現は、過去に湖が存在していたことの証明です。ではなぜ消えたのでしょうか。これについては二つの理由が考えられます。
一つはオカバンゴ川が運んできた堆積物が地表を埋めてしまったことです。もう一つは、非常に乾燥した気候であるということです。湿地帯の水のほとんどは蒸発で失われますが、地表の水のなくなった部分にも砂が堆積し、深いところがなくなってきます。年間を通して、水が残るのは、低い場所にあるわずかな浅い水たまりだけです。
オカバンゴには砂質系の堆積物が発達して、アシなどの水草とともに天然のフィルターの役割をしているため、非常に透明度が高く、溶質濃度が低く、富栄養化が起こりにくくなっています。
オカバンゴの面積 | 約2万平方キロメート |
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夏に水没する面積 | 1万5000平方キロメートル以上 |
もっとも水没する時期 | 7~9月 |
年間平均降雨量 | 700ミリメートル以下 |
年間に蒸発する水 | 約11立方キロメートル |
「ホータン(和田)から西では川は西に流れてアラル海に注ぎ、ホータンから東では東に向かいロプ・ノール湖に注ぐ」。紀元前120年ごろ、西域から戻った張騫(ちょうけん)が武帝にこう報告したことが『史記』に記されています。『漢書』に「広さは300里、湖水は澄み、冬夏を通じて水位が安定し、無数の水鳥が湖面に生息する」と書かれているロプ・ノール(羅布泊)は、古代中国では塩沢、蒲昌海と記された塩水湖で、「ロプ・ノール」もモンゴル名で「ロプにある湖」を意味します。
アラル海と並列に語られるくらいなので、かなり大きかったと考えられており、一説には日本の本土の9倍の広さだったといわれています。古代中国では、ロプ・ノール湖の水は地中を深く浸みて積石山(青海省のアムネマチン山)の下に流れ込み、黄河の水源になると信じられていました。
そのロプ・ノールの湖畔に、シルクロードの古代都市、楼蘭(クロライナ)は栄えていました。
東トルキスタンのタリム盆地は、地理的な空白が近年まで続いた場所です。中国の文献に登場し、その存在だけは知られていた楼蘭と幻の湖ロプ・ノールが、つい最近までどこにあるかは定かではありませんでした。というのも、6世紀以降、この地域一帯は広範囲にわたって放棄され、無人の廃墟と化していたからです。そのため、19世紀後半には多くの探検家が幻の古代都市発見の夢を胸に抱き、この地をめざしていました。
1)楼蘭遺跡が水の存在を証明
楼蘭は、『史書』に西域諸国36か国の一つとして登場する王国で、敦煌から西へ向かうシルクロードから天山南路・西域南道への分岐点だったため、貿易・軍事の要衝でした。そのため中国と匈奴からの干渉や侵攻が絶えず、人口の25パーセントが兵士ともいわれる軍事国家でした。また豊かな文化も育まれていて一帯からはそんな往時の様子をうかがえるソグド文書・チベット文書が出土しています。
最盛期を迎えた3世紀初めの楼蘭の人口は2万人以上ともいわれ、領土は都が置かれたロプ・ノール湖北西岸から、西はニヤ(民豊)遺跡まで及んでいました。 4~5世紀は中国の歴代王朝に入貢をし、北魏に征服された記録が残っています。国家が滅んだあとも、オアシス都市としてしばらくは続きましたが、7世紀以降はどの史書からも姿を消しました。
当初、タリム盆地東南にある2つの湖、カラ・ブランとカラ・コシュンがロプ・ノール湖だと思われていましたがこの2つはどちらも淡水湖です。ロプ・ノール湖ならば塩水湖でなくてはおかしいと当時の研究者は考えました。
さまざまな議論が起こるなか、 20世紀初頭、イギリス隊が偶然に楼蘭をはじめとする多くの遺跡を発見したことで、状況は一気に進展します。遺跡の近くでは大量のホラ貝などの貝殻や、厚い塩の層、枯れたヤマナラシの林が見つかりここに、かつてロプ・ノール湖があったことがわかりました。往時の古代王国は満々と水をたたえた大湖とそこへ注ぐ大河から、豊かな水資源と貴重なタンパク資源を得ていたのです。
2)川は南北に尾を振る
スウェーデンの探検家スウェン・ヘディンは、「ロプ・ノール湖は再びこの地に現れる」という大胆な仮説を立てました。
過去に、ロプ・ノール湖に注ぎ込んでいたタリム川の支流が流れを変えて、カラ・コシュンに流れ込むようになりロプ・ノール湖は干上がり、それが楼蘭の滅亡の原因にもなりました。タリム川が流れを変えはじめたのはおそらく、楼蘭が完全に歴史から姿を消した、7世紀より前でしょう。
スウェン・ヘディンの仮説は、それよりもさらに発展的でした。タリム川の支流の先は、砂漠の盆地を、ロプ・ノール湖があった北と、カラ・ブランとカラ・コシュンがある南の間を、1500年ごとに振り子のように往復する、というものでした。
平坦な砂漠を流れる河川は、わずかな地表の変化で、敏感に水の流れを変えてしまいます。周期的に移動するなら、地表も周期的に変わっているはずです。その変化は確かにあり、タリム川では、川の流れによって河床が削られるだけでなく、砂漠の強烈な風による岩石の浸食も起こっています。一方で川は常に上流から堆積物をもたらします。これらにより最終的には川の経路が変わるのです。
3)ロプ・ノール湖はいま何処?
それを裏付けるように、タリム川は1921年、北、つまりロプ・ノール湖の旧湖底へ向かって流れを変え、その支流であるコンチェ・ダリア(孔雀川)に1500年ぶりに水が戻ったのです。水の流れはその先のクルク・ダリア(鉄板川)を経て湖を作りました。それを商人から聞きつけたヘディンは、最初の探検から34年後の1900年、再びロプ・ノール湖を訪れ、湖が水で満たされたことを確認しました。
1980年代、中国の考古学研究者とCCTV、日本のNHKシルクロード取材班からなるチームがロプ・ノール湖の調査を行い、上空からの探索を試みましたが、発見することはできませんでした。衛星写真によれば、1972年頃、ロプ・ノール湖は完全に消滅していたそうです。ところが、2004年、ロプ・ノール湖の復活が報じられました。
≪「さまよえる湖」ロプ・ノール復活、20数年ぶり水戻る(略)新華社電によると、中国科学院ロプ・ノール科学調査隊がこのほど現地調査を行ったところ、おおよそ北緯40度50分、東経90度14分の海抜801メートル地点で、約1平方キロ・メートルにわたって湖面が広がっているのがわかりました。(略) これまでに何回も現地を訪れている同調査隊の夏訓誠隊長は「20数年ぶりに湖水を見た」と証言し、別の専門家はこの現象について「湖が生じたり消えたりするのがロプ・ノールの特徴。周期的な類似の気候条件下で新たな湖が形成されたものだ」と分析しています。(以下略/2004年9月7日読売新聞)≫
しかし2005年現在、また消えてしまっています。再び、水が現れる日は来るのでしょうか?
今から5000年前に海面上昇によって生まれたトンレサップ湖は、カンボジアの西部にある東南アジア最大の湖です。この湖は、まるで呼吸するかのように、雨季の終わりにふくらんで、雨季が終わると少しずつ水を吐き出し始め、乾季には縮み、まるで天然のポンプのように、カンボジアに水を供給しています。
1)乾季と雨季の差
カンボジアでは5~10月上旬のモンスーンが雨季にあたります。メコン川の水位は10メートル以上上昇します。9~10月、メコン川の濁流は、合流するトンレサップ川の流れを巻き込んで逆流し、トンレサップ湖に流れ込みます。その水量は、湖を溢れさせ、面積は最大で5倍にまで拡大、その水位変動は世界最大級です。
水を貯えた湖は、10月を過ぎると、川の流れを元に戻し、乾季に入ると、今度はメコン川へおだやかに給水しはじめます。トンレサップ湖の恵みの水は、乾季のメコンデルタを潤すので、この地域は世界有数の穀倉地帯となっています。
乾季の面積 | 2500~3000平方キロメートル |
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乾季の水深 | 約1メートル |
雨季の面積 | 1万1000~1万3000平方キロメートル (最大1万8000平方キロメートル) |
水深 | 約10メートル |
2)「トンレサップが死ねば、カンボジアが死ぬ」
一見すれば、大洪水が毎年起こっているように見えますが、この地域に住む人々にとっては年中行事に過ぎません。周辺住民は高床式の水上家屋に住んだり、雨季の間は陸上の家に移住します。環境に適応して、変動する水とともに生きています。
また、雨季には湖の一部になる浸水した森は、淡水魚にとっては絶好の繁殖の場になります。孵化した稚魚たちは、滋養豊かな森の土壌養分によって繁殖したプランクトンを食べて成長します。こうして育まれたトンレサップ湖の豊富な淡水魚は、貴重な水産資源をもたらし、1960年代までは、淡水域として世界有数の単位面積あたり漁獲高を誇っていました。
「トンレサップが死ねば、カンボジアが死ぬ」と、言われています。それもそのはずで国民の総人口の約1割に相当する120万人がトンレサップ湖での漁業で生計を立ており、60~80パーセントはこの湖にタンパク源を頼っていると報告されています。
【参考文献】
- 清水靖夫/著 『世界情報地図2005年度版』 日本文芸社
- マルク・ド・ヴィリエ/著 鈴木主税・佐々木ナンシー・秀岡尚子/訳 『ウォーター 世界水戦争』 共同通信社
- ボツワナ政府観光局
(http://www.botswanatourism.co.bw/) - ナショナルジオグラフィック「砂漠の中のデルタ地帯」
(http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/feature/0412/index4.shtml) - EORC地球観測利用センター「地球が見える 伸縮自在な巨大湖:トンレサップ湖」
(http://www.eorc.jaxa.jp/imgdata/topics/2004/tp040408.html) - 高橋裕/編 『川の百科事典』 丸善
- 貴重書で綴るシルクロード
(http://dsr.nii.ac.jp/rarebook/06/)